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満月ごとの待ちぼうけ

『暇』と『多忙』は行ったり来たり。
どちらかに偏っても良くはなく、
概ね半々程の配分が良い言われている。

けれどもし、
暇だけが人生に押し寄せたら。

人間とは不思議なもので、
色んな事に習性がある。
暇な時の習性はと言うと、
『壺』に手を突っ込むのだ。

『壺』というのは本当の壺の事じゃない。

むかし昔、
大陸の王様だった人がまだ子供の時、
父親から誕生日に贈り物を貰う約束だったが、

「どこかに隠しておいた。
 さぁ、見つけられるかな?」

とちょっとした意地悪をされてしまう。
あちこち探し回った末に覗き込んだ壺の中に贈り物があった。
それからというもの、
たまに父親は壺に何かを入れておき、
子供だった王様は事ある毎に壺から父の贈り物を受け取った。
その経験のせいで大人になっても王様は壺を好み、
何も入ってないとは思いつつも色んな壺を覗き込んだという。

しかし、
暇な時に限り。

臣下達は王様と壺がどれ位離れているかを見て、
王様の忙しさを察したという軽い冗談話もある。

『そこに何かあるかも知れない』

と個々人が認識し、
暇な時に強く欲求する物事をその国の心理学では『壺』と呼ぶ。


自分の場合、
壺に行くまでに必要なのは東京メトロ千代田線とJR山手線。
あとは人に見せてもおかしくない靴と、
少し財布を傷ませた服装。
最後に健康な肝臓があれば完璧。

Klein face(クラインフェイス)の看板を掲げた店に行くのは、
毎月満月の次の土曜日。
酒を出す店ではあるが、
こちらの目的は酒じゃない、人だ。

長野はいわゆる『金持ちのボンボン』で、
長野と自分の中を誤解されない為に言っておくと、
これは決して悪口じゃない。

長野は大学時代に知り合った友人だが、
当時から「俺は金持ちのボンボン」と長野自身が言いまくり、
周りは変な奴だなと思いながら長野と付き合っていた。

長野は幸運にも性格がひん曲がっておらず、
金持ちの息子だからと言って高飛車でもなくむしろ剽軽者、
人から嫌味を言われても笑い飛ばし、
飲み会で居ない時には、

「長野なんで居ないの?」

と言われる程には周囲から好かれていた。
そんな長野がいつも言っていたのが、

「俺大学出たら外国回ってくるわ、
 アメリカ、中国、ヨーロッパにオーストラリア。
 日本には三年は帰らないからよ!
 金?親がもってるから大丈夫大丈夫!」

という人生構想で、
俺達仲間うちでは、

「まーどうせコイツ親のコネで良い所の会社入るんだろうな」

とか思っていた。

長野以外の仲間は現実主義者が多く、
外国回っても一体何の得があるのかと思っていた。
人生の経験は積めども社会人経験にはならないし、
そういう旅行はそれこそ大学時代にやるもんだ。
きっと長野の親父さんも就職しろと咎める筈だ。

ところがどっこい、
長野は本当に外国に行ってしまった。

手始めはアメリカだ!とかなんとか言って、
空港に急遽集められた俺達は流石に開いた口が塞がらなかった。
小さなキャリーバッグを一つだけ持ち、
手にはパスポートと飛行機のチケット。

「じゃあな我が友たちよ!三年後まで泣くんじゃねぇぞ!」

と言われつつ長野に全員ハグされたが、
まさか本当に行くのかと全員呆気にとられ、
涙どころか鼻水の一つも出てこなかった。

「俺が戻ったら連絡はしないけどさ、
 あの店には絶対行くから、
 決めとこう、満月の次の土曜日に行くから!」

随分身勝手な事を言うだろう、長野って男は。
俺達もほぼ全員「何言ってんだコイツ」って思ってた。
満月の次の土曜って言ったって、
要するに毎月通えって事かよ。
本当に最後の最後まで俺達を振り回していきやがる。
そんな事を思いながら一同空に飛び立つ飛行機を見送った。

あの店と言うのはKlein face。
学生時分にたまに背伸びして仲間内で通った店だった。

社会人一年目、長野は外国一年目、
最初の方はなんやかんやいいつつ皆が集まり、
今頃長野はどうしているかと酒を飲んでいた。
大学を出ても集まる口実というのは貴重であると全員が理解し、
一月目、二月目とKlein faceに集う仲間達。

だが、一人、二人と居なくなる。
彼女が出来た、仕事が忙しい、転勤するから。
様々な理由が仲間達を遠くへ連れて行く。

最後は俺がただ一人酒を注文するだけになった。
満月の次の土曜日に来ては色んな酒を注文し、
これはアイツが好きな酒だったな、
これはソイツがよく頼んでいた酒だったな、
なんて事を思いながらグラスを傾け、
最後にはいつも長野の事を思う。

長野、お前、いつになったら帰ってくるんだ。
そろそろ三年だぞ。
俺だって仕事はあるし彼女も出来たし結婚も考えている。

だからそろそろ帰ってこい、
俺まで居なくなっちまったら誰がお前を待ってやれるんだ。

だがついに。
長野が日本を離れて三年目、
満月の次の土曜日の夜、
金持ちのボンボンが帰ってきた。

その日は店に変な客が一人いて、
客の顔を覗き込んでは次へ、覗き込んではまた次へ。
まるで人探しをしている探偵の様な挙動をしている。
それがこちらまで来るとお互い目を大きく開いた。
長野だった。随分と髪の毛が伸びていたが、
あの長野だった。

ようやく帰ってきた仲間と抱き合い、
お互いの面影を懐古し合ったが長野が気が付いたように言う。
おい、ここに居るのはお前だけか?

