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死ぬまで待てない ⑥(完)

往々にして「酒場」が暗いのは雰囲気作り。
少し悪い事をしている気分にする為だと言う。

悪い事、
人間は不思議としたくなる。
どんな悪い事をするのかはさておき、

「一緒に悪い事、する?」

なんて誘い文句が人心を揺さぶるのは、
心と言うシステムに悪事への憧れがあるからだ。

暗い所に夜中に行って、
こんなに酒も飲んで。
なんて悪い事をしてるんでしょう。
そんな気分を楽しむ為、
人間達は酒場へ集うというのに、
その事を自覚する割合は存外少ない。

まり子が入った店は一時間経つ毎に照明が変わる。
徐々に光量が絞られてじわじわ暗く、
閉店間近になると隣の顔も良く見えない。

まり子が三杯目の酒を勢いよく飲み干したのは、
あたかも挑発しているかのようだった。

「じゃあじっくり聞かせて貰おうじゃない、
 私の友達がどうやって自分の旦那を殺したのか」

また時間が60分のサイクルを終え、
店内がじんわりと暗さを足していく。
誤って倒してしまわない様にと、
赤沢が自分とまり子のグラスをテーブルの奥へと押した。

「話を聞いてまず思ったんだ、
 奥さんは薬の事を知ってたんじゃない?
 旦那さんが死ぬ時なんだけど、
 ああ、断っておくが死因が薬で間違いないって前提ね」
「いいわ、続けて」
「奥さんが一緒に居た方が良いんじゃ、とも思ったけど、
 それだと奥さんに旦那殺しの容疑がかかる可能性がある」
「そうね」
「だから旦那も奥さんが自分から離れている状況を望んだ。
 現代はセキュリティ技術が本当に凄いから、
 それだけで状況証拠としてのデータになる。
 となると、警察も逆に考えた筈だ、
 こりゃちょっと状況が出来過ぎてるんじゃないかって。」
「奥さんに容疑がかからないように自殺してるもんね」
「そう、これは奥さんとも口裏合わせていたに違いない。
 ……でも待てよ、じゃあなんで時間でミスってるんだ?」
「話の最中に結構演技入れる人間?あなた」
「ごめん、やめようか?」
「面白いからもっとして」
「警察はこう思った筈。
 そこまで気を遣っている人間が、
 果たして時間を読み間違えるかって。
 きっとアラームもセットして自殺時間は厳密に確認する筈。
 でもズレている、一時間も!」
「そう、一時間もね」
「家の中に誰もいない、
 自分一人しかいないからこそ神経質になる筈。
 あなたー、そろそろ自殺する時間よ!
 なんて言って教えてくれる奥さんもいない訳だ」
「コンサートに行ってるしね」
「今日本警察も人員不足で操作をデータAIに大幅委任してる。
 状況データから予測を出して、
 それに目を通した人間が最終判断を出すってかたち。
 知ってる?」
「ええ」
「事件現場の孤立性からしても自殺、
 乗り換え予定時間との誤差は人間的誤認。
 実際は乗り換えが完了してない事もあって、
 この件はもう自殺と言う結論にしましょう。
 人手も少ないし……と言ったかは置いといて、
 データ判断だけならそうなるだろうね。」
「言い忘れたけど、
 旦那さんの指にファーカミの印字が転写されてたの、
 だから自分で薬を飲んだ線はかなり濃厚なの。
 それにファーカミ自体即効性が強いし、
 時限的に投入する事も出来ない。
 部屋の中には注射針の一つも無かったのよ?」
「だから警察は引き上げたんだろ。」
「……そうね」
「でもね、奥さんは旦那さんを殺してる。」
「どうやってよ」
「絶対奥さんは旦那さんの薬の事を事前に知ってた。
 だから死亡当日に家を出たんだ。
 なんでか判る?」
「それをあなたが話してくれるんでしょ」
「ごめんごめんそうだね。
 奥さんが家を出る時に言ったのは、」

コンサートに今から行ってくるわね

「じゃない、」

アナタが乗り換えた身体を迎えに行くわね

「だ。
 旦那が乗り換える先の身体が保管してある会社、
 そこに今から車で向かって、
 乗り換えたばかりのアナタを迎えるてあげるわねって、
 そう言ったんだ。」
「いや……でもコンサートは」
「旦那はコンサートの事を一切知らなかったんだ。
 本当に奥さんの趣味に無関心だったからだよ。
 あと不倫相手との通話記録はあるのに、
 奥さんとの通話記録は無い。
 コンサート中だと気を回したのか?いやそうじゃない、
 運転中に電話で邪魔したら危ないと思ったからだ。
 日本の乗り換え人体製造保管場所はかなりド田舎にある。
 その奥さんが都心暮らしとしても三時間弱はかかるだろう。
 じゃあそんな所にわざわざ奥さんは行くのか?
 きっと行くって言ったし、
 そう言っても不思議が無い雰囲気にしたんだ。」
「…どうやって?」
「セックスでしょ。
 セックスは旦那の方からじゃない、
 奥さんの方から持ち掛けたんだ。
 乗り換えをするんだから今の身体も今日まで、
 だから乗り換える前に抱いてって誘って、
 そりゃもう情熱的なセックスをしたに違いない。
 そして終えた後にこう言うんだ。」

