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死ぬまで待てない ②

司法解剖と口に出してみよう。
しほうかいぼう、しほうかいぼう。
いざ口に出してみると、
その響きがなんともなめらかだと気付くだろう。
そしてその『不穏さ』のなんと裏腹な事か。
清水の片手が両眼を覆う。

司法解剖とはほぼ『事件』と同義だ。
対象の死体に人為的な何かが加わったのではないか、
という事を確認するのが司法解剖である。
生死に関わる『乗り換え』業界の人間なら誰しも知っている。
最低限の知識だ。

清水の心の中が『勘弁してくれ』で一杯になる。
俺はただ穏便に暮らしていきたいだけなんだ。

これから行われる司法解剖の結果、
もし片岡陽平が作為的自死、
または他殺であったならすこぶるマズイ。
清水人体転換社はサービス業だ、
あそこの客が何かの事件に巻き込まれて死んだとなれば、
生死を扱う会社として信用が危うくなる。
清水は久しく噛んで無かった下唇を歯に挟んだ。

清水は社交的な人間であった。
大学時代に積極的な人との付き合い方を覚え、
学友に「お前は営業職に向いてるよ」と言われた事を切欠に、
就職でそのまま営業職へと就いた。
だが四年目でその会社を辞める事となる。
そもそも、清水は争い事が苦手だったのだ。

社交的になったのも不必要に敵を作らない為。
色んな人間と友好的な関係を築き、
誰からも好かれる人間像とは何かを考えた。
正味そんなものに正解なんて無い筈だが、
自分への周りの対応が良好になった大学生活が全ての指標、
清水は自分の社交術に自信が付いた。

だが会社を出る時にその自信は所詮、
「大学という限られた場所での話だった」
という結論に至る。

営業と言う界隈で否応なく巻き込まれた成績争い。
後輩が先輩の客先を奪いに行き、
先輩が後輩の客先を奪い返す。
さんざん友好を築いたと思っていた同僚が、
ある日突然清水の得意先を掠め取った時、
経験が無い程の心臓の痛みを感じた。
その後の飲み会で営業一同集まった時には、
掠め取っていった同僚が何食わぬ顔で話しかけてきて、
もう清水は頭がおかしくなりそうだった。

そういう世界だと割り切るのが生きる術なのだろう。
恐らく皆は心状安定サプリも飲んでいるだろうが、
アレは服用し過ぎると効きが鈍くなると聞いている。
結果、重度服用してしまい若干頭がイカレるらしい。
営業界隈の人間はみな同じ目つきをしている。
サプリのせいか、界隈のせいかは判らないが、
四年間でその目付きがとても恐ろしいものに見えてきた。

ああ、駄目だ、俺には無理だ。
俺の考えが甘かったんだ、
ここは俺みたいな臆病者が生き残れる世界じゃない。

清水に未練など無かった。
友好を築いたと思った多くの営業仲間も、
それは上っ面を良くする為の嘘の『ポーズ』。
手に入れたと思っていた『安全な場所』が元々無いのなら、
一体誰の手が清水の後ろ髪を掴むのか。

実際に胃を壊したという事もあり、
『仕事による身体的不調』という体で退社した清水。
その真相を薄々勘付いた大学時代の友人の一人が声をかけた。

「おい清水、俺の店、良かったら手伝ってくれよ」

そうやって誘われたのが『乗り換え』仲介の個人店。
相手の名前は赤沢。大学の頃はよく一緒に馬鹿な事をした。

「いや、別に金にそこまで頓着は無いんだけどさ、
 面白そうで始めてみたら結構儲かっちゃって。
 清水、お前一人となら給料分けれる余裕はあるからよ、
 営業日半分はお前が店舗に出てくれよ。
 俺はその間に営業行ったり、遊んだりするからさ。」

赤沢に、まぁ飯でも食いながらと連れて行かれたラーメン屋。
学生の頃から赤沢が豚骨好きだったのは清水も知っていたが、
荒れた胃に流し込むには少々染みる。
一番薄めの『ラーメン』を注文した清水の横で、
赤沢が『超こってり』を美味そうに食べながらそう話した。

「……面白そうって思ったのか?乗り換えが?」
「いや、お前考えてみろよ。
 死にたくないって本気で思ってる人間が来るんだぜ。
 どんな顔してるのかなって思わないか?」
「実際面白いのか?」
「面白いぜ、俺は。今のところ」
「あともう一つ聞きたいんだけど」
「いいよ、なに」
「なんで俺を誘ってくれた」
「え?いや、お前良い奴だから。
 今無職なんだろ。
 無職の罪悪感にやられる前にどうにかしてやりたくてよ。
 それとも、もう次の仕事、決まってるのか?」
「いや、別に」
「じゃあうちに来いよ。
 飽きたら他の会社に行って良いからさ。
 ちょっとした羽休めのつもりで良いから来いよ」

