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結婚をした理由は三つ。

初めて目が合った時にじっと見つめあった事と、
相手の喋り方がとても落ち着いていた事と、
映画の趣味が合った事。

あと、私の身体が弱くて、

「子供が出来なくてもいいですか」

と前もって断った際、

「別に今いない誰かの事は知らない。
 僕は君と結婚したいから大丈夫」

と言ってくれたのも高ポイント。
逆に私の何が良かったのと聞いたら、

「僕の仕事内容を聞いた時に、
 優しいんですねと言ったでしょ。
 頭がおかしいと思った。」

だって。
頭がおかしい女と結婚した夫。
自慢話にならない事は私も判ってるから、
この話は人前ではしない。

夫は仕事で自殺幇助をしている。


夫の仕事は他人の自殺の補助。
公共機関に属さず、個人事業。
ロープが要るなら用意して、
練炭が要るなら買ってくる。
死ぬところを見てて欲しいと言われたら、
双眼鏡を覗き込んで、
目をパンダにして帰ってくる。

「今日、どんな人だったの」
「死んだ人?」
「見届けた人」
「長い間闘病してた子供が死んじゃったって」
「うん」
「結婚してて旦那さんもいるんだけど」
「うん」
「旦那さんは仕事で家に普段いない。
 あちこち飛び回ってて」
「うん」
「けど探偵に調べて貰ったら出張先で不倫してたらしい。
 なんで調査を依頼したんだろうって言ってた。
 何も知らない方が良かったって。」
「うん」
「旦那さん、酷いと思う?」
「うーん……子供の病気の事はどう思ってたのかな。」
「僕もそれ聞いた。
 でも聞いちゃいけない事だった。
 聞いたらその人、泣いちゃってさ。」
「うん」
「僕の悪い癖だ、何でも聞こうとする」
「じゃあ、私も悪い。
 私でもきっと聞いた。」
「うん」
「うん」

夫は話を聞く。
本当によく聞く。

死ぬ間際に皆が夫にこれまでの全部を話し始め、
夫は毎回相手の気が済むまで話を聞く。
出会ったばかりの頃の私にしてくれたみたいに。
夫は優しい。
その優しさを少しでも肩代わりしたくて、
夫が聞いてきた話を私も全部聞く。

昔、夫は仕事帰りに絶対映画を一本借りて来てくれた。
御飯を食べた後に、それを見る。
今はNetflix。
媒体は変わったけど必ず見る。

人の死を見た後だから、
家に帰ったら妻と狂ったようにセックスをする。
そうやって正気と狂気の均衡を保っているのだ。

なんて事は無い。
そんなの映画や本の中だけだって。
そうした方が見てる方が面白がるからって。

実際は御飯食べて映画見て、
それで「もう寝よっか」って寝る。
そもそも、私の身体がセックスにあまり向いてない。
絶頂の際に必ず過呼吸になる程弱い。
そんな私に夫は本当に優しくしてくれるんだけど、
それはわざわざ披露する話じゃない。

でも気になってはいる。
人が死ぬところを沢山に見て、
頭がおかしくならないのかな。
歯を磨くのと違うんだから、
何度も何度もやったら、
頭がおかしくなっちゃうんじゃないかな。
あっ、でもだから頭がおかしいと思った私と結婚を?
だとしたら私ももっと頭がおかしくなってあげたいけど、

「今日の現場は?」
「中目黒」
「道具は?」
「二十階から飛び降りだって。
 だからこの鞄一つ。」
「気を付けてね」
「うん」

どうにかおかしくなったあと、
この人の好きなラザニアを作れなくなったら困るから、
玄関先でいってらっしゃいのキスくらいしか出来ない。

玄関のドアが閉まった後は私も自分の仕事をする。
作曲と編曲の仕事を外注で受けていて、
夫から仕事の話を聞いた次の日はとてもはかどる。
頭に浮かぶ誰かの死が私に発想力を与えてくれる。
納品先の人達はよく、

「御身体が弱いと伺ってますが、
 そんな方からこんな激しい曲が生まれるなんて」

とメールや電話で言うが、
本当の事を知ったらなんて言うだろ。
それ、誰かの自殺から作った曲です、
なんて。

「でもそれ位ならまだセーフ。
 自殺幇助でもないから、
 冗談で言ってみたら?」

そう言った夫に聞いてみた。
自殺幇助ってなあに?

