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その傷を指でなぞれば

喧嘩なんて、慣れた筈のものだった。

初恋はいつだったか覚えているが、
最初の喧嘩なんて覚えている筈が無い。
男の子はよく喧嘩をする生き物だからね。

でも喧嘩なんてそんなもの、
どれだけやっても僕の人生には何の影も残さず落とさず、
こなした喧嘩の数なんて覚えていない。

僕が子供だった頃の喧嘩の方法ですか。
言うならば『世間知らずのまま育った大人が喋る自慢話』の様だ。
喋るだけ喋って、その後は自分だけ満足して何の取り繕いもしなかった。
だって子供だったもの。

けれどそういう喧嘩の思考にも終わりが来た。
それも子供の頃だった。

僕は服好きが高じて(男にしては珍しいと散々言われた)、
中学に入る前から近所の洋服屋に出入りしていた。
しかも見る、着るのみならず自分でも作る。
当時の自己紹介文を読むと一際異彩を放つ、

趣味:半返し縫い

特技:友人の寸法取り

の項目。
あの頃の僕は裁縫に狂っていた。

そんな服狂いの僕にもちゃんと仲の良い友達がいて、
彼の名前は飯尾と言った。

飯尾に会わない日などその頃は無かった。
万が一、会わない日があっても、
それは即ちどちらかが遠方に出かけている事と同義で、
同じ学区に居る日で会わない日など無い。

そう、僕達は大の仲良し、
別の言葉で言い換えるなら親友だった。

そんな親友相手に喧嘩をするなんて大イベント、
当時の僕の人生計画には無かった。
だって親友だ、相手は。
親友と喧嘩する予想を誰がするんだ?

『仲が良い相手と仲が悪くなる事をする筈が無い。』

そんな思考麻痺の産物の様な事をあの頃は本気で思っていた。
今とは違って、随分生っちょろい考え方をしていたものだ。

当時の僕は先に述べた洋服屋に毎週土曜にお邪魔していた。
本当は毎日でもお邪魔したい所だったが飯尾とも遊びたいし、
それにお母さんから

「毎日邪魔しに行ったら駄目でしょ」

ときつく言われていたので流石に自重していた。
だが飯尾と喧嘩したのが原因で、
平日に通ってしまう例外期間が発生した。

いつもは放課後に私か飯尾の家で遊ぶのだけど、
喧嘩中でもホイホイ声をかける程馬鹿じゃない。
家に帰って一人でいても母からは、

「何てしけた顔してるの」

と、こちらの胸中ガン無視な指摘をされるだけ。
家の中にいても腹の虫が更に騒ぎ出すのは明瞭で、
ほら、仕方の無い事だったんだよ。
消去法で、私が行くべき場所は洋服屋だったのだ。

私があの頃通った洋服屋はもともと床屋の店舗で、
床屋の御主人が足を悪くして引き払った場所だった。
そこが服屋になったのは私が小4の時。
初めて入店した時の事は覚えている、
というか、アレはズルイ。
床屋なら必ず置いてあるアレを皆も知ってると思うけど、
そうそう、赤青白の三色が延々と下から上に昇るアレ。
それが赤青白から金銀黒へカスタマイズされたもので、
子供は好奇心に負けて思わず足を止めてしまう。
これは何だ、と店の中まで入ってしまって、
人の良い店長に暇潰しの相手にされた、というワケ。

昔話で話が逸れたけど、
親友との喧嘩で明らかに機嫌が悪い私が店の敷居を跨ぎ、
いつもの調子で出迎えてくれたのはサトシさん、
洋服屋の店長。そして私の師匠。

サトシさんは紅茶の入れ方を知らない人だったので、
機嫌の悪い私に差し出してくれたのは椅子がたった一つだけ。
私は遠慮なくそれに座る他無いだろう。
だって、貰えるものは貰っとかないと。
座れるものは座っとかないと。

「随分とつまらなそうな顔をしてるね。」

その時のサトシさんの言葉は少し笑ってたのを覚えている。

思うのだが、
人は何故いちいち眼に見えるものを言葉で言うのだろう。
「美しいね」とか「素敵だね」とかなら、別に良い。
でも、「つまらなそう」とか、「嫌そう」とか、
改めて口にしなくても良いじゃない。
見れば判るじゃない、ねぇ。

「喧嘩したの。」
「だれと?」
「飯尾。」
「へぇ、いっつも仲良くしている飯尾君?」
「そう、飯尾と!!」

四分休符を打ちこむ隙すら与えない。
私の言葉とサトシさんの言葉は前後ぴったり張り付いて、
最後は私の苛立った声で、幕。

かと思われた。
でも、サトシさんが更に言葉を継いだ。

「いつ謝るの?」

いつ

あやまるの?

