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その九人はどうした 後編

お水を頂き有難う御座いました。
こう言うのもなんですが、
まさか本当に頂けるとは思っていませんでした。
死に際の身で我儘も言ってみるものですね。

それで、どこまで話しましたか。
土に落ちたパンを口に入れたら、砂利を噛んだところですね。

私がそのパンを口にするまではらい病人の事を忌み嫌い、
自分が茶色の布を着る事になっても依然として嫌悪していました。

けれどパンを口にし、
腹が久しぶりに動いて痛みをキリキリと出したもので、
私はようやく気が付いたのです。

らい病人とか、惨めだとか、
そんな事はどうでも良い、と。

その時の私には生死の境がじりじりと迫り、
腹は空き、寝る時は冷え、
気を抜けば死ぬかも知れないような有様で。
そうすると「どうでも良い」考えはしないようになるんです。

らい病人なんてどうでも良い。
好きとか嫌いとか、下らない。
らい病人から貰ったパンだからといって、
それがどうした、と。
私は自分がそんな贅沢な考えをしている場合ではなく、
目の前の生き死にを考えなければならない状況だと悟ったのです。

それまでは洞窟の入り口の近くで独りいる事が多かったのが、
中の方まで入ってらい病の仲間と肩をくっつけたり、
町に施しを受けに行く際にも一人離れる事はしなくなりました。

結局、らい病人と言えど、
私と同じ人間なのです。

かつての友が私に酒を飲ませてくれたように彼らは私とパンを分かち合い、
母が私の寝床に毛布をかけてくれたように彼らは私に布を貸してくれました。
ただ、母はもうこの世におらず、友たちは私を見捨てました。

不思議なものです。
人は同じような物を持っている者には寛容ですが、
自分よりも持たない者に対しては至極冷酷になるのです。

私はそこで漸くらい病の仲間達の気持ちを推し量れるようになりました。
お前は元々何をしていたんだ、どこに住んでいたんだ。
そんな事をぽつりぽつりと尋ねて答えて、
身体の異変に気付く頃には、
すっかり彼らの身の上を知り尽くしました。

そして彼らがこんな目で見るのです。
そう、今、あなたを見ている私の様な目で。
下まぶたを膨らませ、眉間に少し皺をより、
そして目の奥に私を映して、
私の肌が彼らのようにボロボロになっていく事を、
言葉なく知らせてくれました。

慌てませんでした。
泣きませんでした。
なんでこんな事に!!なんて、
叫び声一つあげませんでした。
来るべき日が来た、それだけです。

彼らとパンを分け合わなければそうはならなかったでしょう。
彼らに身を寄せて眠らなければそうはならなかったでしょう。
でも彼らと生を分かち合わなければ私は孤独の内に死んでいました。
そして、今こうしてあなたの前で話す事も、無かったでしょう。

――噂を聞いたのが、
いつもより多く施しを受けた日の、また次の日でした。
どうやら近くにナザレのイエスという高名な師がいらしていると。
その方はめくらの目を開け、
口のきけぬ者の口を話すようにする、
神の御子と呼ばれている方だと、私達も街角の噂話で聞きました。

その時の私達がどれほどお互いの顔を見合ったか想像できますか?

耳は膨れ、
鼻は落ち、
目蓋も垂れ下がって、
唇は引き吊っている。
指だって酷いものでした。
ある仲間は腰が曲がり過ぎて、うまく歩けない、

それが、治るかも知れないと!
肩で息をしながら興奮したものです。
早くナザレのイエス、我らの救い主よ、この町に来たれ!
思いつくままにそう歌いながら洞窟へと帰り、
その日は余りの興奮でなかなか寝付けない者が殆どでした。
喉も良く乾きました。興奮し過ぎたのでしょう。

そして遂にあの日がやってきました。
弟子たちを引き連れていらっしゃったのですぐに分かりました。
ナザレのイエス、我々の病気を治すかもしれないお方。
この時を逃せばもうこのまま死ぬだけです。

イエス様、先生!
どうぞあわれんで下さい、
我々を憐れんで下さい!

