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山の獣達が頻繁に通るのでその道には草木が生えない。
それが獣道と言うものだが、
すみれの場合はどう呼ぶだろうか。

すみれの『沼』が動いた時、
掬われてしまえば命のある者はするりと落ちる。
それが虫だろうが草だろうが例外は無い。

山の中に出来たすみれのいつもの通り道、
きっとそれは『すみれ道』だろう。
ただ誰もそう呼ぶ者はいない。
それを『獣道』と呼ぶ誰もがすみれの存在を知らないからだ。

『すみれ道』を往く沼が一つあった。
いつもよりその『沼口』を小さくすぼめ、
忍ぶが速くもある勢いで村の中を巡った。
すぼめた分だけ沼の中はギュウギュウである。

だが仕方ない。
五十八が連れていかれる時の歌の内容からして、
村の人間達にすっかりすみれの事はバレている。
後はどこまで恐れが増長されているかだ。

おっかなくて見たら小便漏らしそうな化物!
とか勝手に考えてくれてれば有難い。
そうすればすみれも色々と打つ手が開ける。

しかし相手を呪い殺す事はおろか、
ろくに溺れされる事にも慣れてないと知られるとまずい。
何せすみれは人と争い事を構える事が苦手も苦手。
沼に誤って飛び込んだバッタを助ける程には優しい性根。

縛られた五十八を見て山を駆け下りてきたのはいいものの、
これからどうしよう、どうしようと心中てんやわんやだった。

二つ地蔵の前まで来た時にすみれは沼から顔を出した。

「お地蔵様よう、私が誰かに好かれるなんぞ、
 身の丈に合わない贅沢な事だったのかの」

自分と関わらなければ五十八もこんな事には。
昼にもならない朝っぱらから縛り上げられ、
大の男達に担がれ攫われる様な仕打ちをされ。

今頃五十八だって、
あんな女に関わらなければ、
なんて思っとるだろうな。

消え入るようなため息をすみれが吐いたあと、
遠くの方で幽かに音が聞こえてきた。
何か物を叩いている音がする。
おっと、加えて何かを歌っている声もする。

すみれは二つ地蔵の後ろから回り込み、
すぼめた沼を滑らせ隠れながら声のする方へと向かった。

声の主達は数人の男女だった。
なにやらおかしな行列に見える。

男二人と女一人、真っ白な着物を着ており、
その前後を坊主が二人ずつ、桶を手で叩きながら歩き、
さらに大人の男が四人、それを囲むように歩いていた。
歌っていたのは真っ白な着物を着ている三人、
それはまさに死に装束で、
寺の和尚が三着だけある、と貸しものだった。

歌声が聞こえる。
その内容も。

「はーらいおはらい ひあぶりでー
 けがれたからだはほのおでおきよめ
 ひあぶり ひあぶり ひあぶりでー
 うらむないそはち ひあぶりパチパチ
 おばけのおはらい ひあぶりでー」

(お祓いお祓い火炙りで
 穢れた身体は炎でお清め
 火炙り火炙り火炙りで
 恨むな五十八 火炙りパチパチ
 お化けのお祓い火炙りで)

一目見れば大道芸人かチンドン屋か。
しかし歌を聞けば随分物騒なものではないか。
事情を知らない者が通りすがればポカンと見るに違いない。

だが事情を知っているすみれは青ざめていた。

こうしちゃおれん。
自分のせいで五十八が火炙りになるなんて、
そんな事させてたまるか。

五十八が連れていかれた方へと沼をうごかすすみれ。
行列は影で動くすみれに気付かずに通り過ぎて行く。
その一番外側を歩いている男二人がヒソヒソと内緒話を始めた。

「それにしてもなぁ」
「うん」
「千代の奴、とんでも無い事を言い出しやがる」
「ああ、年々男勝りになりやがる、あいつは」
「女が冗談でも火炙りなんなぁ」
「でも勇ましい女子は昔もいたろ、巴御前とか」
「勇ましいというか、アイツは恐ろしさを感じる」
「まぁ今回の事はしかたねぇ。だってほら、千代はアレだから」
「アレ?え、そうなのか?」
「そうだろ。五十八だろ」
「えーそうかぁ」
「そうでもなけりゃあそこまでやるかよ」
「かーっ、五十八もスミに置けねぇなぁ」
「千代も頭に血が上ってるんだろ。さもなけりゃ、」

