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アンパッションドリーム 後編

パッションフルーツ、

と聞いて余程情熱的な果物なんだな、
なんて思われるだろうか。

日本語に『同音だが違う意味の言葉』があるように、
外国の言葉にも同音異義語はある。

パッションフルーツのパッションとは『情熱』ではなく、
キリスト教の用語で『受難』の事、
様々な捉え方でパッションフルーツはキリストの受難の象徴らしい。

さて現代、
日本人の夢はパッションドリームと呼ばれる。
勿論この言葉は良い意味を含んではいない、

「こんな夢を喰らうなんざキリストの受難の様なもの!」

と負方向の太鼓判を押されている訳で、
いつの頃からこんな不名誉な言語習慣が付いてしまったのか、
パッションドリームという単語を耳にする度に、
日本のバク達は眉間に皺を寄せていた。

そんな習慣から更に派生したのがアンパッションドリーム。
パッションドリームとは逆の味、
『受難』となじられるような味はしない、
むしろ進んで食べたくなる程の美味しさを持つ夢。
それでもなかなか食べられる機会は少なく、
日本人がこの単語を口にする機会も比例して少ない。

「タネは何かな」
「宝くじでも当たったかな」

夢の中で多賀さんが知らせてくれた後、
父と一緒にそう話した。

『タネ』とは夢を誘発する現実の現象の事。
例えばテストで良い点を取ればそれに纏わる夢を見るし、
会社で上司にこっぴどく叱られれば、
おっと、この話しは止しておこう。

アンパッションドリームのタネは主に二つ。
金と恋愛。

なんだそんなの、
ロマンもへったくれも無いじゃないか、と、
観客席からゴミが投げ込まれそうだがこれには理由がある。

当然金と恋愛だけではなく、
アンパッションドリームにはその他にも様々な種類がある。
あるにはあるのだが、その殆どが継続性が弱くて、
二日連続で似たような夢を見る事が確実と言って良い程に無い。
その点、金と恋愛の継続性の高さたるや、
非常に信頼性が高いのである。

日本のバクの習慣としてアンパッションドリームはその出没を共有するが、
それは金か恋愛の夢じゃないと報告に上がらない。

ここでアンパッションドリームが出たよ、と報告しても、
次の日も同じ夢が食べられなければ報告の意味は無いからだ。
バクの夢を食べれる射程は前述の通り約半径100メートル。
夢を食べる為に対象の近くで寝なければならない。
ホテルに泊まるか、車の中で寝るか。
だがそれは簡単な事ではない、
成人独身ならなんて事は無いだろうが、
未成年や既婚者だと事がすんなりと運ばない。

「アンタ、こんな時間にどこに行くの?
 泊まり?どこによ。田中くんち?
 えーじゃあちょっと連絡の一つも入れとかないと!
 そんなのいいって?アンタは良くてもこっちは良くないの!」

と言われでもしたらもう面倒だ。
これは未成年のパターンであるが、
既婚者の場合も外泊の理由をこじつけるのに手間がかかる。
会社で泊まりの仕事が出来た、だの、
友人と朝まで飲みたいから今日は帰れない、だの、
いずれも何らかの理由で嘘だと判れば最悪離婚まで繋がる可能性がある。
夫婦が夜に同じ家に居ないというのは、
それが『当然』である家庭にとって一触即発の問題事になりうる。

父の喉が唾をのんだ。
そして僕にこう言う。

「いいなぁ」

それに僕、

「ごめんね」

とだけ言う。

仕方ない、
父は大学の教授をしていて泊まり込みの仕事と言うのが一切無い。
割と時間が自由に使える職業として父自身も満足しているようだが、
その時間の自由度がこういう時に逆に仇となっている。