乗り換えたあなたが一番最初の見る女は私よ。
車で迎えに行くわ。

「って。
 三時間弱の車の運転なんて、
 そんな面倒事はしなくていいと言うかも知れない。
 けれど死ぬ当日、情熱的なセックス、夫婦の仲。
 旦那は喜んで送り出しただろうね。
 かなり気分も高揚した筈だ。
 そこで不倫相手からの連絡。
 自分は色んな人間に愛されているという幸福感で、
 そりゃあスヤスヤと寝ただろう。
 でも全ては奥さんが旦那を殺す為の段取りだ。」
「……でも奥さんはコンサート行ってたのよ。
 一緒に見ていた友人からもアリバイ取れてるわ。」
「時計。」
「えっ」
「時計の時間、ズラしたね。
 デジタル時計なんて今じゃかなりのアンティークだ。
 どこの国でもフル展開時計を使ってるからね。
 警察も金持ち故のアンティークだと思っただろうがそうじゃない。
 手を触れずに遠隔修正できる裏製品が昔に出回ったが、
 そいつを使って一時間ズラすためのトリックの一部だ。
 乗り換え予定時刻は午後七時、
 ちょうど一時間ズラせば午後六時。
 フル展開の時計は色んなログが残るもんで、
 犯罪に使われる事はここ数十年無かったのが警察の仇になったな。
 ま、かと言ってこれも証拠が残らない手口だし、
 あくまで僕の推測に過ぎないけど。」
「……穴ぼこだらけの推理ね。
 奥さんが出掛けた理由もセックスの理由も、
 時計に至っては実証のしようも無いなんて、
 学校のテストなら0点、留年ものだわ」
「案外そうでもない訳で」
「なにがよ」
「もう一つ決定的にひっかかってた点がある。
 奥さん、旦那の死亡後に斡旋会社に謝りに行ったでしょ」
「そうよ、それが?」
「斡旋会社の人間の証言で夫婦仲は良かったと印象付いている。
 そういう風に警察側に証言も言っているしね。
 問題は本当に夫婦仲が良かった場合、
 斡旋会社にわざわざ行くか、という事だ。
 新しい体についてあれこれと熱心に考えていた夫婦、
 その片方が事故とは自殺し帰らぬ人となって、
 斡旋会社は寧ろ嫌な記憶を作った場所になった筈。
 場合によっては逆恨みをしても無理もないのに、
 迷惑をかけたと謝罪した上に金銭まで渡したなんて不自然だろ。
 迷惑をかけたから渡したんじゃない、
 奥さんに有利になるよう証言して貰った上、
 良い印象を崩したくないからそこまでしたんだ。」
「……あれ?」
「しかも旦那との不倫相手に裁判を起こしたらしいじゃない。
 気になって全て調べたら面白い事が判った。
 肝心の須藤、警察に乗り込んだ彼女だけは公判記録がなかった。
 要するに、不倫してるって判ってる筈の人間だけ訴えられてない。
 訴えなかったんじゃない、訴えられなかったんだ。
 恐らく奥さんは裁判で負けた時の金も補填すると言っただろうが、
 須藤の方が裁判で色んな事が周囲にばれると後から焦ったな。
 グルになって色々やってる時は考えず、
 いざ裁判となって調べて焦るあたり余り頭は良くない、
 まぁ手駒として使われやすい人間なんだろうよ。」
「……アンタ、誰?」
「旦那に連絡した時も恐らく時間の事を言ったね。
 今何時だよ~みたいに言って、
 デジタル時計を見た旦那がちゃんと間違った時間を確認してるかって。
 前時代の携帯電話デバイスは時計が見えるところに表示されるけど、
 今の時代はそんなナンセンスな事しないからな。」

無言は暗闇、酔いの浅瀬。
少し前まで浮かれた調子の飲み相手が、
グラスも持たずにじっと見つめてくる。
見つめられるのは赤沢、相手はまり子。
宵がいよいよ深くなる。

「友達の奥さんが利用した斡旋所の男の名前、
 清水って言うんだけど。
 彼は昔二人でそこの店を経営してたんだ。
 でもそのパートナーが急に転職するって言い出した。
 なんと、お好み焼き屋をやりたいってバカ言ってさ。
 しかもそれをオーストラリアで開くと言って聞かない。
 しょうがなく清水は彼を送り出し、一人で切り盛りするハメに。
 でも律義に何かある都度その友人に連絡をするんだ。
 この前こんな事があったよ、あんな事があったよ、って。
 でもこの前深刻な文面である話が送られてきた。
 自分が受け持った客が不審死したってね。
 結局は自殺って事に収まって良かったと書いてあったけど、
 お好み焼きの友人は気になって情報を追った。」
「……そのお好み焼きやさんの名前は?」
「赤沢。」
「あなたと同じね」
「しかも下の名前は勇人なんだ。
 最近小説でも書こうかって言ってるらしい。」
「……で?」
「で?何が、で?」
「私を訴えるの?」
「なんで?」
「須藤を突けば私まで来れるわ。あのコ馬鹿だから」
「アンタ、一つ余計な事してくれたんだよ。
 清水に金渡しただろ。あれが本当に良くなかった。」
「なんでよ?」
「アイツ焦ってたぜ、
 何でいきなりお金くれたんだろ、
 もしかして本当はあの奥さん、悪いことしたんじゃない?
 良いから気にすんな貰っとけって宥めるのに骨が折れた。
 お陰で俺の方が気になって色々調べて、
 それで今の推理だ、俺がどれだけ気を揉んだか判る?」
「………はっ、
 そんな赤の他人の事なんて気にしてたら旦那なんて殺せないわよ」
「言うね」
「事実だわ。」