清水は思った。
こいつは頭がおかしいのか。
大学時代から暫く会ってなかった友人に、
今の自分の給料を裂いてでも助けてやるって、
そんな底抜けなお人よしをしようとしてるんだぞ。
給料なんてものは皆が欲しがって、他人を蹴落として、
そういうのが世の中じゃないのか。
俺が社会人生活四年間で味わったのはそういう世界だったよ。

そんな清水の心の中を全部見透かしてか、
赤沢がにんまり笑ってこう言った。

「ウチの会社はこういうやり方なの。
 俺がやりたいと思った事はやる。
 他の会社のやり方なんて知らねぇよ。」

ああそうか赤沢、お前の会社なんだよな。
入れば、お前と俺しかいないんだな。
別に手柄を取ろうとする相手も、きっといないんだな。
判った赤沢、すまない、世話になる。
そうして清水は『乗り換え』の世界に入った。

「清水、お前独立する気はないか?」

急に赤沢がそんな事を言い出したのは三年目の事だった。

清水も驚いた。
どうしたんだ急に、俺が独立?何言ってる。

「いや、三年も経ったからな。
 同級生の……なんだ、ほら、俺達同級生だろ。
 だから……えーと、俺が社長で、お前部下。
 そういうのが嫌かなーと思って。
 独立するなら協力するぜ。
 そうしたら俺達の関係もまたフェアだ」

清水の中の臆病者が顔を出す。
そんな事を言って赤沢の奴、俺の事が嫌になったのか?
理由は何か判らないが、遠回しに俺にこの店を出てけって、
そう言いたいんだろ。
おい、そうならそうと言ってくれ。
そう聞いてしまいたい気持ちが強いが、
生来の臆病心が獅子奮迅の粘りを見せる。
辛うじて清水が出せた言葉が、

「ど……独立した方が良いか?俺が……」

と何ともなよなよしいものだった。
コップの中のコーヒーが笑っている。
何だよお前、その歯切れの悪い言葉はよ。
もっと白黒付けやすい言葉で聞けよ、へたれめ。

「いや、独立した方が良いっていうかな、
 清水がしたかったら俺は良いよって」

なんだなんだ赤沢、お前も煮え切らない言葉で。
やり取りを聞いているコーヒーに命があったら、
イライラでコポコポと沸騰し出してもおかしくない。

赤沢、清水、
お互いにニュースビューに目を通す姿勢に固まって、
それ以上の会話を勧めようとせず、部屋の奥の冷蔵庫が、
「じゃあ代わりに私が賑やかしに」とヴウンと唸る。

だが、清水が臆病心を叩き伏せた。

「俺がこの店に居ない方が良いなら、出て行くよ。」
「え?」
「所詮お前に拾われた身だから、
 出て行けと言われてもゴネはしない」
「いやいやいや、そういう話じゃなくて」
「いや、正直に言え。
 大学時代は良い友人でも、
 ビジネスパートナーとしてはまた別ってよくある話で」
「オーストラリアでお好み焼きの店をやりたくてよ」
「おこ……は?
 オーストラリアでお好み焼き?」
「正直に言えと言われたから言うけどな、
 俺、もうこの仕事十分楽しんだわ。
 今はオーストラリアでお好み焼き屋を開きたい。
 それで…なんだ、誘った俺が先に辞めるのも、
 なんか筋が通ってない気がするだろ」
「いや、そんな事は……」
「本当か?
 まぁ、だからお前が独立したらここ畳んで、
 オーストラリア行こうかなって。」
「オーストラリアでお好み焼き……」
「そう、オーストラリアでお好み焼き。」

俺も一緒に行きたいと余程言いたかった。
だが清水は言葉を飲み込んだ。
もう齢も三十近いし、良い大人だ。
そんな男が同性の友人が外国に行くから俺も行く、
なんて言うのはおかしいんじゃないか、気持ち悪くないか。
もしかしたら赤沢に邪魔だと思われてしまうかも。
そう考えてしまうと、そうとしか考えれなくて。
赤沢の胸の内なんて、赤沢にしか判らないのに。

「そっか、楽しんで来いよ」

そう言って空笑いする臆病さしか、
清水は持っていなかった。

清水は自分が憎かった。
俺も一緒に行くよ、と言えなかった自分が。

最終的に赤沢は『乗り換え』店の権利を全て清水に譲渡し、
身軽にオーストラリアへとすっ飛んで行った。
後から返せなんて言わないから好きにしろ。
笑顔でそう言った赤沢を見送り、更に五年が経つ。

