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未払い残業代を骨が笑う 煙編
理不尽の欠片に触れた時を知る。
静電気はまるで稲妻の子供、
バチっと光ってピリッと痛む。
理不尽の欠片も似たようなもの、
チクっと傷んでキリっと歯がゆい。
目の前の光景はヴイカの口から今にも文句を零させそう。
心臓も無いのに動く自分が駄目ならば、
心臓も無いのに動くお前はどうなんだ。
こっちは骨だがお前は煙。
どっちも心臓が見当たらない。
「ここでは心臓が滞在証替わりなのか?」
「心臓があった方が生き物として健全だからな」
「じゃあアンタも心臓無いから駄目じゃないか」
「俺は良いんだ、俺は特例」
「じゃあ俺も特例にしてくれ」
「駄目だ駄目だ、じゃあ言ってみろ、
なんでお前はそんな体になったんだ?」
「………」
「言えない理由か?
言えない理由を抱えてる奴はここに掃いて捨てる程いるが、
お前の理由は特にヤバそうだ。
匂うんだよなぁ~、」
ヴイカの目の前で紫色の下半身がまた煙に変わり、
ぐるりとヴイカの身体に巻き付く様はまるで蛇。
「お前のその骨の身体からプンプン臭う、
なぁ、お前どうしてそんな体になった?
俺はこの森の管理者なもんでな、
理由も聞かずに余所者を置く訳にはいかないのよ」
「……魔王様に」
「魔王に?」
「蘇ったら骨にされてた」
「蘇ったら骨にされてた!
その骨が!
この悪名高きマルカトの膝に逃げ込む理由!
それが厄介の種だと察しがつく者は声を上げろ!」
ブー!ブーブー!
やっかい!やっかい!!
森のあちこちから姿の見えない大合唱。
その余りの多さにヴイカは腰をかがめて驚いた。
死角が多いとは言えこんなにも大勢に囲まれていたとは。
「魔王に骨にされたってだけでもお前はワンポイントだ。」
「ポイント?」
「厄介ポイントだ。スリーポイントを超えると!
豪華特典としてこの森から追放だ。」
「そんなルール聞いた事も無い」
「ローカルルールだから世間には浸透してないんだろ。
そして骨のお前がこの森に逃げ込む事でもうワンポイント。
それで心臓が無いのに動いてるから特別追加のワンポイント!
計スリーポイントでお前はここから退場だ。」
「待て、待ってくれ!」
「待って欲しいのか?
俺は優しいからな、じゃあ待ってやろう。
何秒待てばいい?」
「少し考えて心を落ち着かせる時間が欲しいんだ、
頼む、数日この森に居させてくれ!」
「すうじつ~?
それは我儘だぞ骨野郎。単位がデカ過ぎる。
秒単位なら待ってやる。」
「秒なんて、待ってないのと同じじゃないか!」
「いいか、よ~く考えてみろ?
魔王によって骨にされたって言う奴がだ、
この森に逃げ込んできて数日置いてくれと言ってだな?
その数日の間にお前を捕らえに魔王の手の者が来ない訳が無いだろ。」
「いや、それは」
「答えろ。
なんで、骨になったお前はここに来た。
世間では悪党の巣窟と呼ばれているこの森にだ。
普通ならそんな噂が立っている場所にこようって馬鹿はいない。
他に行く場所がないからだろ?だから来たんだろ?
家族の所にも帰れない、
仲間の所にも帰れない、
この世の何処にも帰れない、
いいか、骨、ここにはそういう奴らが沢山来る。
森もそういう奴らを沢山受け入れてきた。
だがお前は駄目だ。
なんでか判るか?
お前の存在一つでこの森全体が危うくなるからだ。」
骨だけで動くなんて見るからに厄介な奴が、
しかも魔王にそんな体にされたって聞かされてな、
それで逃げ場所としてこの森を選んだなんて、
「百害あって一利なし!
最悪魔王兵団の精鋭がお前の口封じ為にこの森に来たらどうなる?
この森はもうしっちゃかめっちゃかだ。
天然要害のこのマルカトの膝で守備すればな、
もしかすれば撃退出来る線があるかも知れんが、
それでも被害はかなりでる。
そう考えた場合、お前の存在を許せるか?
お前が俺の立場だとして、
この森の管理者だったとしてお前を受け入れるべきか?
確かに俺も心臓が無い。お前とお揃いだ。
だが決定的に違う事がある。
この森にとって、害であるか、そうでないかだ。」
正直、
酷い言われようだ。
骨になっただけでここまで言われるなんて。
だが全部筋が通っている。
返す言葉も無い。
ヴイカにはもう潤ませる眼球すら残っていない。
ただ無言で立ち尽くす事だけが出来た。
涙腺も残ってない。
噛む唇も無い。
可哀想な事に、
骨には感情を逃がす為の肉が何一つ残ってないのだ。
「だけどな」
煙になっていた目の前の紫色の身体が、
また寄り集まって固まり始めた様だ。
「お前の話を聞く事は出来る。
まさか喋り終えるのに一日はかからないだろう。
ここに居る全員、そんなに長く話した奴もいないしな。」
「……話だけ聞かせろ、と?」
「俺は誰かのここに来た理由を聞くのが大好きなんだ。
お前の話も聞かせてくれよ。」
紫の泥人形の頭上で騒ぎ声が噴き出した。
出た!また悪い癖が出やがった!
