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この身体のままで

是非父の話からさせて頂きたい。

父は私が物心ついた時からボウズ頭だった、髪を伸ばした事が無い。
しかしアルバムの中の父はそうではなかった。
結婚前の母とのデートの写真を見るに、髪に困ったようには見えず、
寧ろ御立派に髪を生やしていた。

私が物心ついた時点でも別に禿げている訳でも無く、
毛の生え方を見ると寧ろギッシリ生えており、
手の平を父の頭部に当ててジャリジャリと撫でまわすのが好きだった。

ここからは私の話だ。

父と母がおや?と思ったのは私が生まれて一歳を過ぎた頃だという。
子どもが生まれたという奇跡(親談)に浮かれた熱が収まり始め、
今度は成長と言う日々の変化に感動を覚えた(親談)頃、
おや、なにかこの子、髪の毛が伸びないな?とまず母が気が付いた。

気付いた母が父に髪の毛の事をもちかけたらしい。
この子の髪の毛、もうちょっと伸びても良さそうじゃない?
それを聞いた父も同じ事を思い首を傾げた。
そう言えばかれこれ一年、どうにも毛に変化が見えない。

一年検診で一緒になった子供達の頭髪は賑やかだったと母が目撃、
それなのに我が子の髪の毛はどうにも長さが変わらない、
これはどうした事だと思った両親が病院に私を連れ込むと、

「短毛症ですね」

との沙汰が下った。
私がその事を知ったのは更に後の事。

小学校も一年の時、
ちょっとオシャレさんなヨーコちゃんという女の子がいた。
ある学期の席替えでヨーコちゃんと一緒の班になった時、
彼女が私の頭をしげしげと見て、

「アンタんちのオバちゃんマメだね」

と言うではないか。
そう言われた私がこう返す。
僕のお母さんは人間だよ、豆じゃない。
私がそう言うとヨーコは、

「そうじゃない」

と漫才のような突っ込みをして、
遂に運命の言葉を私に言った。

「アンタんちのオバちゃん、
 しょっちゅうアンタの髪の毛を切りそろえて、
 だからマメだね、小まめだねって言ったの。」

それを言われた私はどういう事かなと動きが止まった。
髪の毛という名詞と『切る』という動詞が頭の中でマッチングしない。
そもそもその言葉を言われるまで髪の毛に刃を入れられた事が無かった。

その日私は家に帰って母に叫んだ。
ねぇ、どうして僕は髪の毛を切った事が無いの。
それを聞いた母の顔は今でも忘れない。
ついにこの日が来たか、というような顔をして米を研ぐ手を止め、

「どうしたの、学校で何があったの」

と私に聞いていた。

何もクソもあったものではない。
その日の学校では皆が髪を切った事があると言う中、
私だけが切った事が無い、一度も無いと豪語し四面楚歌。

「そんなの嘘だ、切った事あるだろ、そんなに短い髪をして。」

口々に私を嘘吐き呼ばわりする学友達。
当時の彼らにとって髪の毛が短い事は髪を切った事と同義らしかった。
終いには先生も巻き込みんで事情を説明し、

「ほんとに髪の毛を切った事が無いのね?」

と念を押すように聞かれる有様。

「世の中には色んな人がいるのよ。
 皆は聞いた事が無いかも知れないけれど、
 髪の毛が伸びない人もいるの」

結局先生のその言葉によって事態は収束し、
クラスの誰も腑に落ちないような顔を保ったまま、
それぞれが家に帰ったのだ。

しかし一番腑に落ちなかったのは何を隠そう私本人である。
自分がしていない事をクラスの皆はしていると突然知らされたのだ。
まるで自分だけ違う世界に放り込まれた様な気持ちになって。
母に叫んだ。

「あのね、」

と母が言いかけて電話が鳴った、先生からだった。
電話口で見えない相手に母が私の髪の毛の事を説明し始め、
その時初めて私は自分の身体の事を知った。

私の髪の毛は眉毛の長さ程しか伸びない。

人体に生える毛には場所によって生え変わるサイクルが違うらしい。
例えば髪の毛は通常二年程で生え替わるのに対し、眉毛は何と約二か月。

科学洋書の様に小難しい言葉を並べる趣味は無い。
要するに私の全身の毛は眉毛程の長さにしか生えないのです。

母が電話し終わるまでに私は小学生として必要な事を全て悟った。

確かに、それまで私の目の前には髪の毛の長い人間とそうでない人間がいた。
子どもの世界でも同じ事だ、女の子の髪の毛は長かったし、
男の子でも髪の毛の短い、要するにボウズ頭の男の子がいたわけで、
それが私の髪の事も違和感なく『こういうものだ』と思わせ続けた。