「自殺幇助ってのは、
 誰かの自殺を手助けする事。
 この国じゃあそれは犯罪です。
 君はやっちゃ駄目だよ、捕まるから。」

そうなんだ。
じゃあ君のご飯を作ったり、
君の愛する妻をやってる私はきっと、
自殺幇助幇助だね。
そう言った私に夫は一言、

「頭悪そうな言葉」

とちょっと笑って、
その後私にポカポカと殴られた。

ところで、
死後の世界にお金は無意味です。
その事を夫の依頼人達はみんな判ってる。
夫は仕事の度に大金を持って帰ってくる。

「あげる人もいないから。
 預金、全部報酬として君に払うよ」

と言ってくれる方々が多い。
ありがたい事だ。
何せ、こっちはまだ生きる予定だもの。
口座振り込みだと『アシ』がつくからと、
毎回現金で貰ってくる。
夫も私もそんなに贅沢する趣味がないから、
通帳の数字がただただ増えていくだけです。

増える貯金、
夫と見る映画、
納品する曲、
夫がする自殺の話。

産まれない子供、
セックスのたびになる過呼吸、
実家のお母さんからの電話、
最近酷い肩こり。

良い事も悪い事もあるけれど、
この生活は他の何事にも代えがたい。

だから誰も私達から、
これを取り去らないで。


「山木清二さんのお宅ですか」

警察が来たのは、
夫が『飛び降り』の仕事に行った一週間後だった。

警察の制服は紺色だが、
私の目には葬儀屋の様な真っ黒色に見えた。

「あー、あの人振り込んじゃったのか」

夫がそうぼやいた。
飛び降りた人はどこかの銀行員で、
私達はたまたまその銀行に口座があった。
どうやら依頼人が残りの残高を全部振り込んでたらしい。

「自殺幇助罪で逮捕状が出てます。
 一緒に署まで来て下さい。いいですね。」

私の目の前で棒立ちで話を聞いてた夫が振り返り、

「ごめんね、晩御飯は一人で食べて」

とだけ言った。

まって、
待って下さい。
私も、私もなんです、その人だけじゃないんです。

私は夫を連れて行こうとした警官達に主張した。
私も自殺幇助をしてます、私も一緒に逮捕して。
そう言われた警官達は見るからに面倒臭そうな顔をした。
私は何かがフーフー鳴ってるなと思い、
それが自分の鼻息だと気付くのに暫く時間がかかった。

「まぁ、奥さんにも事情聴取しよう」

年配の警官のその一言で私は夫と同じパトカーに乗せられた。
「何言ってんの」と夫は呆れていたが、
私は下唇を噛み、
夫の手を握った右手をぎゅうぎゅうに、
それこそ万力にも負けないくらいの気持ちで握り込んだ。
パトカーから降りる時も握りしめ、
事情聴取で別の部屋に分けると言われても握りしめ、

「いい加減にしなさい」

と夫に言われてようやく手を放した。
手を放す私を見る夫の眉間に見た事も無い皺が寄っていた。
夫から見て私はどんな顔をしていたんだろう。
夫の瞳の奥に写る私を覗き込む間もなく、
私達はそれぞれ別の部屋に通された。

「奥さん、自殺幇助したって言ったけど、
 一体何したの。具体的に教えて。」
「――私はあの人が自殺幇助をしてるって知ってました」
「うん。かくまってたの?」
「かくまうって、どういう事ですかね」
「犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪。
 証拠を隠滅したり、」
「あの、仕事道具は全部家の中にとってあります」
「あ、そう……それと、
 逃走した者に場所を提供したり」
「夫は別に逃走してません……」
「あと警察からの発見、身柄の確保を免れさせたり」
「……そもそも夫が警察に追われた事は今回が初めてです」
「うーん、そうかぁ」
「……あ、でも!」
「お、なに?」
「夫が大変な現場って言う時は、
 晩御飯でラザニアを必ず作りました!」
「……ふふっ、え?なに?」
「ラザニアが大好きなんですあの人、
 疲れて帰ってきてもラザニアを食べると、
 ああ、これやっぱりいいな~って!
 それで元気になって、また仕事に、
 自殺幇助にでかけるんです!」
「はぁ……」
「それに、自殺幇助に行く朝に絶対、あの……」
「……絶対?」
「行ってらっしゃいの、チューを……」
「はぁ………」
「それに、あの、えー……
 そう!首吊りの現場に行く前日に、
 ロープを鞄の中に入れてあげた事もありましたよ!」

その言葉を聞いて、
ようやく警官の方はペンを取り、
何かの紙に文字を書き始めた。
でもすぐに書く事をやめたので、
きっとラザニアも、いってらっしゃいのチューも、
私が夫の仕事の為にした事は書き留める価値も無いのだと判り、
私は少し頭に血が上り始めた。