新しい奴がくると絶対にこれだ!
絶対にさっきからウズウズしてたに違いないぜ!
ゴットンの話好き!聞きたがり!
「うるせえぞテメェら!」
響き渡る程の大声では無かったが、
紫の泥人形の怒鳴り声を聞いてジワジワと樹上の声が静まった。
「俺はこんな身体だからな、
飯を食う必要も無ければ寝る必要も無い。
悪く言えば飯を喰えば身体を壊すし、
寝ようとしても寝れないもんでな。
だから人の話を聞くってのが一番の楽しみになった。」
「………いつからその身体だ?」
「俺か?」
「ああ、ゴットンか?」
「そうだ、ゴットンだ。よろしくな。
もうよく覚えていない頃からこの身体だ。
最初はちゃんとした……まぁ、
なにが『ちゃんと』、今じゃよく判らんが、
最初は骨もあって肉もある体で煙になる事も無かった。
ほら、今度はお前の番だ、自己紹介しろ、骨」
「ヴイカだ。
魔王様にしらんまに骨にされた」
「その点は俺も一緒だ」
「は?」
「俺もな、魔王と呼ばれる奴にこういう体にされた。
まぁ随分昔の事だ、お前を骨にした魔王とはもう違うだろう。」
「今の魔王様はカルナージス様だけど」
「やっぱり違うな。
俺の時はファルグモーデンって魔王だった」
「……お前何年生きてるんだ?」
「良い事を教えてやろう。
生きた年月を根気よく数えられるのは大体45歳までだ。
60にもなるとあやふやになってな。
80を超えると数える事の無意味に気付く。
ヴイカ、お前は今何歳だ。」
「31歳」
「結婚は?」
「した、子供もいる。」
「子供がいると年齢が数えやすくなる。
もしくはお前の誕生日を祝ってくれる友人がいると尚良い。
どうだ、いるか?お前には。そんな友達。」
「良い友人達ならいるが、
アイツらが骨を祝ってくれるのかは判らないな……」
「そうか。
判った。
お前がどうしてここに来たかの詳しい話を聞かせて欲しい。」
話す義理など微塵も無い筈だったが、
ヴイカはふと魔弟の顔を思い出していた。
彼は話を聞いたあとに魔王暗殺をしろと言ってきたが、
このゴットンはそんな事を絶対に言わないだろう。
魔弟には肉があった、骨もあった、権力もあった。
だがこの煙野郎は肉も骨も無く、
この森の中のちょっとした地位しかない。
なにより、彼も魔王に『ちゃんとした』身体を奪われている。
ヴイカは類似性に心を開かれた。
事のあらましを聞いていたゴットンはずっと腕を組み、
手を口と思われる部分に当てていた。
「なるほどな、お前えらい目にあったんだな」
「判ってくれるか?」
「俺なら洞窟の中で気が狂ってるね」
「仲間がいてくれたからまだ正気でいられた。
それでな、洞窟に戻りたいんだ。」
「じゃあどうして森に来た?」
「道中で近かったという事もあるんだけど、
なんていうかな、少し落ち着ける時間と場所が欲しくて。」
仲間達の所に戻る理由はな、
事の全てを説明する為だ。
でも説明を受けた仲間達はどう思うか想像出来るだろ。
長い時間を洞窟奥の奥で待ち続け、
勇者と一緒に生き埋めになって、
それでいつ掘り起こされるんだろうと待っていたら、
実は掘り起こされずにずっとそのままなんだって。
それをさ、
「俺が教えなきゃいけないんだぜ。
俺一人が、
これまで一緒にいた仲間、全員に。」
「……辛いな。」
「ああ。」
それにヴイカは英雄じゃない。
強靭な精神を持っている訳じゃない。
恋人に別れを告げる前、
あれこれと考え込んで夜も眠れなくなるように、
ヴイカにもまたどうやって告げれば良いのか考える時間が欲しかった。
この場合の考える時間とは心を整理する時間も含まれる。
仲間達から、
「なんだよそれ!ひどすぎるぞ!」
と悲痛な声を聞かされる心の準備が、
ヴイカには必要だった。
そう、
彼はただの一兵卒、ただの骨。
英雄ではないのだ。
「話は判った。
だがお前をここには置けない。」
「一日もか?」
「一日もだ。
話を全て聞いたら事の重大さがいよいよ深く判った。
魔王のみならず、その弟の方もお前を放っておかんだろ。
夜明けまでだ。それまではここに居ても良い。
それが最大の譲歩だ。」
「……判った、助かる。」
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