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ああ人の心は判らない

クトロキューとはギリシャ神話では珍しく、
パーンに並び「死んだ」と明記される二神のうちの一人である。

人の心を読むクトロキューは人々の心を読んで歩き、
後ろめたさや弱さに付け込んで多くの女性と関係を持った。
それがあまりにも明け透けであった為に人々の怒りを買い、
大勢に追われる状況から犬に化けて夜の森に逃げ込んだが、
森を縄張りにしていた狼達に噛み殺さる最後を遂げる。

クトロキューの死因は弱い犬に化けてしまった事ではなく、
人の心を読む力を邪な用途に使った事にある。
そう考えたのは一人の科学者だった。

この科学者、
悪の組織に属しており、
組織員が扱う武器の開発は勿論、
組織員の怪我の治療に用いる薬、
果ては休憩用の高機能ベッドなど、
とにかく手広く開発を手掛けていた。

悪にはロマンがある。
悪はいつか正義になる時が来るのだ。

勝てば官軍、
今は悪と呼ばれようとも、
ボスの崇高な思想が全世界に轟いた時、
ようやく悪は正義に変わる。

そのロマンを信じてこの科学者は組織の為に働いていたが、
ロマンには障害が付き物である。

最近、どうにも勢力拡大の調子が思わしくない。
その事を組織員も実感しているのか、
通路ですれ違う誰も彼もが顔を曇らせている。

精神は肉体に密接に関係するのは判りきった事、
これは組織内の士気を上げないと組織崩壊に繋がりかねん。
そこで科学者が目を付けたのがクトロキューの神話である。

クトロキューは折角人の心を読む力を持っていたものの、
読んだ心の悪い部分だけをチクチクと口にした。
誰もが聞きたくもない心のうちを洗いざらい言われ、
その弱った所をやり込んだクトロキュー。
しかし最後は人に追われて狼の餌に。

当たり前の話だが、
人間が言って欲しい言葉だけを口にしていれば、
そんな事にはならなかったのでは?

人間誰しも『聞きたい言葉』と『聞きたくない言葉』がある。
それはまさに甘い菓子と不味い泥のようなもの、
甘い菓子の方が人間の機嫌を良くするのは明白ではないか。

なぜクトロキューはわざわざ不味い泥の方を人間に食わせたのか。
他の神々はちゃんと甘言を駆使して狙いの女性に取り入ったりしてるものを、
どうやら『神』と名の付く全ての者が利口な訳でもないらしい。

ならばその力、
現代で賢く使ってやろう。
そう思った科学者が完成させたのが『クトロキューの恩恵』である。

このクトロキューの恩恵の完成の翌日、
悪の組織は解体した。

クトロキューの恩恵はシステムの一種で、
機能するには音声の入出力と脳波感知装置が必要だ。
その全てを搭載した雛型ロボットは少し頼りない風貌だったが、
この際贅沢は言ってられない。
勢力拡大がなかなか進まない組織内の台所事情も芳しくなく、
組織食堂の目玉メニュー、特盛C定食が看板から消えた事も貧困具合を物語る。

ええい、とにかく試運転だ。
電源が入るクトロキュー、前に立つ科学者。
ちなみに昨日の晩から腹に飯は入れてない。
そろそろ空腹も限界である。

「クトロキュー、こんにちわ!」

クトロキューが対象とする人間の心を読み、
今一番かけて欲しい言葉を分析するには相手の挨拶が必要である。
その声の調子や口の動き、脳波の感応等から分析して、
相手が言って欲しい言葉を割り出す。

「博士天才!前カラ知ッテタケド超天才!
 コノしすてむデ組織ノ中、メッチャ活性化スル事間違イナシ!」
「おおー!そーじゃろそーじゃろ!?」

興奮する博士、
唸る腹の虫、
しかし空腹など今はかまっていられるか、
早速アジト内の組織員の士気を回復してやる!
意気揚々とクトロキューを連れた博士はアジトの中を飛び回った。

「ソノ鍛エタ肉体デイツモ頑張ッテル、凄イ!」

「武器庫ノ整理ヲイツモシテクレテアリガトウ!
 取リ出シヤスクテ本当ニ助カル!」

「料理長ノ腕ハ世界一!
 今度ノ新めにゅーモ限ラレタ食材デ繊細ニ作ラレテテ職人技!」

至る所でクトロキューの言葉が士気を高める。
人間は千差万別、かけて欲しい言葉も色とりどりだが、
確実に心の琴線をかき鳴らすクトロキューの出来栄えは見事なものだった。