仕事の日は必ず映画を一緒に見る事。
見たらそのまま寝る事。
ヨーグルトとヤクルトを絶対飲む事。
他にも、私があの人のためにと、
あの人が仕事で元気に自殺幇助出来るようにと、
毎日あの人の事を思いながらやったあれやこれやを話したけれど、
それから警官が持っているペンは動く事が無かった。

焦る。
直感が私を脅す、
お前、このままだと釈放されるぞ。
夫はきっと逮捕されるけど、お前は違う。
ラザニア作ってるからって逮捕する馬鹿がどこにいる。

「おまわりさん」
「まだなにかあるの?」
「おまわりさん、御鮨食べます?」
「え?まぁ、そりゃ」
「お鮨屋さんは御鮨食べたい人に御鮨出しますよね。
 でも逮捕されないじゃないですか。
 夫は死にたい人に死ぬ手助けをしただけですよ。
 一体何が悪いんですか」
「いやっはっはっは、そりゃ駄目に決まってるでしょ。
 誰かの自殺を手助けするなんて、
 そもそも法律で罪と定められてるんだよ」
「だったらお鮨屋さんも逮捕して下さいよ!」
「ちょっと奥さん、冷静になろう」
「私はずっと冷静ですよ!
 夫はただサービスを欲しい人にサービス提供しただけです、
 自殺を手助けするって、それで捕まるっていうのなら!
 じゃあ死んだ人達を自殺に追い込んだバカも逮捕しなさいよ!
 浮気してた馬鹿旦那、
 ネチッこく未婚未婚といってくるセクハラ上司、
 子供はセックスすりゃ生まれると勘違いしているアホ親、
 見て見ぬふりして声もかけない冷血人間ども!
 私の夫はねぇ!
 苦しくてもう死にたいけど、
 一人で死ぬ勇気が出ない人達を助けてるだけなんですよ……!
 だって、誰かがその人達を助けたんですか?
 助けてないから死にたくなってるんでしょ?
 助けてって言われないと判らないって、
 死にそうな人の顔見ても何も察さない馬鹿が、
 偉そうにピーチくぱーちく言いやがって!」
「奥さん、落ち着いて」
「アンタが誰かを助けた!?
 夫が見届けたうちの誰かを助けたの!?
 何もしてないから皆死んだのよ、
 何もしてないのに清二君を逮捕するだなんて、
 ずうずうしいにも程があるわ!
 恥を知れ!!!!」

知らなかった。
自分の喉がこんなに大きな声を出せるなんて。

知らなかった。
こんなに沢山喋ると、口の中が苦くなるなんて。
誰かが言ってた、これは二酸化炭素の味だって。

「ユキちゃん」

取調室のドアが開くと、
夫が立っていた。
その後ろには警官が二人いた。
私の肩は生まれて初めて息遣いで上下して、
机を叩いた手の平は痛かった。

「そんなにうるさくしちゃ駄目だよ。
 冷静になろ。」

取調室と言うこの部屋が、
私と夫を生涯別つ悪魔の装置に見えた私は、
不意打ちに現れた夫の身体に絡みついて、
そのまま泣いた。

神様、御存知でしょう。
私の夫は本当に優しい人なんです。
誰かの話を聞く事が出来る稀有な人間なんです。
他の誰もが知らんぷりをしていても、
何があったかと声をかける優しい人なんです。
誰も殺してないんです、
ただ、死にたい人の手助けをしただけなんです。
誰かを助ける事は良い事の筈なのに、
どうして夫は逮捕されなきゃいけないんですか。

ああ、そうか。
今ようやく安心できた。

私達夫婦は結婚式を挙げず、
ただ書類の手続きだけで夫婦になった。
SNSで結婚報告も出さなかったし、
結婚指輪も買わなかったし、
子供だって生まれていない。
妊娠検査薬なんて買った事も無い。
色んな人達に「いつの間に結婚したの?」とか、
「まるで形だけ夫婦になったみたい」とか、
親にも「まぁアンタ達が良いなら」とか、
そんな事を言われ続けて、

なんか
これは違うのかな
普通の夫婦じゃないのかな

なんて思ったりもしたけれど。

「ぎいで、きいで、せいじぐん、えぐ」
「うん、うんなあに」
「ぎみのためにラザニアやいだのに、
 自殺幇助にならないっで」
「そりゃそうでしょ、
 どんな凶悪なラザニア焼くの。
 いつもユキちゃんが作るラザニアは美味しいだけでしょ」
「うわああああああああ」

私達、案外普通の夫婦で、
私は君の事をちゃんと愛せていたんだね。

だって清二君、私、
ここから一人で家に帰るのが凄く怖い。

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