だと?

「謝らない!」
「あはは、なーんで?」
「だって、アイツが悪い!!」

喧嘩をしている最中、子供の心の中は最高裁判所。
陪審員は全員自分で証人喚問なんてありゃしない、
全会一致で相手に対して有罪判決待った無し。
無罪は愚か、執行猶予すら与える筈が無いだろう。

「ははは、どうしたの?」

子供が苛立っている最中、大人は笑うのが仕事らしい。
私は始終笑い気味のサトシさんに、
事の顛末を説明した。
当然、自分の事は贔屓目に。

「なるほどねぇ。」
「もう、どう思う?」
「あはは。」
「なんだよ、笑ってばっかり!」
「いやぁ、いいねぇ君達。」
「もう、何もよくねぇよ!針! 針と糸と布!!」
「えー?」
「良いから持ってきてよ!!」

年上を顎で使うなんて、若かった。
世界が自分を中心に回っていると思っていたんだ。

そしてサトシさんは私に甘すぎた。良い人だった。
サトシさんが持って来てくれた針と糸と布。
私は半返し縫いを始めた。

「まーた始まった」と、
サトシさんはやっぱり笑いながら私を残して店の奥へ行ってしまった。
だが別にどうでも良かった。
私は半返し縫いがしたい。ただそれだけが欲求だった。
大好きだったのだ、延々とする半返し縫いが。

同年代の友達は何をやっていたのかあまり知らなかった。
何をやってストレス解消をしていたのか、という意味だ。
ゲームをしたりだの、運動をしたりだの、
御菓子を食べて発散すると言う論理に至っては、
正直聞いた当初理解が出来なかった。
半返し縫いをストレス発散法としている身としては、
職がどうしてそれに繋がるか、思考経路が複雑すぎた。

あの日、
私はどれだけ半返し縫いをしたのだろうか。
記憶によるとけっこうした筈なのだが。
余りに量をこなすとその量が記憶を殺してしまう。
覚えているのは私が一息ついて手を止めた所にやってきたサトシさん。

借りは借りたら返すべし。
私は近くに来たサトシさんに椅子を差し出した。
その頃の私もまた、まだ紅茶の淹れ方なんて知らなかったのだ。

「昔ね、」

私の出した椅子に座ってくれたサトシさんが、
何やら語りだすので先手を取られた私は眼をすっと上げた。

「スラックスを穿こうと足を入れたら、
 布を破いた様な感じがしたんだ。
 つま先が何かを引っ張った様な感じがあったし、
 何より、「ジッ」という音がしたからさ。」

それは破いたな。
私は聞きながら突っ込んだ。
まぁ、心の中だけの声だったが。

「一旦は差しこんだ足を少しだけ引いて、
 今度は確かめるように足を入れたよ。
 まったく、人と人との関係は、
 この破けたスラックスの様である。」
「……様で『ある』?」
「いいかい。」

サトシさんが一瞬座っていた椅子を宙に浮かしてこちらに寄せた。
私は壁にもたれかかっていたので、逃げ場無し。

「そのまま放っておけば、
 必ずまた同じ場所に足を引っ掛けて穴を広げる事だろう。
 一度や二度の繰り返しが徐々に穴を広くし、
 終いには完全にそのスラックスを破りきっちゃうよ。
 全く何と愚かな事だ、とは思わないかい?
 破いたその日に繕っておけば引き裂ける事も無いだろうに。
 所詮は内側で人目につかない所だからとタカをくくって、
 そのままにしておく。
 馬鹿だねぇ、実に。
 その愚かさはスラックスに限った事ではないのだうな、決して。
 ほんの少し痛めた関係は早めに結びなおすべきだろう。
 結ばない者はきっとその痛めた部分さえ忘れてしまって、
 同じ過ちを繰り返すよ。
 仏の顔も三度と言う言葉が日本にはあるけれど、
 三回も同じ過ちを見過ごしてくれる優しさの持ち主なんて、
 さて、そんな人、実は結構少ないんじゃないかい。
 誰もが三度も許してくれると思うかい?」
「え? さぁ……。」
「人によっては初撃必殺だよ。」

しょげきひっさつの意味はそれから二日後に理解した。

「布傷と同じように、
 人間関係は同じ場所を引っ掛ければ引き裂ける。
 少なくとも、毎度破った後に縫い合わせる事が大事だね。
 だけどね、何度結びなおそうとしても、
 重ねた傷跡が脆くなる事に偽りは無い。
 試すまでも無いだろう。
 何度も破っては結びを繰り返した裂け目を、
 少しでも触ったらどうなるか。」

