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メペの花嫁 後編

(※このオハナシは前後編、二話完結です)

街の医者達が愛用する煙草の銘柄は『青皿』。
パンテラ科の広い花弁の青い花の名は『リョージャ』と言い、
この花弁をシャグとして販売したのが青皿だ。

(※シャグ:手巻き煙草用の煙草葉の事)

病院とは様々な薬品の使用に伴いその匂いがあちこちで香るものだが、
時としてその匂いを検知する事が重要な局面もある。
青皿は非常に臭いの『離れ』が早い煙草の為、院内で愛用されている。

さて、
多くの眠りから覚めた患者達の帰る足音を聞きながら、
病院の屋上では青皿に火をつける医者達の手が、
安堵したように力を抜いて何度もマッチを擦っていた。

「はは、狙いが定まらねぇや、火が付かねぇ。」

そんな言葉混じりに医者達が笑い合う今は、
いよいよ夕方を迎えようとしていた。

だがまだ青皿の一服にありつけてない医者が一人いる。
最後に目を覚ました少女を担当している医者だ。
彼女が目を覚まし、これでようやく自分も青皿を吸える。

だが、待て。

少女はメペに遭遇したであろう夢からの生還者だというのに、
落ち着き払って目を覚ましたらしい。
他の患者とは違う。

他にもいた子供の患者は皆起きると同時に泣き叫び、
大人ですらその身体を震わせていたデータが取れている。

「家に帰りましょう」とは不気味な響きである。
まるで一仕事を終えた大工の棟梁のようではないか。

連日の疲れと精神的疲労の為か、
担当の医者は彼女が病室から出る時に、
ようやくその事に気付いた。

「ごめん、ちょっと待って」
「はい、先生」
「君はメペを夢の中で見たんだよね、他の患者みたいに」
「そうよ」
「何か酷い事はされなかったかい」
「例えばどんな?」

ずっと追いかけられたり、
腕や足をもがれたり、
高い所から突き落とされたり。

それらは同じくメペに遭遇した患者から聞いたものだが、
いずれも年端の行かぬ子どもに尋ねるにしては惨劇が過ぎる。
えー、あー。
よどむ言葉で医者が惑っていると、

「いっしょに歌を歌ったわ」

と子供らしい眼差しをした少女が子供らしい声を出す。

「うた?」
「そうよ」

少女曰く、砂の城を作り、追いかけっこをし、
そして、

「パパとママの事を話したわ」
「君のパパとママかい?」
「そうよ。パパとママの事を話して、
 そろそろ帰らなきゃって言ったの」

病院は児童相談所ではない。
子供の交友録を記録する場所でもない。

「……そっかぁ、起きれて良かったね」

専門外である。

少女が口にしたのは医学的な根拠に基づく解決法などではなく、
子供が夕方に帰ってきて親に報告する一日の様子に他ならない。
これを医学的に分析して原因を究明しろ、
という方が無理な話、
連日の疲労も相まってそのまま医者は少女を帰し、
自分もまた屋上で青皿を吸う集団へと身を加えて行った。

もうこのまま平穏に日々が流れれば。
誰が起きない、彼も起きないと騒ぐ声の影も無く、
最後に帰ったあの少女、その身にも異変が何も無く、
また『医学』の範囲でどうこう出来る日々が良い。

判らない事は怖い、医者でも怖い。

多くの時間を費やし、
学ぶ為に大金をもつぎ込み、
それでも専門外の事についてはお手上げに、それが医者。

いや、医者だけを卑下するのではない。
この世の多くの人間が専門外なのだ、オカルトというのは。

だからもう来るな、
少女だけでなく、その親も。この病院には来るな。
その後の娘の様子が心配で、等と不安な顔を作って固めて、
いかにもな声で伺いをしに来ないでくれ。

病院のゴミ箱は空になった点滴の袋であふれ返った。
ベッドの取り換えのシーツで洗い物も一杯に。
元々病院に居た他の患者達は人気の少なくなった院内に懐かしさを覚え、
医者達はまた落ち着いて青皿を口にする余裕を持つ。