私達は声を張り上げました。
誰もが生きていて一番声を張り上げました。
もちろん、私も。

そうしたらあのお方が私達に近寄ってきてくださったのです。
誰も近寄らないようにしているらい病人の私達に、
あのお方は真っすぐに歩いて来て下さり、
私達は自らの身体の病を知らせる為、
被っていた茶色の布を取りました。
その時初めて顔の全てを見た仲間もいます。
その仲間は……酷いものでした。
瞼が両方とも、崩れて……話の続きですか。判りました。

あのお方は私達を御覧になるとこう仰りました。
行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい、と。
祭司がここで言う、神官様の事だとはすぐに分かりましたが、
私達はなかなかその場を動きませんでした。
聞いていた話では、直に病人の身体に触れられて癒す方だと聞いていたからです。
仲間の一人が尋ねました。
先生、我々はまだ触れて頂いてません。
するとあのお方の周りにいた弟子の一人が、
先生が仰っているのだ、行け、と言いました。

その時私はあのお方の目を見ていたのですが、
まるで、嘘が無いのです。
雲一つない澄んだ空の様な目をしていらっしゃいました。
これは私達の事を邪魔に思ってそう仰ったのではない、
きっと、もう既に何かが起き始めているのだと思った私は、
言われた通りに神官様の所へと歩き出しました。
他の九人の仲間も私の後ろを付いて歩き暫くした時、
一人が大声で叫びました。腰が伸びる、と。
らい病のせいで腰が曲がっていた仲間です。
すると次々に他の仲間も声を上げるので、
私も顔の崩れが激しくなっていた頬を触ってみると、
瑞々しい肌の感触が、手に伝わるんです。
私達はお互いの顔を見合わせると、
お互いに、治っている、ああ、治っているぞ!と、
それはもう、大声で喜び合いました。

お互いの体を触り合い、もみ合い、
もう、めちゃくちゃ。
そうそう、まるで子供が泥んこ遊びをするようですよ、
なかなか面白い例えを仰いますね。
そんな中、ふと私はあのお方の目を思い出しました。
結局私達は司祭に会いに行けと言われてそのまま歩き出したので、
感謝の言葉を言っていません。
実際に治ったのはあの方のもとを離れたあとなのですから。
私は仲間が叫ぶ大声の輪の中、一人抜けて、
先生、救い主よ、ナザレのイエス、ダビデの子、万歳!
そう褒め称えながらあのお方へと引き返し、
足元にひれ伏して感謝しました。
もうそういうのも慣れてらっしゃるのでしょう、
弟子の方々も至って冷静に立ち尽くし、
私が気の済むまであのお方の足元で感謝するのを待っていました。

すると、あのお方がこう言ったのです。

「十人癒されたのではないか。
 他の九人はどこにいるのか。
 神をあがめる為に戻ってきた者は、
 この外国人の他には、誰もいないのか。」

と。
私はサマリヤ人です。ユダヤ人ではありません。

そして……あの方は私に言いました。
立ち上がって、行きなさい。
アナタの信仰が、あなたを救ったのです、と。

私はらい病が治った事だと思い、
その場に暫く跪いてあのお方を賛美していました。
あのお方は場所を移す為にゆっくりお歩きになり、
周りのお弟子さんの背中でいよいよ見えなくなって、
私はようやく立ち上がりました。
ああ、神の奇跡を受けたんだ、私が、実際にこの身に!
なんという素晴らしい体験だろう、
きっとこの日の為に、私はらい病の濡れ衣をかけられたに違いない!
どこも悪くなく、足が踏みしめた地面の感触が懐かしくすらありました。
もう身体の何処も、綺麗に昔のものにもどったのです。

しかし戻らないものがありました。
私の仲間です。

神殿に辿り着いた時、
私の仲間の死体が門の前に打ち捨ててありました。
どの仲間も酷く打ちのめされており、
幾人かは槍で刺された後がありました。

私を、そして仲間をらい病と定めたその神官は、
ふふっ、なんていうんですか、度が過ぎた潔癖で、
らい病人でなくともらい病だと決めつけ遠ざけたり、
汚い召使が家の中に居たら、叩きだしてしまうような、
なんて言うんでしょうね、
まるで酷く怯える子猫の様な人間だったのです。

