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ロシーを躾けて

(このオハナシはSM的な内容を含みます)

大分。
岡山。
滋賀、奈良、
飛んで東京は北区、足立区、中野区、八王子、
更に栃木に千葉に茨城に。

以上はこれまで引っ越しした場所。
自然と知り合いは多くなる。

酷い時は一年に二回も引っ越した。
未開封のダンボールを数個、
そっくりそのまま次のトラックに載せたりもした。
封を切らない箱が「またなの?」と持ち上げた私を見た。
判っている、ダンボールに目は無い。
だが私は物語書き、妄想が仕事だから。

そんな辛い(?)体験も潜り抜け、
各地で得た知り合い達はまばらに連絡を寄越してくれる。
毎月誰かしらが何かの話を聞かせてくれる。

それもこれも便利になった通信機能のせいだが、
便利になり過ぎるというのも考え物ではないか。
世界の何処に居ても何をしてても繋がってしまうなど。

そんな繋がり過ぎる世間のせいで、
ついこの前の土曜日、黒志田から連絡があった。

黒志田はイライラする時の癖がある。
右手の親指と人差し指の腹をこすり合わせるのだが、
その時に小指と薬指を内側に巻き込み中指を立てるのだ。

そんな状態の彼女は「ファッキューロシー」と呼ばれていた。
ロシーとは「くろしだ」の愛称、
誰が付けたかまでは覚えていない。

「ひま?」

と聞いてくるだけ善良的なのだ、
黒志田の心には性善説が残っている。

連絡を寄越す際に会うつもりでいる輩達はいつも、

「~日に行くから予定を空けとけ」

と言いやがる。
その点、まず「お前は暇か」と尋ねてくるのは良い心がけだ。

「ひまだよ」

いや、結局暇なのだけど。

私が売れない物書きをしている事情は友人界隈に広まっており、
時間の都合がつきやすい生活を送っている事も知れ渡り、
その事を知った上で連中は横暴な言い方をするのだが、
いや、もういい、暇かと聞いてきた黒志田に好感を抱いた。
故に会う予定日の選択権を与えた。
それだけの話だ。

黒志田は格好の良い女だった。
いつも冷静な服を来て一日に二本だけ煙草を吸う。
可愛いさを放つような服は好まず、
煙草も手放せなくなる程は精神にまずいと制限出来ていた。

何年振りだろうか。
記憶の断片を繋ぎ合わせた所、

「アタシ?アタシは東京行くから、就職で」

と卒業前の飲み会で話していた記憶がひょっこり顔を出し、
他の該当者はいらっしゃいませんかと記憶達に声をかけても返事なし、
これはよくある『卒業してからあってない』という奴で、
そう考えるとなるほど、年数を数えるのも怖くなる。

十一時に新宿で。
昼食を一緒に食べる約束の末に再会した黒志田は、
相変わらずカッコイイ女をやっていた。
けれど私の方はどうなのだろう。
白髪が増えたね、と言われた。

「最後に仕事してた会社が忙しくてね。殺人的に。」
「去年だっけ?辞めたの」
「一年半経つかな」
「小説書くのに集中するため?いいじゃん」

実は自分が書いてるものが小説かは判らないんだ。
だからいつもオハナシって言ってる。
そう言ったが黒志田が、

「アタシは専門じゃないから判らないんだよね、
 だから小説って言っちゃうけど、良い?」

と笑ったので、許可を下してやった。それで良い、と。

ところでその日は雨だった。
結構な勢いだった。

先週の土曜日の事で、
記憶にまだグっサリと刻み込まれたてのホヤホヤ。

昼食の後に入ったビルの高い所の窓に寄ると、
雨だというのに新宿は大勢の人間が歩いている。

「みんな御苦労なこった。」

二人で鈴生りの傘達を眺めているとついそう呟いてしまう。
黒志田も同じ気分らしい。
口紅をつけてるのかどうなのか判らない色の口を開くと、

「アタシ奴隷やってたの。」

というではないか。
なかなか二人の気持ちは呼吸が合っている。
なので思わず、

「なんて?」

と言うと、

「奴隷だったの。言ってるコト判る?」

綺麗な顎だと、その傾き方で相手の様子を察する技能を私は持つ。
奴隷とは社会のって事?なんて冗談は控えるべきだと、
黒志田の顎が言っている。

「セックスとかするやつ?」
「そう」
「いつから?」

聞けば割と期間は長い。
就職で東京に出て半年程で奴隷への道は開かれ始めたと、
黒志田は極めて冷静に、照れるそぶりもなく話すので、
こちらもドギマギせずに話を聞き続けた。