「いや、最初は皆居たんだよ。でもな――」

長野が日本から居なくなってからの全てを話して聞かすと、
長野は呆れたように言った。
俺は確かに三年後に帰ってくると言っただろ。
なのに翌月から集まるなんてせっかちも甚だしい。

「でも皆、お前の事は気にかけていた筈だ。
 連絡を取ろう、来週にでも予定したらきっと皆集まるぞ」

俺がそう提案して携帯に伸ばした手を止めた者がいる。
長野だ。

「待て。
 呼ばなくていい。」
「んえ?」
「三年後に帰ると言ったのに翌月から集まったのは確かに馬鹿だよ。
 でも嬉しいもんだよ、きっと俺が今頃どこかとか話したんだろ。
 それが一人減って二人減って……まぁ、そうだろう。
 だって人生は忙しいだろ。
 仕事、食事、睡眠、セックス、ゲーム、恋愛。
 やりたい事が沢山あって、俺なんていつも自分がもう一人欲しい。
 一か月に一回この店に来るとして、
 年に十二回は夜をここで過ごしたって事だろ。
 三年だったら三十六回だ。
 夜の時間は貴重だって俺はよく知ってるよ。
 それが勿体なくて他の事に費やしたくなっても文句は言えない。
 でも、
 お前は三十六回、夜を俺の為に使ってくれた。
 三十六回もだ。三十六回もだぞ。
 ゲームもできたし、ドライブだって出来たし、
 あー……お前ガールフレンドはいるのか」
「彼女?ああ」
「その子とセックスも出来た筈だ」
「ちょ 声がでかい」
「でもお前はここで俺の事を待った。馬鹿みたいに。」
「バカって」
「確かに他の奴ら、
 全員じゃないかもしれないけど呼べばくるだろう。
 俺が三年の旅から帰ってきたと言えば尚更くる。
 きっと面白い話が聞けるんじゃないかって思うだろう。
 でもそれは今お前がここに居るからだ。
 俺が旅に出た翌月からじゃなくて三年後に予定してれば全員揃ったか?
 いいや違うね、三年後もきっとお前しかいない。
 なぜなら俺は賭けが大好きだからだ。
 俺が日本に帰ってくると連絡したか?してないだろ!
 俺は突然帰ってきて、突然この店に戻ってきた、
 そうしたらお前が!お前だけが待っていた!
 どれだけ嬉しかったか判るか!?
 俺は今でも夢なんじゃないかと思っている!
 今ならバックトゥザフューチャー2のあの場面で、
 マーティーに手紙を持ってきた男の気持ちが良く判る!
 クソッタレ、本当に居やがった!これは奇跡だ!って!」
「おお、落ち着け長野、ここは日本だ。
 どこの国から戻ってきたか知らんが、
 日本じゃもうちょっと静かに酒を飲むんだよ忘れたのか」
「俺達が酒を飲む時はいつもこの位だった!」
「そりゃ宅飲みの時だろ」

俺の人生では誰かを待たせる事はあまりなかった。
一年も待てと誰かに言った記憶が無い。
夏休みの宿題を後一日待って下さいと当時の担任に言ったくらいだ。

長野の気持ちは判ってやれない。
その嬉しさの度合いが判らない。
でも一つだけ俺にも分かる事がある。

確かに俺だけが、ずっと長野をこの店で待ってた。

「でさ、これやるわ」
「なにこれ」
「切れない輪ゴム」
「は?」
「ちょっと引っ張ってみ、絶対に切れないから」
「はぁー」
「ほらほら引っ張ってみろって」

仲間達にはすまなく思っている。
一人、また一人とKlein faceに来なくなる度、
俺は彼らを呼び止めなかった。
すまないと思っている。

三年待った仲間と連絡も無しに再会する事がこんなに嬉しいなんて、
それを俺だけが知る事になるなんて、
本当に、すまないと思っている。

ああ、
でもやっぱり集まらなくなったお前らが悪いよ。
バカヤロー。

今夜は俺が長野を独り占めだ。

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映画『Back to the future 2』の終盤、主人公マーティーをおいてドク/エメット・ブラウンは事故でタイムスリップしてしまいます。マーティーがトランシーバーで呼びかけても返事がありません。天気は大雨、たった一人きりになったマーティーに追い打ちをかけるように降りしきり孤独を煽ります。しかしそこに一人のスーツの男が現れます。「お前がマーティー・マクフライか?」その男は一枚の日に焼け切った手紙を差し出すのです。それは七十年前にタイムスリップしたドクからの手紙でした。
このオハナシの終盤を書いている時にふと感覚が映画の内容とリンクして、あの時に手紙を持ってきた男の心中はもしかしてこんな感じだったのかな、と長い年月を経た感動を覚えました。こういう事があるから物書きはやめられない。

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