なんで笑ったのかって。
さぁ……なんででしょうね。

あなたもご存知でしょうが、
一度らい病だと定められた人間は、
治癒した場合、また神官の前に出向いて、
もう治癒した、と定めて貰わなければなりません。
私の仲間達はもう、喜びで半分我を忘れていました。
後から聞いた話ですが、
茶色の布をまとったままの九人の仲間がそのまま神殿に押しかけ、
病気が治りました、見て下さい!と叫びながら神官に近づくと、
怯えた神官が僕に命じて滅多打ちにしたらしいです。

らい病が治る訳ない、と思っていたのでしょう。
私もそうでした。
仲間もきっとそうでした。
だからあんなに……子供みたいにはしゃいで……。
でも身体は大人です。茶色の布を着ているのもいけなかった。
らい病が治り綺麗になった身体なのに、
すぐ九人の仲間は血だらけに変わってしまって。

嘘みたいでした。
だってそうでしょ。
あのお方が奇跡で身体を治してくれたのに、
すぐに死ぬだなんて。
私はまたあのお方の目を思い出しました。
あの大空の様な目を。澄んだ目を。

また引き返しました。二度目です。
一度目とは違い、賛美する歌も歌わず、
私が出せる一番の走りを――あのお方は、ゆっくり歩いていました。

先生、聞いて下さい、先生!
私の仲間は死にました、九人の仲間は死にました!
先生が癒して下さったのに、どうしてこんな事になったのですか!
どうして私の仲間の命を救って下さらなかったのですか!
あなたは神の子です!私は存じております!
どうして仲間は死んだんですか!貴方なら救えたでしょう、先生!

――そう叫びました。うるさくしてすいません。
するとあのお方は仰ったのです。

「言っただろう。
 貴方の信仰が、貴方を救ったのだ、と」

ああ、そうか。
戻って礼を言ったのは私だけだ。
他の九人ではない、私だけだった。
その事を、私はすぐに悟りました。

まるで嵐の中の葦のように私の心は乱れ尽しました。
病を治され喜び沸いて、
仲間が殺され悲しみ倒れ、
もし心という物がこの手に触れたら、
まるでぬかるみの泥の様だった事でしょう。

私はあのお方に申し上げました。

「先生、礼を言いにこなかったのであの者達を殺したのですか。」

するとあのお方が、

「いや、九人を殺したのは神官であって私ではない」

と仰る。なので私が、

「でもあなたは御存知でした、あの仲間達が死んだことを。
 それをどうして助けてくれなかったのですか、
 病を治して、どうしてお見捨てになったのですか!」

と怒鳴ると、

「もし、私が彼らの心を操り、
 貴方のように私の所に礼を言いにこさせるなら、
 そこに何の信仰があろうか。
 信仰とは与えられるものではない、自ら気付くものだ。
 それに全てが思うように操って、
 この世の何が面白い。」

と、
それを言ったのは、
お弟子達から離れて、私の耳元に顔を寄せられた時でした。

その時に勝る恐怖を、
今まで私は感じた事がありません。
殺されるかも知れない、今ですら、です。

私にこの話を聞かされた貴方達もまた不幸です。
あの方はしっかりと仰いました。
この世の何が面白い、と。

この世の何処かで誰かが悪事を働くのも、
誰かが良い事を行うのも、
結局は、ええ、神の暇潰しである、という事なのです。

あの時あのお方は私達十人で遊んだのです。
それで戻ってきたのがたった私一人だったので、
あーあ、なんだ、たったの一人か、と。
そう、残念がっただけなのです。

今こうして私とあなたが話しているのも、
これから私が殺されるとしても、
明日、この世が滅びようとも。
神の前では等しく、ただ『起こるだけ』の、遊びの様なもの。

私があのお方を神と知るのは、
その故で御座います。

それにしても死なれたのですか。
なるほど。

この世にもう飽きて去られただけかもしれませんな。

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