言わばこの店は赤沢の残してくれたプレゼントだった。
営業もそんなに熱心にしなくていい業界で、
一度の契約が取れれば結構な額が入ってくる。
やる事成す事全てが順調という訳でも無かったが、
それでも以前の会社に比べて最高の環境だった。
臆病な心を守る城として完璧だった。

その城が今、崩れようとしている。
自分のせいではないというのが尚更怖かった。
清水自身の失敗ならばなにか取り返せるかもしれないが、
第三者からの影響となると、自分でコントロールできない。

司法解剖そをするという知らせを聞いた日の昼、
早くも警察が店舗にやって来て顧客情報閲覧の許可状を出してきた。
片岡夫婦とのメールデータを抜かれる。
清水自身も来店時の接客や、
その時の夫婦の様子を事細かに事情聴取され、
悪い事をした訳でもないのにこれから手錠でもかけられるのかと、
内心ビクビクして足の爪先が幽かに震え続けていた。

「また何かありましたらご協力お願い致します」

警察がそうおじぎをして出て行く頃には、
清水の心は疲れ切っていた。
ああ、やっと終わった、手錠はかけられなかった、良かった。
後ろめたい事は何もしてないので当然なのだが。

それにしてもあの警察の面々、
堂々と店の入り口を警官制服で出入りして。
この店で何かありましたよと宣伝してるようなもんだ。
本当に勘弁してほしい。

嗚呼、次に職を探すとすれば何をするか。
これはいよいよ赤沢に連絡して俺もオーストラリアに行くか。
でもなぁ、一度は拾って貰ったから良かったものの、
今度はこっちからお願いと言うのは……。
もし本当は赤沢が俺の事をうっとうしく思っていたらどうする。
お好み焼き屋は口実で、
そうだよ、外国なら簡単に追ってこれないだろうと、
そこまで考えての事だったらどうする?
ああいかんいかん、悪い方向ばかりに頭が回る、
なんにせよせめて赤沢にも連絡を入れておいた方が良いよな。
でも明日で良いか……。
今頃お好み焼きを楽しんで作ってるだろうし、
そんな貴重な一日を潰すのも……と、
清水がぐるぐる考えていると店のドアが開いた。

「こんにちは……」

なんだ、客か?
まさか客か?
嘘だろ、ついさっき警察が出て行ったばかりの店だぞ。
何も見えなかったのか?瞬間移動でもしてきたのか。
数分も間は無い、警察の姿は見えてるだろうに、
ついさっきまで目隠しでもして遊んでいたのか?

「いらっしゃいませ」
「なんかさっき警察が」
「え?」
「警察がこの店の近くに居たんですけど、
 何かあったんですか?」
「いえ、このお店を御利用になったお客様が、ちょっと…」
「あっ、そういう事もあるんですね」

なんだコイツ、冷やかしか?

「すいません、良ければ話を聞いてもいいですかね?
 僕、『乗り換え』を利用した事なくて」
「失礼ですが、近々ご利用の予定は?」
「判らないですね……」
「……今、御病気とかは……」
「ないですね」

冷やかしじゃねぇか。
クソが。
見た目も若いし、お前はまだ必要ねぇだろ。
心の中でそう罵りながらも接客はちゃんとする。

清水が一通りの『乗り換え』の説明をすると、
若い客は腕組みをしてうーんと静かに唸った。

「あの、実はご利用の予定が……?」

清水が自分の都合の良い解釈でそう尋ねてみると、
口をへの字にしたまま、客がうーんと唸り声を強めた。

「いや、身体買うのと心を落ち着かせるの、
 どっちが安いかなぁと思って。」
「え?」
「僕、極度心配性なんですよ。
 心配対象が死ぬ事で、
 毎日処方薬で抑えてるんですけどお金が結構かかって。
 で、今の世間の平均年齢から計算して、
 死ぬまで薬で払い続ける料金と、
 新しい身体を買って死ぬ心配しないのと、
 どっちが安いかなーと思って。」
「はぁ………」
「いっその事死のうかな」
「………」
「死ぬまでこの心配性と付き合わなきゃいけないんですよね。
 死ななきゃ解放されないから……結局新しい体買っても……。
 嫌なんですよ、この性格で一生苦しむの。
 もう死ぬまで待てないくらい。」
「あの……」
「はい」
「うち、別に死生観相談所じゃないので……」
「……すいません」

若い客はその後すぐに帰った。
気付けば外は夕暮れ時だ。
もう今日は早めに店を閉めよう、帰って本を読もう。

今日の夜に赤沢にはメールを出そう。
果たして今後、店に客は来るのだろうか。
ニュースに取り上げられて悪い噂広がらないか。
俺はただ仲介をしただけなんだ。
普通に商売をさせてくれ、
何事もない生活を送らせてくれ。

清水は指を立てて頭を搔き乱した。
頭皮が痛くなる程に。

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