髪の長い人はそう言う人、短い人はそう言う人。
いわば肌の色が違う人種の様な感覚で今まで不思議に思う事も無かった。

だがその日にようやく『この世の大半の人間の髪』について知れた。
どうやら、髪の毛と言うのはとても長く伸びるものらしく、
それは男も女も関係なくほぼ同じように伸びるので、
伸びた髪を『切る』事を世の中の皆はしているらしい。

「ごめん、お母さんがね……」

母性とは。

母性とはなんなのか、
私は未だに判らない。

だがあの時、母が何を言いかけたのかは判っているつもりだ。
母はきっと、ちゃんと産んであげられなくてごめんね、と、
きっとそう言いかけたに違いない。

だが母の口はそれ以上動かなかったし、
寧ろ口が動いたのは私の方だった。

「なぁんだ、そうなのか。
 おっけー判った。
 髪を切らない分、僕の方が皆より便利なんだね。」

子供なんて敏感なもんで、
親の表情で何を考えているのか、
その良し悪し位なら簡単に判るものだった。

もう陰毛も生え揃ってしまった今では昔のようにいかないけど。
けれど「お母さんのせいで」なんて台詞を言わせて、
母を悪者にしたくはなかった、それだけだった。

私はそれから意外にも平穏な学校生活を過ごした。
一年生の時の学友達はもう私の髪の毛の事に何も言わず、
そのままクラス替えをしない二年でもいじめにも遭わず、
クラス替えをした後の三年生から六年生でも、
特に私の髪の毛に関して悪口をいう輩は現れなかった。
ただ時たま、

「髪の毛それ以上伸びないんだって?
 ねぇどうして?」

と聞いてくる友達はいたが、
子供はいつでも好奇心旺盛なものだ、
知りたい事を知りたがっているだけなんだと私は判っていた。

「伸びる前に自然に抜けちゃうんだって」
「へぇー」
「だから髪の毛切らなくていいんだぜ」
「いいなぁー、俺昔パパに耳切られた事があってさぁ」
「うわぁ……痛そう」

といった感じの受け答えが毎回で、
皆が色とりどりの感想をくれて私は、

なるほど人によって思う事も全然違うんだな

と小学生ながら悟るに至った。

私が男と言う事もあっただろう。
中学、高校も特に髪の毛の事で悪く言われる事は無く、
私はとうとう大学生になった訳だが、
虎口という友人がこんな事を言い出した。

「同窓会するぞお前ら」

それも小学校一年生の時のクラスメートを集め、
なんと先生まで許可を既に取り付けてるとの事。
母に小学校の頃の同窓会なんて珍しいと言われつつ、
私は会場である飲み屋へと向かった。
え、大学生なりたてならまだ未成年だろうに、
飲み屋になんて行って良いのかって?
細かい事は気にしなさんな。

実際会場へ行ってみれば先生もちゃんと居り、
記憶とは少し老けた顔で、

「いい?皆ほどほどに!
 ほどほどなら私も目をつむるから!」

と言ってかつての生徒である私達と生ビールをぶつけてくれた。

「そっかぁ、皆大きくなったねぇ!」

そりゃあ先生、十年以上経ってるもんよ。
あの時は知らなかった事も色々覚えて、
良い事も悪い事も様々やってきた。

中学までは皆同じ学校だったが、
高校で十余りの分岐点にそれぞれ別れ、
大学ではもう皆チリヂリのバラバラ。

こうやって別れて行くのが大人になるって事なのかなぁ。
飲みなれないカルピスハイを飲みながら私がそう思っていると、
隣に座っていた上野がつつい、と横腹を指で刺激してくる。
何だと思って見てみると、先生が、と言って顎を向ける。
私も忙しく顔を逆へ向けてみると、
先生が私を手招きしていた。

「隣失礼します」
「いらっしゃい、実は話したい事があったの」
「なんですか」

先生の顔は綺麗な肌色だった。
手元の生ビールの減り方が先生の酒の強さを物語る。

「ごめんね」
「え?」
「本田君の髪がさ、伸びないって昔ちょっと騒ぎになったでしょ」
「あはは、ああーありましたねそんな事も」
「ごめん、その事で謝らなきゃいけない事があるの」
「ええ?そんな事ありました?」
「実はね、本田君の髪の毛の事でね、
 クラスのみんなの髪も短くしようかって、
 そう保護者の方々に連絡しようとした時があってさ」
「そんな事あったんですか?だって」
「うん、結局はしなかったんだけどね。
 がん治療で髪の毛が抜けた子供のね?
 そのクラスメートが全員ツルツル頭にしたって話があって、
 私さぁ、その事が感動的で好きでさぁ、」
「ああー、知ってます良い話ですよね」
「うん、それでうちのクラスもそんな事出来るかなぁって思って、
 本田君はツルツルじゃなかったから短髪で済むじゃない?
 だから男子は短髪、女子もある程度のショートカットでどうかなって」
「え、それ結局どうなったんですか?」

