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死ぬまで待てない ⑤

オーストラリアが親日の気風である要因として、
まず挙げられるのは多民族国家である事。
様々な人種が混ざり合った結果、
偏見などが起きにくい。
あくまで相対的な比較と言う話で、

『その土地の人種が集まっている国』

よりも外から来る人間に寛容であり、
それが他の国より親日に見える一助となっている。

オーストラリアは西海岸、
土地の名前はパース。
旅行に訪れるにも良い土地で、
日本語話者も一定数要る事から日本人観光客も多い。
五十年前に大流行りした『甚兵衛』が今でも根強く、
夏になれば金髪と和服のコラボレーションが巷に溢れる。
日本風の髪型とセットで楽しむ層も未だに健在で、
日本ではお目にかからない『金色のチョンマゲ』を結う者も。
しかも男だけでなく女性でもたまに結っているので、
本国日本から来た慣れない観光客は度肝を抜かれる。
尚、サカヤキまで剃っている人間はかなり稀だ。

パースへの観光客に向けて配布されるパンフレット、
その中に現地で使われるアジア人向けの挨拶というのがある。
他から見ればアジア人の顔はいつの時代もよく似ている。
オーストラリアの親日家達はアジア顔の人間にこう言うのだ。

「メナステ」

判るだろうか。
御免なすって、である。
これも五十年前の流行と一緒に広まった言葉だ。
一体どこの誰が何を見て使い始めたのかは知らないが、
五十年の間にまず「ご」が頭から抜け、
徐々に響きがインドで使われるナマステに寄っていった。

サンスクリット語であるナマステも、
やぁ、こんにちはといった挨拶の言葉なので、

「諸々似てるからそれでええやんけ」

と定着して今の時代にいたる。

パースではアジア顔がいる場ではメナステと言い合い、
アジア顔しかいない集まりでもメナステと言い合う。
アジア顔がいない場でもたまに使われると言うのだから、
流行と定着というのは面白い。

「メナステ」
「あっ、メナステー」

今、パースは治安もすこぶる良い。
昔は護身用ナイフの携帯必須とまで言われる時もあったが、
今ではツマヨージさえあれば食べ歩きが出来ると言われ、
レストランだけでなく、大人向けのバーも多い。
どうぞ、うちの店へいらっしゃい。
まるで口説き文句の代わりのように光る店の光に、
つい先日ここに来た日本人女性の一人が誘い込まれていった。

メナステ、メナステ。
あなたもメナステね、メナステメナステ。

店に入ってきたアジア顔に他の客達が気さくに手を合わせる。
女性の方も習った習慣通りに両手を合わせて人波をくぐり、
ふと目をやるとアジア顔の男が一人カウンターに座っている。
おや、と思って一瞬首を傾けて覗いてみると、
相手も女性に気付いたようだ。
アジア顔同士では更に頻繁にメナステの挨拶。
そう教えられた記憶はしっかりと覚えている。
女性は両手をまた胸の前で合わせて笑顔を見せてみた。

「メナステ~。」
「ごめんなすって」
「えっ?」
「はは、僕は日本人ですよ」
「えっ、わぁー、こんばんは、メナステー」
「メナステメナステ、ごめんなすって。
 どうですか、パースは。もうどこか行きました?」
「いやまだ来たばっかりでー。
 ……アタシ観光客だって丸判りですか?」
「いつもは毛先にヘアルージュ付けてるでしょ。
 それ、洗ってもなかなか落ちなくなるらしいじゃない。
 今の向こう(日本)の流行りだよね。」
「そーそー、こっちでは付けなくても良いかって思って、
 でも染み込んだのが光っちゃうのよねー。」
「しつこい道端セールスされてません?
 昔は観光客は靴で見分けろって言われてたけど、
 今は髪で見分けろって言われてるから。」
「えーどうしよ、チョンマゲ結っちゃおうかな」
「マゲの先が光っちゃうねぇ」
「あはは、新しい流行りになるかな」
「キュウ、試してみたら面白いよ、きっと」

決してパースに日本人がいない訳じゃない。
定住している日本人はかなりいる。
それでもたまたま入った店で、
たまたま一人だけカウンター席に居た日本人。

外国へ久しぶりに来たという不安が後押しになったか、
女性はその男性と話し込んだ。
相手の男性も話題が豊富で、
店のマスターがグラスを二つ持ってきた。

「ヘイ、随分楽しく話しているね。
 君は旅行客だろ?ようこそパースへ。
 これは楽しい思い出になるサービスだよ」

男がマスターの言っている事をすばやく通訳するので、
女性も満面の笑顔を見せて礼を言う、サンキュー。

「アリガト、アリガトゴザイマス、Good!」

ヘイとマスターが掌でタッチを誘う。
アルコールが熱を帯びた女性も上機嫌、
良い音を鳴らしてハイタッチをすると、
他の客からも「Foo!」と賑やかな声が乗ってきた。

「はは、あのマスターには僕が少し日本語教えたんだ」
「へぇ、教えた言葉のチョイスが良いわ。
 ありがとうって素敵な日本語よ」
「そうだろ?だから教えたんだ、僕にも言って欲しいからさ」
「それで、言って貰えてるの?」
「オカワリタノメっていつも言われる」
「あはは!」
「商魂たくましいよ、あのマスターは」

一杯、二杯、
間にチーズとチョリソー、
そして手を伸ばしたお酒は三杯目。
優しいマスター、話しの上手い日本人男性。
もう女性もすっかり酒の世界で上機嫌にならざるをえない。

