新しいビットマップ_イメージ_-_コピー

あの娘はホタテが大好きで

諸君、寿司は好きか。

私はサーモンが大好きでな。

清水と言うのは変わった友人の一人で、
名古屋に住んでいるにもかかわらず、
月に一回、私の住んでいる滋賀までわざわざやってくる。

琵琶湖が見たい訳でもない、
滋賀県水産試験場に用がある訳でもない。
ただ私と酒を飲む為だけに新幹線でやってくる。

だが私はと言うと、
体質の関係でアルコール類を飲んではいけない。
しかし清水は缶ビールを近場のスーパーで購入し、
私はいつもコーラかジンジャエールで迎え撃つ。
ある時ポカリスエットを買おうとしたのだが、

「せめて炭酸にしろ」

と清水が怒った事があってそれ以来この二つにしている。
泡立っている様が少しは雰囲気を出すのだろうか。
私は清水では無いので分からない。

更に追加したい清水の不可解なところ、
それは奴が既婚だと言う事だ。
要するに嫁さんがいる。
しかし月に一回は県境を越えて私に会いに来るのだ。

私は事ある毎に清水にこう言ってはいるのだ。
離婚問題に発展しても絶対に私の名前は出してくれるな、と。
こちらが「もうくんな」と言っても毎月必ず来るのはお前で、
今まで四回もお前の嫁に私から詫びの電話をしている程だ、
これで「お前が原因で離婚した」などと言われても、
こちらは「そりゃそうだよ」と頷くしか術はない。

しかし清水の嫁さんも出来た人で、
私が過去四回、詫びの電話をした際に、

「大丈夫です、交通費は清水のお小遣いから抜いてますから」

と明るい声で応対してくれた上、
いつも御迷惑をおかけしてますと清水に菓子折りまで持たせる有様。
このクッキー箱の中に爆弾でも入っているのではないか。
そう指が震えながら菓子折りを毎度開けるのだが、
嫁さんが持たせてくれる菓子がまたどれも美味ときた。
甘党の私には本当に申し訳ない程の賄賂で、
心密かに清水が持ってくる菓子を楽しみにしているのは大ぴらには言えない。

時間帯は夕方五時から六時。
近所の消防署が長いサイレン一つを鳴らした後に清水は滋賀に辿り着く、いつもの事だ。

私は自分の人生でわがままをする為に貧相な収入を選んだが、
貧乏になると金の事に纏わるなら細事でも気になる様になった。

滋賀の我が家まで、
清水の名古屋から新幹線込みで大体五千円。往復一万円。
鈍行でも二千円で往復四千円かかる。
しかも、この場合乗車時間は片道二時間だ。

安くはない。
少なくとも、私にとっては。

怖いから「私がそっちにいくよ」と言った事も無く、
「ちょっと交通費出すよ」とも言った事が無い。
お前が来るならどうぞお好きに。
そういう塩梅でいつも清水を迎える事しかやってない。
「今日は新幹線で来たか?」、そんな事を聞いた事も無い。

こんな事も考える。
清水がいつも新幹線で来ていた場合、
奴にとって私との酒飲みは一万円なのだ。
一万円払って私とわざわざ酒を飲む欲求を満足させに来ている。

だが一万円の価値はあるのか。

私はいつもコーラかジンジャエールで酔う事は無いし、
部屋に着いたらいつも寝間着にすぐさま早着替え、
清水に寄越す寝床はペラペラのマット。
昔で言うならどこかの殿様が長屋の貧乏人の家にわざわざ出向くようなもの、
落語なら、

「殿、ご自分のお屋敷よりも、
 手前の屋敷の方がお気に入りですかい?
 ただしここの屋敷はボロ屋敷ですがね」

なんて貧乏人の方が皮肉を言いそうな流れであるが、
どうも私の心持はこんなものに近い。

家の中には麻雀は無い。
プレステもニンテンドースイッチなど言うに及ばず、
話題のボードゲームも無ければペットも飼ってない。
トランプとウノは辛うじてあるが清水がそれを手に取った事は無い。

