未払い残業代を骨が笑う 座編
床に水が浸っている。
珍しい事ではない、
掃除の際に床に水を撒く事は当然で、
窓から吹き込んできた雨が濡らす事もある。
ただ骸骨の口をくぐって零れた水を見るのは、
この館に使える給仕にとっては初めての事。
眼球が付いているという事は時として不便で、
向きで何を見てるか丸わかり。
じっと床の上を見つめる給仕を見つけ、
弟君が一つ咳ばらいをした。
「すまん、給仕が失礼な態度をとってしまった」
「構いません。
こちらこそ水をぶちまけて申し訳ありませんでした」
「いや、いい。
疲れた所に丁寧な説明をして貰ってすまなかった。
一つ部屋を用意しよう。取り敢えずそこで休むと良い」
骨に目は無い。
眼窩に空洞、ただ空気が行ったり来たりで、
上や下を向く目玉が無い。
ただ白い骨がすっくと弟様を見つめるばかりで、
本当の視線は何処を泳いでいるのやら。
「休む?」
「そうだ、長い任務だったから疲れたろうに」
「いえ、まだ任務は終わっておりません。
私をこのまま魔王様の所まで連れて行って下さい」
「精が出るな」
「なにを仰います、
これから人間側への総攻撃です。
洞窟を抜けた折には久しぶりの光景に多少呆けましたが、
勇者が生き埋めの今、強襲をしかける機会には間違いありません!」
「ちょっと待て」
「なにか」
「それは誰かが計画した事なのか?」
「はい、洞窟に向かう前に魔王様が私達に。
勇者を生き埋め、即挙兵という段取りだと」
「それは無い」
「え、いまなんと?無い?」
「今魔族に人間側に総攻撃を仕掛ける国力の余裕は無い」
骨に目は無い。
目玉がない。
一体何処を見ているのかも判らず、
頬に肉も無いので笑っているのか悲しんでいるのか、
怒りも喜びも読み取れず、
弟君はただ痛感するばかりだ。
そうか、感情とは元々、目に見えないものであったな、と。
「ヴイカ、お前も知っている通り勇者が猛威を振るってきた。
お陰で魔族の国力は落ちに落ちている。
一旦魔族の中を立て直す必要がある。
かたや人間側は勇者一人の活躍で大半の人間の兵は防衛のみ、
兵力は十分に温存されて純粋な殴り合いの戦争なら相当強い。
いかに強襲で先手を取ろうと優位に立てるのは一日そこらだろう。
温存戦力で圧倒的に勝る人間に攻め込む利点は無い。
いくら勇者を封じたとしてもだ。」
目が無いのは不便なものだ。
本当に何を考えているのか判らない。
視神経が繋がっていたと思われる穴がちんまり見えるだけ。
「……じゃあどうして魔王様はそんな事を私達に?」
「どんな交渉の仕方だった?」
「え?」
「兄上がお前に今回の任務を通達する時だ。
直に命令の内容を聞いたんだろう?」
「随分とゴリ押しするような言い方でした。」
「そうか。
お前はもしかすると兄上の予想外の存在なのかも知れんな。」
「え?私がですか?」
「私も色んな所に密偵を放って情報をかき集めている。
その全ての情報を繋いで出す推測だがな、
お前は勇者諸共二度と日の目に当たらないままだった筈だ、
兄上の算段ではな」
「 え」
「人間側に最近変な動きが二つあった。
一つは各地の武器防具の界隈が活発になった事だ。
魔族と争っているから当然かと思うか。
実は真逆だ。
勇者が現れてから業界の売れ行きは冷え切っている。
戦場で活躍しているのは勇者ほぼ一人だからな。
故に武器防具の消費も勇者一人分だ、ほとんどな。
他の兵は警護ばかりで備品の消耗も無い。
魔族だって勇者一人を警戒して城攻めなんぞ暫くしてないからな。」
「――たしかに」
「もう一つも不思議に思っていた事だ。
なんと復活呪文を禁止するという条約を人魔の間で取り決めようという動きが」
「は?」
「不思議だろう。
人間側で復活を禁止にするという事も不思議だが、
これをさも締結当然言わんばかりに話が進んでいるのも不思議だ。
ようするに魔族側がこの話を飲む、と思っての動き。
だがお前も知ってる通り魔族でこの条約はご法度だ。
何故なら勇者がこちらを大量に殺すので復活せずにはいられない。
そうだろう?」
「その通りです……。」
「だから私も今まで不思議に思っていた。
なんでこんな動きをしているのだろうとな。
だが本日お前に会って話を聞いて全てに合点がいった。
人間側は魔族側と結託して勇者を排除し、
そのまま復活もさせないつもりだ。」
「え!?」
「そして魔族側もそれに承諾して勇者を封じ、
その見返りに金銭と講和条約で休戦をして、
暫く形ばかりの戦争をやるつもりだな。」
「 どうしてそんな!?」
骨は肉が繋いでいる。
だから骨は外れない。
仕方なかった、ヴイカの顎がバカッと音を立てて外れたのは。
大声と共に勢いよく開いた顎が外れ、
床に落ちる音が激しく響いたが、
ヴイカはそれを直ぐには拾い上げようとはしなかった。
怒りが勝ったか、椅子から腰を上げて弟君の前に仁王立ちを。
弟君をそれを暫くじっと見て、
ヴイカの顎を拾い上げた。
「ほら」
「………すいません」
「人間側の中に勇者が邪魔だと思っている輩が居る。」
「武器防具を商いにしている奴らですか」
「そうだ、そして奴らは数が多く、発言力もある。
様々な所に働きかけて今回の件まで至ったんだろう。
普通に戦争をした方が奴らは儲かるからな」
「しかし、それだと魔王様が人間と通じた事に」
「組織の上と言うのは様々な所と繋がっているものだ。
それに兄上も飛びつく案件だろう。
お前が知ってるかは知らんが復活魔法はとにかく疲れる。
復活の際に復活費用として幾らかをお前達の給与から天引きし、
それで今魔王城内の財政自体は潤っているが、
まぁ、兄上は辛いだろうな、体力的に。
そこに大量の金銭譲渡を報酬に勇者の生き埋めを持ち掛けてきたら?