あんな事を言い出すかよ。
と男達が話す千代の猛々しい話は少し遡る。

「火炙りにする!」

という千代の言葉に寺に居た一同はざわめき立った。

お化けに憑かれているとはいえ火炙りなんざおっかねぇ。
そうだそうだ同じ村のモンなんだ、火炙りなんて出来ねぇよ。

「話は最後まで聞きなー!」

先程よりもかなり大きい怒鳴り声が一同の背中を真っすぐにする。

「火炙りにする!
 って村中で騒ぎ立てるんだよ!」

家から五十八を連れ出す時に歌う事を提案したのは千代。
五十八をお化けが呪い殺せば他の村人を呪い殺すやもしれん。

「ならばいっそこの度で逆に成仏させる他無い!」

歌いながら連れて行く事でお化けに知らせ、
更に火炙りにすると言いふらす事で寺に来させる。
そこで一網打尽に御陀仏という段取りだ。
みんな、判ったかい!

と、ここまでが千代の提案で、
当然疑問の声もあがった。

「それで本当に来るかのう、お化けさん」
「くる、絶対来る!」
「なんでじゃ?」

唸った。千代だ。千代が唸った。うんっ、と。

「……まず先に五十八を寺の中に押し込めちまいな、
 作戦の段取りを聞かれて何かの弾みでお化けに漏らすかもしれん」

ここまで大っぴらに話しておいてそんな。
村人達はそう思ったが、
千代の言うがままに寺の本堂の中へ五十八を隠した。

「それで?」
「アタシ実は一度お化けに怒鳴ったんだよ。もう会うなって。
 その時は尻尾巻いて逃げやがったんだ。
 それでもコソコソ会いやがって……!」

それを聞いていた村人の中の数人が何かを悟ったようだった。
また別の数人は元々悟っていたのか口を開けてため息を出した。
あー、こりゃあ仕方ないねぇ、と。

「あいつは五十八に惚れてんだよ、お化けの癖にっ。
 それで五十八が火炙りになると聞いてこない筈だ無いだろう!
 おい、香六、どうなんだ!」
「あ、来ると思います」
「そうだろう!平蔵!」
「え、俺?あーうん、くるくる」

うん、と自らを納得させるような頷きを一つして、
千代は自分の太ももをパンと叩いた。

「これから言う段取りで行くよ!まずはね!」

と行列を出させたのがこれまでの運びとなる。

わざわざ夜まで待てようか。
夜はお化けの独壇場。
相手の都合を良くするのは馬鹿、
ならば朝から仕掛けてやろう。

指示を飛ばしながら汗を流す千代は自信満々、
それに引き換え村人達は半信半疑だった。
こんな日が昇ってるうちからお化けさんが来るのかと。
そう思うのも仕方ない、彼らはすみれを見ていないのだ。

そうして千代の頭が茹っている頃、
すみれもまた目を血走らせていた。

目につく物の全てが邪魔だ。
家の裏の木々、まだ寝ている猫、
払いのけられるものは手で押しのけ、
すみれは五十八が連れていかれた方向へと沼を滑らせる。

行く先を最後まで見てなかったので正しい場所は判らないが、
先刻見た珍妙な行列に坊主が二人も入っていた。
するとなると寺に五十八を匿ったんだな、そうに違いない。
きっとどうやって退治しようか考えてるに違いない。
私を五十八から離したいに違いない。

違いないと思う事が、
どれもこれも嫌な事ばかり。

きっと神と仏が寄ってたかって私に意地悪してるんだ。
きっとそうに違いない。

でも生憎様、もうしょげてやらない。

生きてる時は眠そうな顔だと散々馬鹿にされてさ、
悔しくても黙るだけの能無しだったけど、
五十八と笑い合っているうちにその女は死んだみたいだよ。

今は『すみれ』。

ただ好いた男一人と笑っていたいだけなのよ。
それがそんなに悪い事だっていうの。

そりゃあちょっとは生気を吸っちゃうわ。
でも生きてる男女だって喧嘩しない訳じゃないでしょう。
私の両親だって些細な理由で喧嘩する事があったわ。
それに人間生きてたら風邪だってひく。
そんな時は相手のお世話になるじゃないの。

恋仲の男女が全く傷つけあわない訳じゃないでしょう。
何かを相手に背負わせ無い訳じゃないでしょう。
全く相手の重荷にならない恋人がどこにいるというの。

あばたもえくぼって先人も言ったじゃない。

私と五十八はそれなりに上手くやってる筈なのよ。
それがそんなに悪い事なの。
どうなの。

どいつもこいつも、
生きてるってだけで調子に乗ってんじゃないわよ。

すみれが飛び込むのは随分と見え透いた罠だろう。
タヌキかキツネの方が余程上手い手管を思いつく。
だがそんな事は百も承知だと言わんばかりに沼が滑った。

さて、寺はと言うと村の男達が棒やら鍬やらを手に立っていた。
普段は手にした鍬で畑仕事をやってる頃だが、
まぁ今日一日ぐらいは良いだろう。

千代はキリキリと指示を飛ばして和尚にも檄を飛ばす。
お化けが出たら取り敢えず念仏を唱えろ、
上手くいけば成仏するかもしれないだろうと言っているが、
当の住職は不安で顔が歪んでいた。