「ところで、どうしてパースへ?」
「うん?」
「もう日本の事で知りたい話は大体聞いたからさ。
 今度は君の話を聞かせて欲しい。」
「うーん、そうねぇ……気分転換かな?」
「ただの気分転換?」
「気分転換……気持ちの切り替えかな?」
「なにか悪い事が?」
「折角楽しいのにそんな事聞きたい?」
「人から聞かせて貰える話はなんでも好きなんだよね。
 君さえ良ければ。」
「……まり子よ。」
「おお、名乗ってくれるんだね。」
「あなたから君って呼ばれるのも、
 なんかちょっとしっくりこなくてね。」
「ごめん、失礼だったんだね。
 旅行で来た人とじっくり話すのは久しぶりで、
 ちょっと日本語がなまっちゃったかな。」
「まり子。」
「まり子。オーケーまり子。日本で何があったんだい。」
「友人の夫が死んだの。」
「………オー。病気?」
「自殺だった」
「ええ?どうしたんだい……」
「乗り換えが上手くいかなかったの」
「僕も昔乗り換えの店やってたよ」
「本当に?」
「何がどうなってミスしたの」
「――この話、聞く?」
「是非、まり子さえ良ければ。」

名前で呼び合う文化はいかが?
店の中はお酒で良い気分の人間ばかり、
海岸の波ならきっと優しくそう聞くけれど、
夜のバーには誰も弾かないピアノだけ。
郷に入れば郷に従え、
誰も彼もが酔っている。
きっとそれはまり子もそう、
これ位で怒っちゃ勿体ない、
このパースの夜が勿体ない。
私は今オーストラリア、
この夜は日本じゃない。

「その旦那さん、
 乗り換えの紐付けが完了する日に自殺したの。
 心臓発作を引き起こす薬を飲んでね。
 死んだ時刻は紐付け完了の一時間前。
 予定時刻は19時で、死亡時刻は18時。
 事件現場の部屋にはデジタル時計しか無くて、
 寝起きで8を9に見間違えたんじゃないかって」
「ふん、それで」
「警察に夫の不倫相手が来たの」
「へぇ!?どうして」
「その不倫相手に旦那さんがデートの連絡してたんだって。
 死んだ二日後に新しい体でデートしようって」
「じゃあ旦那さんは死ぬつもりではいたんだね。
 でも乗り換えによる故意の自殺は違法でしょ?」
「彼が飲んだ薬は隠匿性がとても高かった。
 ファーカミ14っていうんだけど」
「ああ、あれか」
「しかも死ぬ前に奥さんとセックスしたの」
「……どういう事?」
「老体で激しい運動をしたあとの心臓発作だと」
「あーあー、なるほど、みせかける為ね」
「普段はいつもすぐシャワー浴びる人らしいんだけど、
 その日はわざと入らないままだった。
 あたかも、セックスしましたよって主張するみたいに」
「奥さんは何してたの?
 旦那さんとセックスしたんだったらまだ家に居たんでしょ」
「その日彼女はコンサートに行ったの」
「旦那を残して?」
「そう。」
「趣味が合わない夫婦だったの?」
「まぁ……旦那さんがあまりそういうの好きじゃなかったわね。
 奥さんが家を出たのは四時半。
 その後五時前後に不倫相手と連絡取り合って、
 六時に死んだの。」
「……ちなみにその不倫相手の名前は?」
「この話、面白い?」
「かなり興味深い」
「須藤って名前だったわ、確か。
 彼女は奥さんがなんらかの方法で殺したって主張したけど、
 死亡時刻に奥さんはコンサート会場、
 そもそも家のセキュリティ記録に第三者の出入りは無し、
 旦那さんが死んだ時家は完全に密室状態、
 しかも自殺をほのめかす事を不倫相手に言ってたの。
 彼女の登場は完全に裏目で、
 旦那さんが自殺した可能性を深めただけだったわ」
「……で、その後は?」
「え?」
「その後。なにか続きは無いの?」
「そうね……その奥さん、謝りに行ったんだって、
 乗り換えの斡旋してくれた会社に。
 ほら、自分の旦那が違法な事をしようとしたのよ、
 最終的に乗り換え出来なかったから法に触れる事は無かったけど、
 色々心配や、店舗に御迷惑をかけてすいませんでしたって。
 良い奥さんでしょ?
 話は大体こんなところ。楽しかった?」
「……まり子」
「ん?」
「僕ね、最近小説でも書こうかなって思ってるの」
「へぇ!面白いじゃない、どんな?」
「どんなのかは決めてないけど、
 ミステリーなんて書けたらカッコイイと思ってるんだ。」
「本出したら読ませて」
「それでね、僕達今、酔ってるよね?」
「ええそうね、お陰でちょっと落ち着いてきたけど」
「酔いの冗談で考えたんだけど、
 もしその奥さんが、
 実は旦那さんを何らかの方法で殺していたら、
 面白いと思わない?」
「――私の友達の話よ?」
「だからだから、もしも、もしもの話。」
「……良いわ、続けて?」
「本当?良いの?僕の勝手な妄想だけど」
「あなたが将来売れっ子になれるか見極めてあげるわ。
 そう言えば聞いてなかった、名前を教えて?
 名前が判らなかったら本を探せないもの」
「名前は勇人。ファミリーネームは赤沢。」
「オッケー、ユート。」

じゃあその妄想を聞かせて。

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