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未払い残業代を骨が笑う 中編

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この世で一番静かに過行くもの、
風でも月でもない。
それは時間だ。

光でも愛でもない。
それは時間だ。

太陽と月が見えない場所での時間の確認は困難を極める。
下手をしたら一秒が十時間に感じる事もあれば、
三日が数時間に感じる事もある。
生き物は心臓が脈打つが、
それすらも指標になりえない程の錯覚を起こす。

時間は忍び足、
その足跡は誰も見えない。

「……どれだけ経ったんだろなぁ」

闇のどこからか聞こえた呟きに、
また闇の何処からか呟きが返った。

「三か月は過ぎたか?」
「そんなに経ってないだろ、せいぜい十日だ」
「嘘だろ?最低でも一か月は経った」
「えー違うよ、まだ二週間位じゃない?」

数字は数えるから意味がある。
故にこの洞窟の奥の奥、
どうやって日にちを数えられるのか。
どうやって時間を追いかけられるのか。
到底無理な話であって、
まだ見ぬ終末の景色を論じ合うようなもの。
誰もその答えを知らないし、
誰も教えに来てはくれない。

ただ、闇。

「この任務が終わって家に帰る頃にはさぁ……」

不毛な言い争いの間隙を縫いまた一つの呟きがするっとうねる。

「家が一つ買える位の給料、貰えるかなぁ……」

なるほど、金の話か。
それはとても重要な話だぞ。
そう思った仲間が大半だったのか、
日数を論じ合う声の波は引き潮のように消えて行った。

家、という単語が大きかったらしい。
そうか、家か。
家は良いな、俺は増築したい。
などと再び会話の波が沸き立った。
しかし先程の様ではない。
見えない日数を追いかけている語気よりも、
まだ見ぬ家を妄想する彼らの声は立っている。

「うちの両親の家結構ボロくてさ。
 改築してやるかな。」
「いいねー、親孝行じゃねぇか。」
「……お前ら本気で言ってるのか?」
「あ?なんだよ」
「……家を建てられるほどの給料を貰うとして、
 ここで何年残業したらそうなるか計算してんのか?」

言わねばいいものを。
この暗闇のどん詰まり、
折角明るい話題で盛り上がってたのも束の間、
いきなり現実を目の前に突き付ける冷めた発言に、
また、暗闇の中に沈黙が押し寄せてきた。

「二割掛けとかになってないかな」
「は?なにそれ」
「残業時間が嵩む度にさ、
 次の一時間の残業代が前の時間の二割増しに」
「ならない。なるわけねぇだろ。だってあの魔王様だぞ?」
「あー魔王様人件費に関しては微妙にケチだからなぁ」
「でもちゃんと残業代は出すって言ってくれたし!」
「……あ、嫌な事思いついちゃった」
「え?なんだよ、言うなよ、絶対だぞ」
「えぇ……じゃあ言わない」
「おいなんだよ、気になるだろ言えよ」
「どっちだよ」
「この暗闇の中で言わず仕舞いなんてよせ、
 気になって気持ち悪い。」
「じゃあ言うけどな、……これって年次昇給はどうなるんだろうな。」
「………あー」
「嫌な事に気が付いたなお前」
「いや、ふと頭に過って。
 魔王様は残業代出すって言ったけどさ、
 この任務、いつまでに、どれだけの手当とか言ってないだろ。
 え?もしかして言ったの?言われてないの俺だけ?」
「いや言ってない言ってない、お前だけじゃない」
「だろ?これで本当に待ち伏せだけでここに数年待機でさ、
 それから生き埋めの後も数年待機だった場合、
 その間に経過した年数で上がる予定の基本給とかどうなるんだろって」
「あー」
「いやー、嫌な事ばかり頭に浮かぶ」
「待機しかしてなかったって名目で昇給無しで、
 それに生き埋め以外してなかったってケチつけられて昇給無かったら」

※)昇給というのは貰えるお給料が上がる事です。
  とても大切な日本語だから良い子の皆は漢字ドリルに百回書こうね。

「え、やだやだ絶対やだ」
「そうなったら魔王様殺すわ」
「残業代貰えたとしても……えー。
 基本給上がんないんだったら損じゃない」
「あー聞かなきゃ良かった」
「でもあの魔王様ならありそうだよな。
 そもそもこんな所で生き埋めになれとか言うんだもんな。
 完全に魔王だろあの人」
「魔王だから」
「魔王だぞあの人」
「そうだな、魔王だったな」

暗闇の中で魔物達が何度もこう言った会話を繰り返す。

意識が、すり減った。

最初は必ず誰かが静かにしろ、五月蠅いと咎めていたのに、
今ではもう誰もその言葉を言い出さない。
ただ自然に会話が断続的になり、
ただ自然に沈黙が滲んでいく、暗闇の空間に。
そしてまた、彼らは死体の真似に戻るのだ。