「先生」

だが程なくして不安の種がやってきた。
病院の『開かれた』門では拒みようがない。
病院は患者を贔屓してはいけない。
苦しみを分け隔ててはいけない。
そこに道徳がある。

来院したのは件の少女の母親だけで、
不安げな表情で顔を固めていた。
当然だ、ここは病院。
ニコニコ顔で来るのは薬屋の営業ぐらい。

「娘の事で御相談が。」
「なんでしょう。また寝たきりですか」
「いえ、起きはします。
 けれども睡眠時間が長いんです」
「どれほど」
「朝は十時位に起きて、寝るのは夕方位なんです」
「御飯はどうしてますか」
「なんとか朝昼晩食べさせてます。
 けれどもその、不気味で。
 夢の中でメペと遊んだって色々話すんです。」
「どんな遊びを。教育に悪い遊びですか」
「追いかけっこをしたり、遊んだり、砂の城を作ったり、
 それに海に行って泳いだり、空を飛んだとも言うんです。」

医者は思った。
ははぁ、これではまるきり学校の先生のようじゃないか。
御宅の娘さんはどうやって友達と遊んでいますか。
なるほど協調性は富んでいるみたいですね。
その調子で良い子育てを続けて下さい。

「先生、アタシどうしたら」

とは言えないのである。
夢魔相手に「その調子で続けて」なんて言ったら、
きっと目の前のこの母親は医者を八つ裂きにするだろう。

「娘さんに気だるい様子は」
「無いです」
「他に何か体調的な不良は」
「無いんです。だから私も止めてとは言えなくて」

医者は理解に至った。
目の前にいるのは患者などではなく、
ただ一人の『母親』の塊が、
心が相対(あいたい)している。

医者はまだ結婚こそしていなかったが、母親の暖かさを思い出した。
そうだ、自分が幼い頃に熱を出した折、
まだ小さかった手を握っててもらった。
ハンバーグを食べたいと言ったら、
その日の食卓に大きなハンバーグが出てきた。
甘えが抜けぬ年の頃に抱きつけば頭を撫でてくれた、
全て母という存在が与えてくれた愛ばかり。

「お母さん、よく聞いて下さい。
 少しばかり様子を見ましょう。
 不甲斐ないですがメペと呼ばれる夢魔の対処がまだ判りません。
 薬も効かないので寝たきりの時は対処に困りますが、
 起床時間が八時間近い事からも、なんとか栄養の摂取が」
「そんな事言って先生、
 都合が良いと思ってるんでしょ」
「  はい?」
「このままうちの娘にメペが、
 メペが娘に夢中になって、
 他の街の人間に被害が出なければ都合が良いって思ってるんでしょ!
 そうすれば街中が睡眠で麻痺する事も無いから!
 娘一人にメペがまとわりつくなら、
 うちの娘一人で済むから!!」
「お母さん、落ち着いて下さい、そんな事を言っては」
「ねぇお願い、どうして私の娘なの、
 他にも寝ていた子供はいたじゃない、
 どうしてミリアなの、お願い先生、あの子を見捨てないで、
 今は平気かも知れないけど、ミリアに何かあったら私」

靴を履き替える。
外出用の靴だ。
白衣もスーツに着替える。

医者は児童相談所ではない。
児童教育のいろはなども当然知らない。
付け加えるなら夢魔払いの儀式なんてものをかじった事も無く、
ドラキュラにニンニク、なんて言葉を聞いただけで笑ってしまう。

だが行かねば。
そこに倫理がある。

医者が母親の後をついて訪れたのは小さい可愛げのある家だった。

「ミリア。僕の事を覚えているかい」
「病院の先生でしょ」
「そうだよ、覚えていてくれてありがとう」

医者の仕事をする。問診に触診。
問題点は発見されない。
子供として申し分のない元気さを保っていると母親に言うと、
完全に不安を払拭して訳では無いだろうが口に笑みを浮かべた。