清水がそんな我が家に「こんばんわ」と今日もやってくる。

ようこそはるばる名古屋から。
琵琶湖が見守る近江の南へおいでませ。

何度も来ればコップの場所なんて知れたもの。
毎夜睦んだ男女がお互いの身体を知る様に、
コップの棚が膝より低いなんてとうの昔に知ってるよ。

「ところで清水」
「氷か?」
「いや、お前どうして今日来た?」
「え?新幹線できた」
「そういう事を聞いてんじゃなくて、はは。」
「ええ?なによ」
「どうしてウチくんのよ」
「え、外の方が良かった?」
「ちがうよ、そういう、ははっ、話じゃねぇだろ。
 どうして今日俺に会いに来たのかってはなし。」

別に今日に限った話じゃないけどさ。
毎月一度は俺に会いに来るだろ。
お前結婚もしてるのにさ。
どうしてよ。

「おまえそれ今まで聞いてこなかったのに、
 急にどうしたの」
「なんか急に聞きたくなった」
「ああそう」

コップが二つ、
机の上に腰かけるから、
カタカタンと固い音がする。

「俺、お前がそれをいつかは聞くだろうなと思っていたけど、
 いやまさか今日いきなり聞くとは思ってなかった」

嘘ではないと判る。
清水が顎を上に傾けるのは本当の事を言ってる証拠。
大学の頃からの付き合いだ、清水の癖はよく知っている。

「好きな鮨ネタは?」
「ん?」
「スシだよ鮨。何が好き?」
「サーモン。」
「美味い?」
「マグロとかよりも好き。美味いよなサーモンは」
「俺がこの前会社の営業の女の子と話しててさ。
 その子結構頑張ってるの。
 それで凄い量の仕事引っ張ってくるんだけど、
 会社の中が捌ききれなかったらしくて、
 なんだよアイツ、あんなに仕事取って来て、って。」
「内勤の人間にそう言われたの?」
「それで相当ムカついたらしいんだよ」
「あー、まぁ営業は何処の会社でも悪役の立ち位置になりがちだから……」
「それで話の腰を折ってその子に好きな鮨ネタ聞いたの。
 そしたらホタテっ!って笑顔で言うのね。
 お前と話すのはそれといっしょ。」
「はぁ?」
「嫌な話をすると人間顔がこう……暗くなるだろ。
 でもこの好きな鮨ネタの話をして相手がそういう顔になった事は無い。
 みんな自分の好きなネタを笑顔で言ってくれて、
 運が良ければそれから暫く好きなネタに纏わる話を聞ける。
 俺はそう言うのが好きなの。
 そう言う話がしたいわけ。
 それといっしょだよ。
 お前は俺と話してて誰かや何かを悪く言った事が無い。」
「そうか?」
「そうだ」
「そっか。」

そうか、そうだ、そっか。
短い言葉が達が通せんぼをし始めた。
この話しはもうここまで、これ以上はいけません。
日本語は短い言葉が空間の沈黙を作る事が多い。
そうか、そうだ、そっか。

清水が一口飲み、こちらも一口飲もうとグラスを傾けた、その時。

「そういう話し相手がいいんだよ。
 でも会社にはいなくてさ。
 居なくても良いんだよ、別に。会社は金を稼ぐ所だから。
 でも欲張りたくなっちゃうわけよ。
 名古屋で一緒に飲むような友達もいるけど、
 この歳になると、どうも、
 人の悪口を挟まなきゃ会話が続かないと思ってるらしくてさ。
 知り合いの中でこういう風に話が出来るのはお前だけ。
 だからこうして会いに来てんの。
 はい、この話、
 もう後にも先にもしないからな。」
「――おい、俺にも酒くれ」
「え?お前飲んじゃいけないだろ」
「いや、今日は飲む。ちょっとだけな。
 ちょっとなら皮膚がちょっとかぶれるくらいで済む。
 今日は長い長いドラマの伏線がようやく回収された時みたいな気分で、
 なんか良い。」
「なんだそれ」
「いいから注いでくれ。
 飲まずにはいられねぇよ。
 それにな、ちょっと気後れしてたんだ。
 わざわざいつも名古屋から来てくれるのに、
 こんな狭い六畳の部屋で出迎えてよ」
「もう一つ部屋があるだろ?壁ぶち抜けば十二畳になる」
「馬鹿!馬鹿野郎(笑)
 壁抜いたら修繕費入るだろ。
 で、まぁ、
 こんな狭い六畳で妻帯者飲ませて、って思ってたんだ。」
「思ってた、
 けど?」
「今は思ってる事全く逆だな。
 最高、もう今最高だよ、この空間は。」

今この夜に、
我が家の六畳に勝るものなし。

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