会話とは踊りの様なものだ。
相手がドギマギすればこちらもギクシャク、
相手がハキハキ話すと、こちらもシャキシャキ。

こっちだよ、と会話の手を引く黒志田に導かれ、
私も彼女の奴隷歴の話にスルスルと流れて行った。

黒志田は言う。先生がついこの前に亡くなったのだと。

黒志田の『御主人様』の事だったのだが、
先生と呼ばれる役職だったのでいつも先生と呼んでいたらしい。

血栓がどうたらで脳にどうたら。
最後のプレイの時だってなんら変な様子は無かった。
いつものように躾けてくれていたのに、
という言葉の終わりに黒志田が下唇を噛む。

先生は黒志田だけを躾けていた訳では無かった。
もう一人、黒志田よりも八歳程若い女の子も途中で飼い、
調教の一環で黒志田と一緒に躾けられる事も多かったという。

先生も忙しい方だからね。
毎回二人別々に時間を取れる訳じゃないし。
それを私達も判っていたから、
一緒に躾けられる前の日は連絡取り合って、

「今度はどう躾けて頂けるかな」

なんて話合ったりもしたわ。
そう話す黒志田の記憶は良いものなのだろう。
形の良い口元が緩く笑って、
私は昔の黒志田の癖を思い出した。

「そう言えば煙草、大丈夫?
 昔は飯の前によく一本吸ってたでしょ」
「ああ、煙草はもう随分前に止めたわ」
「先生?」
「そう、吸うなって。」
「ゆかりも、ああ、その若い方の子ね。
 ゆかりも吸ってたけど止めたわ。先生がね。」

多分、吸ってる女がお好きなんだわ、先生。
その女が自分の言うとおりに止める、
それがきっとお好きだったのね。

その『ゆかり』の事が気になった。
聞く限りだと最初は黒志田だけが調教されていて、
そこに新参として若いゆかりさんが入ってきた。
人間色々思うだろうに、
例えば自分はもう飽きられてしまったのではないかという不安や、
新しい若い子に自分の居場所を取られるのではないかという嫉妬。

「勿論思った。
 けどね、そういう気持ちも躾けてくれるから、
 アタシは先生の奴隷でいさせてもらう事が出来たの」

だがその先生はもうお亡くなりに。
葬式にも参列し、墓に骨も入った。

墓参りをしましょう。
自然とそう都合をつけ合ったという黒志田とゆかりさん。

「お墓参りって、何ですると思う?」
「え?」
「お墓参りをする理由。ねぇ、なんでだと思う。
 物書きの意見を聞いてみたい。」
「なんだそれ。
 えー、残された者の気持ちを整理する為じゃないの。」
「あーやっぱりそうなんだ。
 アタシもそうなんだろうなと思ってたの。
 お葬式にも出たけど改めてお墓の前に行って、手を合わせてさ。
 四角い石の塊見て、ああ先生やっぱり貴方は死んだんですねって。
 そう思う儀式の様なものだと思ってたの。
 あの子だってね、そうだと思った。」
「ゆかりちゃん?」
「うん。だからちょっとアタシは……。
 ゆかりと一緒に行った墓参りでね、
 先生の墓前で二人で手を合わせた後、
 ゆかりが履いてたスカートまくったの。
 パンツ履いてなくてさ。」
「え」
「墓石に両手をこうかけると、屈むの」
「うんちするの?」
「そう。
 あの子は先生からそういう躾を多くされてたから。
 毎回必ず先生の前でするのがあの子用の躾だったの。
 アタシも一緒にする事もあったけど、
 まぁアタシの事は今どうでもいいか。
 それでいきむんだけど、出せないのね、なかなか。
 外だから緊張してとかじゃなくて、うん………。
 先生がね、いないから。
 アタシとゆかり、色んな事をやったけど、
 それは先生からの指導があったからなんだよね。
 あの子がなかなかうんち出せないで……あ、場所変える?」
「別に今更。それに誰かがこの話し聞いても、
 ただ今日すれ違うだけの他人でしょ。こっちは構わない」
「そう。
 それでね、アタシも判ったの。
 アタシ達って先生に色々指示を受けて躾をされたけど、
 先生から許可を受けてする躾でもあったのよ。
 ゆかりも良いと言うまでしてはいけない、そう覚えさせられたの。
 だからアタシね、あの子の背中に身体をよせて、
 大丈夫、先生がちゃんと見てるわ、って言ったげて。
 そうしたらゆっくりだけど、出し始める事が出来てね。
 アタシはその音を聞きながらゆかりの背中に頭くっつけてたら、
 あの子、うんちしながら泣き始めたの。
 泣きながらね、先生、先生って言って。」