静けさが腰を据えて鎮座するこの洞窟の闇のただなか、
一体何日が、何週間が、もしやすると何か月が過ぎたのだろうか。
水の中でもがく者が息をする為に水面を求める事が罪で無いなら、
闇の沈黙で音を求める彼らを誰が悪と断ずることが出来ようか。
さも溺れる幼子が水面で息をするように、
どれほどの時間かも判らなくなったこの時、
またどこかで横たわる骨の一つから声が聞こえた。

「酒が」

という声だった。
しかしそれだけだった。
まるでこの沈黙に遠慮するかのように闇に戻った。
だが久しぶりの仲間の声が気になったのか、
他の誰かが「酒がどうした」、追いかけた。

「いや、酒がどうなったかな、と思って」

酒は珍しくもない。
人も飲むし、魔物も飲む。

酒は注がれる口を差別しない。

だがもう彼らは何日もそれを口にしてない。
魂が得られぬ酒に反応したのかまだ追手がかかる。
何の酒だ、その話、ちょっと聞かせろ。

「いや、ただ俺の知り合いが酒を造ってるってだけの話なんだけど。
 でも一つ酒を寝かせたんだ。
 その酒が俺の息子が十七になったら祝いで飲もうって決めた酒でな。
 それを開けるのに確かあと三年とちょっとの筈だが、
 俺はあと三年でここから帰れるのかな、と思って」
「三年か。もう一年位は経った気がするな」
「な、本当それ」
「でも実際は本当に一年経ってたりしてな」

一年が経つ。
それが良い事なのか悪い事なのか、
もはや洞窟の中にいては判断できない。
だが一つだけ判る事がある。
それは残業代がジリジリと溜まっている事だ。
それだけが判っているのだ。

「なぁ」
「なに、楽しい話?」
「血管が見たい」
「……は?けっかん……?」
「血管が見たい」
「何だお前、危ない性癖持ってんのか?」
「血管が見たいんだ。
 この手に渡っている血管が」
「残念だが俺達は骨だから無理だよ」
「……俺達、もしかしたらもう死んでるんじゃないのか」
「それ、俺も何度も思った」
「そして実はここは地獄なんじゃないのか」
「それは違う、何故なら俺は生きていて俺は洞窟にいるからだ。
 そして同じ洞窟のこの部屋にいるお前も生きているし洞窟にいる。
 死んでないし地獄じゃない」
「どうやって証明できる?それを」
「はぁ?」
「俺達が死んでなくて、ここが地獄でないとどうやって証明できる?」
「ここに勇者がやってきて俺達が畳み掛けたらそんな事を考えずに済む」
「違う、俺はどうやって証明できるかを聞いてるんだ」
「その証明は緊急を要しない。
 だから勇者が来るまで待て。」
「うわあああああああああ!!」
「わあああああああ!?なに?なになに!?」
「勇者きた!?勇者来たの!?」
「落ち着け落ち着け、武器を手に取れ、照明魔法!誰か!」

長い長い時間、身体を預けていた床から身体を起こした。
それはそれは不可解な感覚だった。
起き上がった筈のなのにまるで横に転がるように感じる者もいれば、
まるで上下逆転して身体が回転するように感じた者もいた。
長い死んだふりが平衡感覚を狂わせる。

兎にも角にもこれまでに無かった事態だ。
明かりを点けるんだ。
奇襲だとしても周囲を把握する必要がある。
現状確認、現状確認、
誰か、明かりを!

ぱすっ、

という魔法の照明音と共に光が縦横無尽に駆け抜ける。
洞窟の中を、仲間達の身体を照らす。
久方振りの色が魂を刺激するが緊張がそれに勝る。
各自武器を手に、構えた。

「……どこだ」
「勇者どこだ……」

長らく見てなかった仲間の身体の合間を探せ、勇者を探せ。
血走る目は無いのだが皆が皆血眼だった。
そう、勇者を生き埋めにすればこの仕事は半分終わる。
あとは生き埋めになって戦争が終わるのを待つだけ。
人間が降伏するのを、待つだけ。

「……どこにもいないぞ?」

冷静さを取り戻した者は近くの物陰を探しもしたが、
肝心の勇者の姿は影も見えない。

「あの……」
「なんだ!?」
「見つけたか!?」
「いや……さっきの叫び声、俺の……」
「……え?」
「なに?」

一人の骨が背中を床に付けてひっくり返っていた。
他の仲間は全員武器を手に取り立ち上がってるというのに。
お前は一体どうしたんだ。

「なにしてんだお前」
「どうした?」
「いや……あの……怖い夢見ちゃって」
「ゆめ?」
「うそだろ?それであの悲鳴?」
「どんな夢見たんだよお前」
「勇者におっかけられて尻尾かじられる夢見た……」
「………」
「………」

良かったな、夢で。
でも安心しろ、お前の尻尾にかじれる肉はもうねぇから。

しゅぽっ、
と明かりが消える音が鳴り、
骨達がまた配置についた。

即ちまた死体の真似事を始め、
闇と沈黙という精神を狂わす空間に浸り始めた。

初めての大騒ぎに身体を動かし疲れた者も多い。
誰も騒いだ骨を咎めなかった。呆れもしなかった。

なんだ、まだ俺達は夢を見れるんだな。

そう思っただけだった。

→後編へ続く

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