「ママ、先生にもクッキーを食べて貰いたいわ、
 あのママの作ったクッキー。
 知ってるかしら先生、私のママの焼くクッキー、
 とても美味しいのよ」
「へぇ、先生も食べて良いのかい?
 君の食べる分が少なくなるけど」
「良いのよ!ねぇママ」
「ハイハイ、じゃあ取ってくるから先生とお話しててね」

母親の足音が遠ざかり、
娘に子供らしい質問、
さしあたり、好きな髪型など聞こうとした時だ。

「先生、メペなら大丈夫よ。」
「?どういう事かな」
「あの子、私に夢中なの」
「  それは」
「メペは親と離れ離れになってるの。
 理由は聞かないけれど、きっと良くない理由なんだわ。
 先生はメペを見た事ある?」
「いや、僕は実は無いんだ」
「あの子、本当に寂しいんだわ。
 それで色んな人の夢の中に出て、
 寂しいせいか遊び方も随分酷いものだったけど、」
「ああ、聞いてる」
「でもゆっくり話を聞いてあげたの。
 長かったわ、何度も同じ部分の話をするの。
 それがメペが親とはぐれた時の話でね」
「うん」
「泣いちゃうの。メペが。」
「慰めたのかい」
「だって可哀想でしょ。
 先生だって、泣いてる迷子が居たら助けない?」
「そりゃあそうさ」
「私はメペを見捨てたりしないわ。
 だから色々約束したの。
 他の人を襲わないとか、
 昼の時間は私を夢の世界で待ってて、とか。」
「……でも、それじゃあ…メペの親が来るまで?」
「多分メペの親は彼を迎えに来ないわ」
「えっ?」
「先生、メペを見た事がないんでしょう」
「うん   ………。」

メペを見た事が無いんでしょう。
その言葉に全ての意味が詰まっているのだろう、
医者はその事を間もなく悟った。

「私がずっとあの子のそばに居るわ」
「ずっとって……いつまで?」
「私が死ぬまで」
「……ミリア、それは現実的じゃない」
「そんな事は無いわ、
 ママとパパだって死ぬまで一緒でしょ。
 それと同じ事だわ。」
「でもじゃあ、」
「もし私がメペを見捨てたら、
 多分もうこの街の人間は誰も起きなくなるわ。
 先生もね。」

タカ、タカと母親のスリッパの音が予告する。
もう間もなくクッキーのお出ましだと。

「先生この事は内緒ね」

そう早口でまくしたてる娘に、
医者は返事をするだけの心の整理が間に合わず、

「はーい!ママの特製クッキーよー!」
「わぁ、たくさんある!ほら先生、お腹が破れるほど食べて!」
「いやぁ、それは困るなぁ」

娘の切り替えた雰囲気に飲まれるしか、
彼女の覚悟を心のうちに潜めるしか、なかった。

「ねぇ先生どう?おいしいでしょ」
「ああ、君のママは最高だね、ミリア」
「そうなのよ、最高のママよ」
「ミリアだって私の最高の娘よ」
「えへへ」

医者は児童相談所ではない。
世界を救う英雄でもない。
薬がなければ患者を救えないし、
医者だって人だ、体調を崩す時だってある。

この少女一人をメペに宛がう事により街一つを救えるが、
この少女は普通の人生を歩む事は無いだろう。
年頃になって若い異性と恋をしたり、
夜に友人と遊びふけって寝不足になる事も出来ない。

かといって、彼女をメペから引き離せる程の知恵も無い。
メペが彼女の言う通り依存しているのなら、
引き離したその時、確かに街は眠りによって滅ぶだろう。

齧ったクッキーは渇いていた。
良く焼いたのだろう。
口の中の水分が奪われるだけ奪われていく。

口の中が乾き過ぎてもうこれ以上、
何も言う事が出来ない程に。

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