黒志田はこう話す。
ゆかりが墓前でうんちを始めた時、
それは先生に対する手向けや弔いの様なものだと判ったが、
同時に自分とは隔絶された何かを感じたという。

そしていよいよ涙を流しながらうんちを出す彼女を見た時に、
ああ、この子は本当に先生の事を愛していたんだな、
と悟ったのだと。

「逆にね、
 アタシはあの人に捨てられたくなくて、
 なおかつ別にあの人じゃなくても良かったんだなってよく判ったの。
 アタシ、誰かに飼われてるって状況に浸っていただけだったんだ。
 だからあの子のように墓前でうんちをしようとも思わなかったし、
 うんちをしながら泣けるあの子に嫉妬した」

ただ話を聞いていただけだ。
聞いていただけなのに、疲労が全身を蹂躙する。
窓の外の雨だけが長く耳に聞こえると判った時、
黒志田の話がそこで終わったのだとようやく知る事が出来た。

もはや近くで誰が聞いていたかなんて気にする心地でもない。
ただ窓の外の何処を見ているのかも分からぬ黒志田の顔を見て、
長い本を読んだ後の読書感想文を書くような気持になった。

「それじゃあ、また別の御主人様を探すの?」
「いや、もうそれはない。
 タバコを吸ったの。」
「タバコ?」
「墓参りの帰り、一人きりの時に。
 最近のタバコ、高くなったわね。
 あっそうか、君は吸わないもんね。
 でさ、久しぶりに吸ったらせき込んじゃったよ、ゲホゲホって。
 数年振りだから肺がびっくりしたんだね。
 だから今は二日に一本くらい。
 ……なんかね……怖くて。」
「――なにが?」
「鞭で打たれたりとか縛られたりとか、
 他にも変態的な事たくさんされて、
 この人とじゃないと成り立つ筈がない、そう思ってたのに、
 いざ先生が死んで、そうじゃなかったと冷静に分析して。
 根拠のない、盲信みたいに思ってたのよ、
 異常な体験を共有した相手にこそ愛が繋がるんじゃないかって。
 でもそうじゃなくて、やけに冷めてて、
 次の御主人様でもそうなるのが怖いの。
 アタシ、
 誰も愛せないと確認してしまう状況になるのが怖いの。
 だからもう、
 奴隷は卒業。」

そう黒志田から聞かされた、私は物書き。

立場を知ってか、縁があってか、多くの恋愛を聞かされた。
その中で思う事は、愛なんて千差万別、
みんな違う意見があるし、
その癖「これが愛なの!」と堂々と言い放つ。

それを平たく聞いた身で思う。
愛なんて、なんでもあり。
あなたがそれを愛だと言うなら、それは愛。そんなもん。

だから黒志田も何かを愛だと思えばそれで良い。
だが、逆に「これは駄目」と思っているのだったら、
やっぱりそれは駄目なのだろう。

他人にそれだと言われてなびくほどの柔軟さを、
愛は持ちえない。

「どうしてこの話を私に聞かせた?」

酷い雨だった、土曜日は。
どこかで収まるかとも思っていたがそんな事は無く、
朝から晩まで降りっぱなし。
結局私達はその話をしている最中、
ずっと窓の外を眺めていた。

「アタシ読んでるよ、あんたが書くの」
「えっ、そうなの」
「前に自分のお兄ちゃんとヤってる妹の、
 ほら、インタビューみたいなのあったじゃん」
「あー、あったあった」
「アレ、実際に聞いた話でしょ」
「いや、そういうのを聞かれた時、
 そうかどうかは言わない事にしてるの」
「実際聞いたでしょ」
「いや、だから」
「それでね、アタシの話も書いて欲しくて」
「え?この話?」
「そう。
 身の回りの親しい友達とか親とか、
 そういう人間に知って欲しい訳じゃないの。
 でもね、この世の誰かにこういう事があったんだよって、
 知ってて欲しいの。
 書いてくれるよね。」


知ってるんだから

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