その上復活魔法を禁止する条約まで締結できる雰囲気だったら?
人間側としても勇者を掘り返すのは困るだろう、
それに最近の勇者はやりたい放題だった、
武器防具の商人たちでなくとも煙たがっていた要人は多い筈。
兄上としては重労働から解放されて金銭収入も十分、
人間としてもメリットが十分にある。
人魔の講和がなされたとして、そうだな、大体一年かそこら、
長くても一年半か。」
「……結局平和にはならないって事ですか」
「両陣営の頭が変わらない限りな。
うちに限っては兄が魔王をやっている限り変わらんだろう。
だからヴイカ、お前に命じる。」
魔王を殺せ。
「まだ質問はしなくてもいい。
そのまま聞けヴイカ。
仮にもお前は勇者を生き埋めにした部隊の一員、
その事を大々的に広めて帰城すれば兄上もお前に合わねばならなくなる。
それだけではない、よくやったと謁見の上に兄上の近場にもいける。
そこで私が兄上直々に剣を取らせてはどうかと言うので、
剣を私に来た際に心の臓を一突きにやれ。
うん、質問があれば言って良し。」
「……私が?」
「ああ」
「魔王様を?」
「そうだ」
「……それはなんの益があるのでしょうか?」
「私が次の王になって人魔の争いを止める。」
「……どうやって?」
「今は血と血で争う事をしているが、
時間をかけてこれを経済戦争に切り替える。」
「経済戦争に?」
「お前が知ってるかは知らないが、
今世間ではトライベという悪病が流行っている。
これは人魔両方で流行っていてなかなか手を焼いている。
正直戦争をやっている場合じゃなくなるのは時間の問題だが、
富裕層には流行ってないから戦争はまだ続くだろう。
そのバカ達を一旦黙らせて人魔合同でこの悪病に対する研究を行って根絶する。
その技術交換を皮切りにお互いの文化や技術を交流させて貿易を活性化、
というのが今私が思い描いている段取りだ。
だがこれを実現するには国家予算が馬鹿みたいにかかる。
故に官僚クラスの給金も四分の一から五分の一にカットする」
「五分の一!」
「首を縦に振る者は少ないだろう。
今座り心地の良い椅子に座っている奴らならな。
その辺を一気に粛清して私の意見に賛同している者達で脇を一気に固める。
もうこの準備はかなり前から進んでいて万端だ。
ただタイミングだけが計りかねていた。
そこでお前がきた。」
「私が」
「ん?」
「魔王様を殺したら、私はどうなりますか……」
「一先ずは牢獄に入ってもらう」
「牢獄に」
「それからなるべく早い段階で助け出す。
兄上の色んな悪行を暴いて新体制を固めてからだな。
ただ」
「ただ?」
「……正直、今お前がどうしてそんな姿で動いているのかは私にも分からん。
もし、兄上が何かの魔力回路を使っていて、
兄上の死と同時にそれが切れるなら、
お前は兄上と同時に死ぬだろう。」
だがこれだけは肝に銘じておけ。
お前は本来生き埋めのまま掘り起こされる事も無かった存在。
こうやって水の一杯も顎を通す事が無かった。
兄上の権勢をこのままにしておけば戦争も止む事が無い。
お前の家族も、下手をしたら戦火に巻き込まれるかも知れない。
だが今お前は何の偶然かこの場で水を浴び、
戦火を止められるかもしれない立場にある。
「どちらがマシだ」
「……弟様」
「なんだ」
「魔王様と話した時、
残業代が出ると、そういう約束をしました」
「残業代か?」
「はい、時間外残業代として洞窟での勤務時間をそのまま換算すると。
これ、最終的に払われますかね……」
「心苦しいが正直何とも言い難い。
新体制に変わった際、色んな所への根回しも含め、
かなりの予算消費が見込まれる。
魔王となった私自身の給与も兄上の時代の十分の一に絞る予定だ。
もし払うとなってかなり後回しになるだろう。
旧体制の魔王が取り決めた特別手当という事もあるからな……」
「そうですか……」
「だが、お前とその家族は必ず手厚く扱う」
「他の仲間の分もお願いできますか」
「……必ずと、約束しよう」
「――判りました、先程の計画、約束いたします」
そういうとヴイカの頭部が天を仰いだ。
弟君に渡されていた顎は右手に持ったままだった。
顎が外れたままの状態でどうやって話してたのか、
部屋の隅で待機する給仕がじっと見つめたままだった。
「ヴイカ、家族に会いたいか」
気をきかせたつもりなのだろう。
弟君がそう尋ねたがヴイカは首を横に振っただけ。
「いえ、結構です」
「そうか」
骨の兵士、ヴイカ。
最早この身に肉は無い。
抱きしめて温めたいと発せば妄言の類。
肌の柔らかさで包む事も出来やしない。
この肉の無い体で家族に愛が伝わりますか。
その胸の内を言葉には出さず、
ただヴイカは椅子に座ったままだった。
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