寺の一角では男が二人立ち話をしていた。
いよいよ日も高い。昼飯はどうすっべなぁ。
そんな事を話していると急に片方の男が身体をかがめた。
いや違う、足を取られたのだ。

「うお!?」
「どうした!?」
「な、何かに足を掴まれたっ」
「ほんとうか  うあっ」

もう片方の男も態勢を崩す。
よろめいた身体で辺りを見渡すと、
そこには動く水溜まりがすすすと滑り去っていた。

「出た……出たぁー!みんな出たぞぉー!」

男の叫び声に境内の中は騒然となったが、
この寺の位置が何とも悪かった。
山の麓に面している場所に構えているので、
周囲六割以上が森に面している。
すみれはその森に気付かれないように忍び込み、
話していた男二人の後ろから彼らの足を沼に引き込もうとしたのだった。

「出たって!?」
「いた、本当にいた!水たまりが動いてた!」

慌てた声で話し合う村の面々の所に千代が突っ込んできた。
どこだ、どこで見たんだい!教えな!

「あ、あそこ。あの端っこの方の」

男が指を指している方とは逆からまた声が聞こえた。
わっ、という女のもので、皆が振り向いた時、
その足には水溜まりから生えた手が絡みついていた。

境内に人々の悲鳴が反響する。
山の向こうまで聞こえそうな大声を各々が上げ、
初めて水溜まりから手が生える様を見て腰を抜かす者もいた。

「こなくそ!」

威勢の良い声を上げたのは他でもない千代、
悲鳴を上げる村人の中で唯一叫ばず、
冷静に手にした棒切れを持って水溜まりの手に殴り掛かった。

手応えがあった。
千代の振った棒が水溜まりの手に当たると、
ボコっ、という音と共に手がひるみ、
掴んでいた女の足を放した。

「みんな、このお化け殴れるよ!」

まるで鼓舞するかのように千代が声をあげるが、
水溜まりから出た手の奇妙さに気圧され村人達は一様に肩をすくめている。
ええい、大人が揃いも揃って役立たずめ!
千代が心の中で毒づいている間に水溜まりは距離を取り、
その中からいよいよ水のしたたった女が出てきた。

これは夢か幻か。
言い伝えや御伽噺でしか知らない事が今、目の前で起きている。
これがお化けか。

村人一同の頭の中に「呪い殺される」という言葉が走った。

「五十八の縄を解け!」

すみれは精一杯の声を張り上げた。
これまでの人生、怒鳴り声など出した事も無かった。

「うるさい!化け物め!」

かたや千代は怒鳴る事に慣れていた。
長女の千代は妹や弟達を叱り、
男に混じって畑仕事を手伝う最中大声で呼び合う。
そんな生活を送ってきた千代の声が幾分勝った。

またすみれに打ちかかろうとする千代を見て、
逃げ腰だった一人の男の手に力が入った。
素早くすみれを突っついてみると、確かに手応えがある。
それを見て他の数人の男達も棒を突き出す体勢を取った。

打ちかかる千代の一撃をすみれは何とか交わしたが、
目の前に突き出される棒の数を見て不利を悟った。
なんとか他の輩の足を取れないかと回り込んでみるも、
突き出される棒が一緒に追ってくる。

最早村側の守りは盤石になった。

これはどうにもできん。
びしょ濡れの女はまた水溜まりの中に潜り、
森の中へガサゴソと逃げようとする。

「逃がすんじゃないよ!」

威勢の良さが収まらない千代が棒を片手にそう叫びたて、
逃げる水溜まりを追おうとするが肝心の後続が付いてこない、
足音が聞こえない。

千代が振り向くと村の者は棒を前に突き出してはいるものの、
足はその場から動こうという気配が無い。

「ふんっ、意気地なし共が!」

一言吐き捨てた千代が棒を握りしめ水溜まりの後を追う。

「千代っ、待て、一旦待て!」

寺の住職がそういさめたが最早聞く耳持たず、
千代の姿は森の中へ勢いよく消えていった。

間もなく昼時である。

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