「ちょっと今日は泊まりで学校に」

と父が母に言ったとしよう。
すると母はきっとこう言う。

「なんで?」

母も元々大学で研究室にいた人間、
父のしている事柄が泊まりを必要としないと重々承知、
嘘もあっという間に見破られて夫婦間に亀裂が生まれかねない。

「沢山食べてくるね」
「いいなぁ」

その点僕は今恵まれている。
今大学生という身分で就職も控えていない、
一言「飲みに行ってくる」と言えば、
母も「その後はカラオケ?カギは閉めとくわよ」と容易い。

大学生になって初めての事だ。
今までアンパッションドリームの報告を聞いても動けなかった。

僕は嘘が下手で、
母に些細な事でも嘘をつくと、

「アンタそれ嘘でしょ」

と見破られてしまう。
アンパッションドリームの報告を聞く度に父から、

「大学生になるまで待とうな。
 それまでは母さんに心配かけさせないでくれ」

と言われ続けていたが、
ついにこの時が来た。

飲みに行くと言って財布に入れた福沢諭吉、
しかし実はホテル代。
家から出る時に母から、

「アンタ本当はどこに行くの」

と聞かれないか心臓がバクバク鳴っていた。
曜日は土曜日、明日は日曜、母は、

「もう、無理しちゃダメよ!」

と言って台所から僕を見送った。
玄関まで見送ってくれたのは父だった。

「ハラ壊すなよ」
「ははっ、壊さないよ、だってモノが違う」
「違う、喰い過ぎでだ」
「それなら寧ろ壊したいね!行ってきます!」

向かった駅前の小さなホテルは少し寂れていた。
突如として集まった大勢の客にビックリしたのか、
ホテル側の従業員は大慌て。
ロビーに並んだ行列が珍しいのか、
従業員室のドアからチラチラ誰かが伺っている。
並んだ客達は目を合わせるとニヤけながら会釈を交わし、
それぞれの部屋に向かっていく。

僕もシャワーを浴び、
寝間着を整え、
枕に頭を預けて夢の中に飛び込んだ。

いつもだと夢の世界は隣に父が居るのだけど、
今日は世界に入るや否やバクだらけで騒がしい。

「よし、皆揃ったな!あっちだ行くぞ!」

誰が決めた訳でもないリーダーみたいな人がそう掛け声を。
えいや、とバクの群れが夜の夢を突っ走る。
僕にとっては初めての事だった。
今までアンパッションドリームの報告を聞くだけ、
まさかこんな祭騒ぎを毎度やっていたとは知らなかった。
周りを全速力で駆け抜けていく他のバク達を見てあっけにとられ、
僕はぽかんとその行く先を眺めているだけだった。

自分はいわゆる『間抜け』じゃないと思っている。
でも周りで駆け抜けていくバクを見た時、
ふと父の事を思い出していた。

僕が初めて夢の世界に入った時、そこには父がいた。

「お前もバクになったか」

父はバクのイロハと掟を僕に教え、
それから夢の食べ方を教えてくれた。
夜は父との時間だった。
学校や部活の合宿、修学旅行以外は毎夜父と共にいる。
起きている時に喧嘩をした時は夜によく仲直りをした。

夢も大体同じものを食べた。
父が「ちょっとアレ食べてみようかな」と口にして、
「げぇ、マズイ!」となったものを僕も「どれどれ」と口にし、
「えげぇ、やっぱりマズイ!」なんて言いながら笑ったり、
僕がつまみ食いした夢が偶然美味かったりした時は父も呼び、
二人で「今日は運が良いな」と言いつつ舌鼓を打った。

父が食べた夢は僕も食べたし、
僕が食べた夢も父も食べていた。

周りで走り抜けるバクを横目に、
僕は父を探していたが、
直ぐに居ない事を思い出す。
そうだった、今日は僕、ホテルに泊まってるんだった。

走り去っていたバク達に送れること暫し、
僕もようやく夜の夢を歩き出した。

「あれ、お前」
「こんばんわ」
「こんばんわって、え?アンパッションドリームはどうした」
「なんか、食指が動かなくて」

夜の夢、
親子二人。
折角電車に乗ってホテルにも泊まったのに、
市を一つ隔てて僕はわざわざ家にまで戻ってきた。

「なんだ、集まった中の誰かとなんかあったのか」
「いや、別にそんな事はない。なんかただ……」
「なんだ、喰っといた方が良いぞ、
 夜自由に出かけられる時なんてそうそうないんだから。
 大学生くらいだぞ。就職したら仕事に響くし」
「でも今日泊まったホテル、バクでパンパンだったけど」
「そりゃあ土曜日だからだ。」
「ああ、そっか」

父がじっと僕を見て、
僕もじっと父を見る。
まだ子供の頃に初めて夢の中で父に会った時も、
そういえばこんな感じだった。

「なんか、
 父さんと一緒の夢を喰わないのって、
 なんか変だなって」
「え?」
「うん、まぁ、食う気が起きなかっただけなんだけど」
「なんだ、親離れできてないってか」
「いや、出来てる出来てる」
「出来てないだろ、今からでも遅くない、食べて来いよ」
「や、もう今日は良いの」
「今日はいいって、そうそうあるもんじゃないのに」
「いいのいいの」
「……」
「……」

ぐぅ

と二人の腹の虫が鳴った。

「はは、腹が減った。」
「……明日、横田さんちの夢でも喰いに行ってみるか?
 なんか最近車買い替えるらしいぞ」
「へぇ、そうなの?」
「なんか奥さんにゴネ倒して、ようやく決まったらしいって。
 ご機嫌だからそろそろ美味いんじゃないか」
「でもそれ、奥さんからの交換条件とかないのかな。
 そっちの方が苦かったりして」
「ありゃ。そうかもな」
「ははっ」
「あはは」

日本のバクは空腹なのが多い。

変な理由から、
日本人はそれを『義理』や『人情』と呼ぶらしいが、
とにかく、日本のバクは空腹なのが多い。

父と僕、
今日も二人で腹が鳴る。

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