そう尋ねると先生は笑ったような口の形を作って、
その口の中から一回「チッ」という幽かな音が聞こえた。
舌打ちの音だった。

「最初にかけたおうちでね、
 途中で生徒に変わって言われたの、
 先生、じゃあ私の腕がなくなったら、
 皆に腕を切ってくれって言うんですか?って。」

ぐうの音も出なかったわ。
そう話す先生の視線は無くなりかけのビールの黄色に注がれて、
まるで昔にかいた恥ずかしさを紛らわそうとしているようだった。

「私が呼びかけたらダメなのよね。
 生徒である皆が言うのならともかく。
 教師生活でベストファイブに入る私の失態の一つよ。」
「先生そんな事話してくれるんですね」
「んー?」
「学校の先生って自分の弱みを生徒には見せないイメージあるから」
「あははっ、だってもう皆私の手を離れてるから!
 それにね、君達はあの頃に比べると大人になった…ちょっとだけど。
 この話ならね、今なら話していいなって、
 そう思ったの。」
「……なんか嬉しいですね」
「ちなみに、その時の電話の生徒、誰だか教えてあげようか?」
「誰ですか?」
「立花さんよ、ヨーコちゃん。」

ヨーコちゃん。

ヨーコちゃんと言えば、
あの日に私の母がマメだと褒めた張本人。

無意識に眼球が動いた。
酒のグラスであふれる机の上を飛び越え、
かつての旧友達が作る山並みに視線を這わすと、
こっちを見ているヨーコちゃんと、
目があった。

一瞬、
貫くような視線をお互いの眼球に貫通させ、
それも刹那の事だった。
ふいと横を向いてしまったヨーコちゃんの耳の穴を見終え、
また先生に視線を戻した。

「意外です」
「ふふっ、あとで話してみたら?」
「ええ、先生」
「ん?」
「別に僕も怒ってません。
 それに少なからず僕の事を思ってくれたんですよね。
 有難う御座います、
 先生に一年生の時担任になって貰って本当に良かったです」
「…………教師冥利に尽きるね」

アルコールが味方をしてくれた。
酒が体を熱くしたのかヨーコちゃんがふらりと店の外に出た。
それに続いて、私も外へ。

「よ」
「……おー、本田君じゃん。」

あの日、
しつこく私が髪を切ってない事に追及をかけたヨーコちゃんは、
両耳にピアスを開けている。

「ヨーコちゃんは大学どこ行くの」
「京大」
「うわ、頭良いね」
「はは、そーでもない。
 やりたい研究やってる人がいてさ」
「へーもうそんな事考えてんだ。
 どんな研究すんの?」
「細胞の機能をデザインする研究。」
「なにそれ?」
「損傷した身体の部位を補ったり、
 生まれつき目が見えない人を見えるようにしたり」
「へぇーそんな事できんの?」
「将来的には出来るようになるよう、
 研究してる人達が頑張ってるところ」
「そっかぁ」
「本田君さ」
「ん」
「髪の毛伸ばしてみたいなって、
 思った事ある?」
「……あー、わりとその質問初めて聞いたかも」
「マジ?」
「うん。そーだなー…。
 髪伸びたらどうなるかなって思った事はあるけど、
 伸ばしたいと思った事は無いな」
「あ、そうなんだ」
「うん。
 母さんがくれた身体だから。
 これ以上文句のつけようはありませんわ。
 身長もそこそこあるし、風邪もなかなかひかないし。
 良い身体で産んで貰いましたわ、このままですでに感謝」
「そっかぁー……良い息子だね」
「はは、なんだそれ」
「………」
「………あのさ」
「ん?」
「なんか連絡先、教えて」
「おーいいよー」
「えーと…LINE?」
「インスタやってる?」
「インスタやってない、Twitterならやってっけど」
「アタシやってない、LINEでいいか」

理知的な女性に魅力を感じる。
それが恋愛的な何かに紐づいてくるかは判らないけど、
先生が教えてくれた言葉が繋がっておけと促し諭す。

『私の腕がなくなったら
 皆に腕を切ってくれって言うんですか』

聞く人に寄れば眉をしかめもするだろうが、
私はこの言葉が好きだった。

私の髪の毛を一切憐れむことなく、
凛として教師にも意見する。

そんなヨーコちゃんと、

「なんか久しぶりに起動する。
 これどうやって登録すんだっけ?」
「どれだけ使ってないんだよ。
 ほら、あの……これでさ」
「え……あーハイハイ思い出した思い出した」

今のこの日に繋がっておけと、

私の男の勘が唸っていた。

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