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『閻魔殺し』と言われる男の噂、

聞けば一度死んで土の中、

しかし次の日蘇り、

自力で這い出て空の下。

「そいつの話を聞いてみたいぞ、連れてこい!」

そう言ったのは城の殿様、
言葉の真意が透けて判る、
どんなに偉い方でも死ぬのだけは怖いらしい。

罪人を捕らえる訳でも無し、
城から役人どもの行列が、まぁ長いこと。
長屋の一角に陣取って、まるでド悪者の大捕り物。

扉を叩かれた『閻魔殺し』は、
それはそれは大人しく付いて行ったので、
手に縄も付けない男を取り囲む役人どもは拍子抜け。
これが噂の『閻魔殺し』なのか。
役人どもは難しい顔をして城へと男を連れ帰った。

『閻魔殺し』、
男がそう呼ばれるのは息を吹き返してからの話にちなむ。

墓から這い出て家に帰った男、
それを見て周りの奴らは腰を抜かした。
お前、確かに死んだはずじゃあなかったか。
すると男、

「なぁに、閻魔を殺して戻ってきたのよ」

と目を細めて、ポツリと独り言のように言った。

口を吊り上げ笑いながらでもない、
目をかっぴらいて自慢げでもない。

「ありゃあまるで、
 戦場で大手柄を上げた後の猛者の顔のようだ」

これは本当に地獄で閻魔様と一丁、死合ってきたに違いない。
長屋一番のジジイがそう言うので、
皆が呼び始めたのが『閻魔殺し』。

「と、いう事らしいが、間違いないか。」
「よくは知りませんが、そういう事でしょうな」
「んん?やけに曖昧な返事だ」
「へぇ、何せ人様の話しなもんで、
 あっしの知らぬ事まで「そうです」とは言えません。
 ただ、閻魔を殺して戻ってきた、とは言いました。」

少し疲れているような顔つきで淡々と男が喋る。
聞けば黄泉から還って七日足らず。
閻魔と余程激しくやりあったのか男は落ち着き払って、
撫で肩をダランと垂らしながら返事をしていた。

殿様の出番は、まだである。
まず『伺務(うかがいつとめ)』という事前に話を聞く役人、神田の前に通され、
事の仔細を隅々まで聴聞するところであった。

「わしも気になるのだが、」
「なんでございましょう」
「どうやって、閻魔様を殺した?
 どのような方であった、閻魔様と言うのは。
 閻魔様を殺したら、生きて還れるのか?」

閻魔殺しと呼ばれる男はため息を一つ吐いて、
下から舐めるように神田を覗き見た。

「まぁ、こんな事になるかな、とも思いましたが」
「な、何がだ?」
「お役人様は、あっしがどうして死んだか御存知ですかい」
「ああ、調べた。
 お前は他の男一人、女一人と一緒に川で見つかったな。
 他の二人は溺れ死んでたが、
 お前だけは川のヘリに引っ掛かっていて、
 胸に刺し傷があった。」
「へぇ、詳しく話すってなると、
 あれは夜の事で御座いました」

あの夜、赤間橋の上で二人に会いました。
片方はあっしの女房でありましたが、
もう一人の男は間男でした。

随分と前から女房と逢引きしていたのは気付いてて、
その夜、なかなか帰らない女房を探して、
たまたま二人でいるところにばったり出くわしたんであります。

頭に血が上りました。
コイツが、女房の身体を好き勝手にやってると思うと、
腕が掴みかかって、殴り掛かっていましてね。
怒りってやつが、勝手にあっしの身体を操ってるみたいでした。

けれどいけない、そいつ、小刀をもってやしてね、
御存知の通り、あっしのここにブスリ、ですよ。

女房が「やめて」って、男にとりついて、
刺されたあっしも男を離さなくて、
あの赤間橋、随分古い橋なんで、あちこち傷んでる。
三人の重さは無理があったか、
揉み合って寄りかかった手すりがバキリ、とね。

お陰で三人まっさかさまですよ。

水の中でもみ合ったか、
それとも着物が絡んだか、
まぁ、あの川も随分深い事で有名だ。
あっしだけが息も絶え絶え川べりに、
けれど二人は上がってこなかった。

でも刺された場所が悪くてね、
あの世に行かざるをえなかったわけです。

それで行ったあの世の入り口で、
女房と男とが二人して立っている。
はっきりしないながらもフラフラと女房に近寄りました。

すると女房がね、男の方にプイ、と向いたんでさあ。
笑ってやって下さい、女房はもうあっしのこと、
男と思ってなかったんでさぁね。

それで閻魔様の前に三人並んで、
お前は生きてる時に、なになに、なになに、
まぁ念仏よりも長く、しでかした悪い事を説かれる塩梅です。

それで地獄に落ちる時なんですがね、これが面白い。
閻魔様がひょいと摘まみ上げて、
地獄にぽいっと放り投げる。

男が投げられ、女房が投げられ、
あっしもね、うにゃうにゃ罪を並べ立てられ、
「へぇ、その通りで」と言うと、ひょいと摘ままれまして。
でね、閻魔様がこう言ったんでさぁ。

「女房に裏切られて可哀想にな、もう一度、女を探してみるか?」

って。
それで閻魔様、何をするかと思えば、

「おおっと手が滑ったわい」

なんて白々しく、あっしを地獄とは別の方向に放り投げて、
気が付けば身体が桶の世話になっている。
まぁ、頑張りましたよ。
えっちらおっちら這い出てみると、まだこの世だ。

「それで閻魔を殺して戻ってきた、と喋った次第です。」

そこまで聞いた神田はちっとも納得いかなかった。
閻魔様は殺してない、寧ろ情けでこの世に戻ってきた。
おいお前、じゃあどうしてそんな嘘を吐いた。
神田が扇子をぴしゃりと閉めてそう言うと、
男が変わらない様子で、落ち着き払ってこう言った。

「閻魔を殺したと言えば、
 怖がって他の女は近寄らないでしょう。
 あっしの女は、女房一人だけなもんで」

始終ずっと疲れたような雰囲気の男だった。
口もただ喋るだけで、ぴくりとも吊らない。
しかし初めて男の口が幽かに吊り上がった。
笑っている、この男。
それを見て神田がこう問うた。

「お前、裏切られた女房を今でも好いているのか」
「トゲで刺されても、長く愛した薔薇は美しいもんで」

『閻魔殺し』の話は、これで全てで御座います。
そう言うと男は両手を畳について、
神田の前に深々と頭を下げた。

男は顔を上げず、
神田も何もしゃべらず、


季節は夏、
襖を開け放った部屋の外ではセミが鳴く。

恋人を求めて鳴く七日の命が、けたたましいばかり。

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