そこまでサトシさんが言い終えて、
私の鼓膜は震える事を止めたのだった。

その次の日、
飯尾とは仲直りをした。
難しかったが、仲直りが成立した時はとても嬉しかった。

「おっ、今日も来たのか。飯尾君とはどうした?」
「ん。今朝に仲直りした。」
「へぇえ、早いねぇ。」

私は店の中から自分で針と糸と布を漁りだし、
勝手に半返し縫いをちくちくとしていた。

「それにしても君は本当に半返し縫いが好きだねぇ。
 何がそんなに君の心を虜にしてるんだい?」
「さぁ。」
「本返し縫いじゃ駄目なの?いつも半返し縫いだよね。」
「本返し縫いなんて全部戻さなきゃ駄目じゃないか。
 半返し縫いは半分戻って次を刺す。
 全部戻るなんてまだるっこしい、
 戻るなら半分位じゃないと苛々するさ。」
「ははは、成る程ね、君らしい。」
「?なにが?」
「いや、なに、朝に仲直りする早さと言い、
 今の言葉と言い、ね。」
「あ、なに?今もしかして俺馬鹿にされた?」
「褒めたのさ。」
「うそだ。」
「嘘かどうかはもう少し人生を知ってから判断すると言い。
 それからでも遅くは無い。」

そのやりとりをした私はまだ子供だった。
今年、あの日のサトシさんと同じ年齢を迎える。

サトシさんに関して聞いていた話は幾つかある。
その殆どが新しい物事のせいで記憶の崖から転げ落ちたけど、
今でも覚えているのは、
床屋の御主人の息子が、サトシさんだったという事と、
長い事、サトシさんは実家に帰る事が無かったという事。

あの日の言葉はまるで堅い殻に覆われた種の様だった。
それがゆっくり柔らかくなり続けて、
最近ようやく中の部分に手が届いた気がする。

私はというと、
もうストレス発散に半返し縫いをする事は無い。
半返し縫いでは削り切れないストレスを知る歳になり、
あの日のサトシさんのように、
半返し縫いをしていた頃の私を、ただ羨んでいる。


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どうも、けんいちろうです。
久しぶりのオハナシ如何だったでしょうか。
本日のオハナシのついでに一つ、私自身の話を聞いて下さい。

先日新動画『魔王開封計画』をアップした際、
一人のファンの方がtwitterでリツイートして下さいました。
その方にはリツイートに紹介コメントもして頂いたので、
私も返礼のコメントを言いに行きました。
すると相手の方はどこか申し訳なさそうに、

「自分はフォロワーが少ないので、
 (宣伝)効果できませんが……」

と仰ったのです。

この場で私は確かに断言します。
リツイートして下さる方のフォロワー数を気にした事はありません。
まして、リツイートして下さる方のフォロワー数が少ないとして、
それを私がなじる理由はどこにもないのです。

(まだ書き始めですが恐らく長くなるので予め断っておきます。)

リツイート(以下RT)して頂ける事により
大なり小なり宣伝効果が生まれる事は確かです。
事実、以前にある方のRTでフォロワーが流入された事もあります。
その方は確かに結構なフォロワーを抱えていたので、
その効果で私の方のフォロワー数が増える事になったのは確かです。

でもだからと言って、
フォロワー数が少ないから、その人がするRTには意味が無い、
なんて事、ある訳ないんです!!!!!

今の私にとってRTや、他の方法で宣伝して頂くという事は、
私の今やってる事の応援に他ならず、
それは本当に嬉しい事なんです、
砂漠のど真ん中でペットボトルポカリを直接手渡されるようなものなんです。
その方のフォロワー数なんて関係ない、
実際に『声をかけてくれた』という、
この嬉しさの高波が襲い来るような衝撃、想像出来ますか?
まるで背中から追い風どころか鉄砲水が来る程の威力は固い、
私にとっては、それ自体が本当に嬉しい事なんです。

前回の私の新動画にいいねやRTを下さった方々、
本当に有難う御座いました。
また次の新しい物を作ろうと言う活力が沸いた事は確実です。
中には珍しい方も宣伝頂き本当に有難う御座いました。
普段から応援して頂いている方々も本当に有難う御座います。

ただ本当に申し上げたいのは、
応援する声に差別はありません、
ただ、全て本当に嬉しく、ありがとうと言いたいです。

ここまで読んで頂き有難う御座いました。
ここ暫くオハナシを書く事以外に力を入れていたので、
久しぶりに書いた文書に乱れがあるかも知れません。
申し訳ありませんが何卒御容赦下さい。

最後に、宣伝をさせて頂きます。
読了誠に有難う御座いました。

最新動画『魔王開封計画』


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お楽しみ頂けたでしょうか。もし貴方の貴重な資産からサポートを頂けるならもっと沢山のオハナシが作れるようになります。