「凄い!凄いぞクトロキュー!まさかここまでとは!
 お前のお陰で今組織内は沸きに沸いておる!!」
「くとろきゅーヲ作ッタ博士ガ凄インデス!」
「たはーっ!嬉しい事を言ってくれよる!
 それではいよいよ一番クトロキューを必要としている人のもとへ行こう!」
「ぼすデスネ」
「そうとも!ボスの士気を上げればまたこの組織は最高潮に活気づく!」
「博士天才、ヨッ、名参謀」
「はははこやつめ!さぁ行くぞ!!」

クトロキューを脇に控えさせ、
ボスの元へと練り歩く廊下の固さが靴に響く。
固い物がぶつかり合う音が細長い廊下に木霊し、
それはあたかも来る理想の未来への調子取りのようだった。

士気を取り戻した組織員達。
クトロキューの言葉を得たその目は輝きを取り戻したが、
優秀な兵は優秀な指揮官無くしてはその全てを発揮しない。
あとはボスにもクトロキューの効果を得て貰い、
再び全盛期のような組織に生まれ変わるのだ。
引いては組織食堂の特盛C定食も復活し、
躍進次第では更に大盛サービスも視野に入れられる筈。
いや、やはり胃袋が満足せねば士気は保たれまいよ。
出来るなら飲み物サービスもウーロン茶とオレンジジュースの二択にして欲しい、
あー今度の食堂目安箱にそう書いちゃおうかなー。

カツ、カツ、という靴底の音を太鼓代わりに、
科学者の妄想は更に伸びていく。

「ボス!」
「ん、なんだ」
「実は新しい発明品が完成しまして!」

科学者がクトロキューの説明のみならず、
他の組織員で試した輝かしい実績を余すことなく報告するが、
その瞳の輝きのなんと眩しい事か。
人の心を読むシステムと聞いて一瞬いぶかしんだボスの顔も、
熱意の籠った説明が長くなるにつれ和らいだ。

「じゃあ、俺もしてみるか」
「是非!」
「クトロキュー、こんにちは」

ボスの声に科学者の頭の中に走馬燈のようなものが駆け巡る。

自分がまだ幼かった頃、100点を取った算数のテスト。
それを母に見せたら「ふーん」と言われただけで終わったあの日。
子供だった科学者は親からの多大な賞賛を期待していただけに、
その乾いた言葉は子供の心を落胆の淵に叩き落した。

他の人間には褒めて貰わなくても良かったのだ、
ただ親にだけ褒めて貰えればそれで良かった。
しかし親と子でこうも関心事に差があるものかと、
科学者は幼少期に寂しい悟りを開いた。

だが大人になり、そんな事はそこここに溢れている事を知る。
誰かの成功を寧ろ妬む者、
興味が無く偏見でないがしろにする者、
他の者の利益の為に正当な評価を下さない者。

この世の中、
そこら中にクトロキューが溢れている。

こんな腐った世の中を正す為、
今は悪と呼ばれようとも、
きっとこの世を変えて見せる。

さぁボス、今一度ほとばしる程の士気を取り戻し、
勢力拡大、引いては世界征服の新たな一歩を!

そんな事を科学者が思っていると、
クトロキューが音声を出し始めた。

「ぼす、今マデヨク頑張ッタネ。
 突ッ走リガチナ部下ノ手綱ヲ引イテ疲レタデショ、
 コノ方ガ貫禄ガアルト言ワレテ、シタクモナイめいくモシテルシ、
 毎月ノ決算書ハ最近ズット真ッ赤ッカダシ、
 経費削減デ食堂ノめにゅー減ラシタラ文句言ワレテルデショ。
 結局ソウナノヨ。
 新シイ組織作ッタッテ、新シイ国作ッタッテ、
 結局ソウイウ事ナノヨ。
 モウぼす、沢山頑張ッタカラ、ココマデニシテオコウ。
 香川ノオ母サンノ肉ウドン、食ベニ帰ロウ。」
「なっ、クトロキュー!お前なんて事を―――」

システム、『クトロキューの恩恵』は、
決して対象をやり込めたり騙したりする機能は無く、
ただ純粋に『言って欲しい言葉』を読み取り、
それをただ単純に対象に与えるだけの機能を有する。

よって、クトロキューから出る言葉は本来対象の心の中、
その更に奥底に霞の様に揺蕩っていたもので、
気分を良くする為だけのまがい物などではない。

「ボス……」
「………ごめん加藤、ちょっと一人にして」

ギリシャ神話の神の一人、クトロキュー。
その死因は弱い犬に化けてしまった事ではなく、
人の心を読む力を邪な用途に使った事にある。
そう考えた科学者だったが、

今、考えをまた新たに思う、本当にそうだろうか。

『人の心を読む』などと言う力を人間相手に使っている以上、
いつかは神に見合わぬ最後を遂げていたのではないだろうか。

『人の心を読む』など、
『人の世』には、あってはならぬ事なのかも知れぬ。

クトロキューの恩恵の完成の翌日、
悪の組織は解体した。

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