まり子が言った、酒を頼みたいと。
もしかしたら最後の酒になるかも知れないし。
しかし片手を上げたまり子に赤沢が言う。
別に訴える気は無い。

「なんでよ。」
「清水ってやつはな、平穏に生きたい人間なんだ。
 波風立たせず、穏やか静かに。
 それが自分の顧客から殺人犯が出たなんて事になってみろ、
 もうアイツきっと胃に穴が開く。
 それだけじゃなく、店も実際はどうなるか……。
 乗り換えはサービス業だからな、評判が直撃する。」
「……あの人の為に私を見逃すって言うの?」
「まり子も言ったろ、他人の事なんて気にしてられないって。
 アイツは良い奴だ、本当に良い奴だ。
 大学時代に沢山の馬鹿をやった。
 そっとしておいてやりたい。
 どこかで誰かが殺そうが殺されようが知らんよ。
 まり子と一緒。」

でも一つ教えて欲しい。
どうして旦那を殺そうと思った?
まり子と赤沢の間に一瞬沈黙が流れたので、
赤沢がなかなか来ないマスターを呼びつけた。
おい、ここでレディーが手を挙げてるぞ。

「あ、そう言えば殺したって言い方は良くないな。
 自殺幇助だ。」
「……まぁ、簡単な話よ。
 あの人が死ぬまで待てなかった。」
「何をま……あ、マスター遅いよ。
 ハイ注文して。
 俺もコレ、新しいグラス頂戴。」
「アタシもこれおかわりで。
 ……豊かさが人間をおかしくするのよ。
 あの人、頭がおかしくなる位に成功したせいで、
 色んな女に手を出しまくってたわ。
 子供も一人や二人じゃない。
 まだ私が前の身体の時、入院してた時なんだけどね、
 いよいよ駄目になる間際に言ってやったのよ、
 アンタのしている浮気、全部知っているって。
 そしたら感傷的だったからか泣いて謝って来てね、
 もう全部縁を切る、お前だけだ、だから死ぬなって。
 私、実は乗り換える気が最初は無かったの。
 あの馬鹿の浮気が本当に辛かったし、
 もう私なんてその程度の女なんだ、もうここまでにしようと。
 でも泣いてすがる旦那が乗り換えしようって提案して、
 私も病気で気が弱かったのね……折れて。
 それで手続き、紐付け、奇跡的に全部間に合って、
 無事にこの身体に乗り換えたの。
 でもね……アイツはまた浮気したわ。
 なんで男って浮気するの?一回私にばれてるのよ?
 面と向かって言ってやった事もあるのによ。
 なに?自分の嫁は何度でも許してくれるとでも盲信してんの?
 一回許してくれたから、二回目も許してくれると思うの?」
「僕、結婚した事ないからなぁ」
「――こんな男、存在するだけで世の女の害になる。
 何より私が許さない、本当に許さない。
 妻という私の肩書が、より一層怒りを増した。
 こんな男、世の中から消えれば良い。
 死ぬまで待てない、私の手で――。
 そこからね、別れさせ屋みたいな事やってる須藤に手を回して、
 色々準備して、早くに乗り換えするよう旦那を説得して……。」
「どうして、オーストラリアに?」
「……笑わないでくれる?」
「ああ、約束する」
「誰かと寝るとね、夢の中にアイツが出て来るの」
「旦那?」
「そう……凄い目で私を睨みつけて、
 その夢の度に怒鳴ってやるわ、
 ざまぁ見ろ、私を馬鹿にした罰だ!って。
 それでもじっと私を睨んで来るの。
 恨み言まで言うようになった。」
「……オーストラリアは?」
「オーストラリアだけじゃないの。
 アメリカ、フランス、シンガポール……色んな国行ってる。
 喋ってる言葉を変えると、夢の中まで言葉が変わるんでしょ?」
「まぁそうだね」
「アイツに夢の中で喋らせたくなくて……。
 でも駄目、まだ喋るの。
 最近は一人で寝てても出てくる。
 もしね、アナタがここじゃなくて、
 まだあのお店にいたとしたら……いや、
 問題はそこじゃないわね。
 私がただ死ぬまで待てなかった。
 だから殺した。それだけよ。」
「僕の方もただそれを知っただけ、それだけだよ。」
「そう……」
「うん」

死ぬまで待てない。
早く新しい体になりたい。
若い体で良い女達をもっと抱きたい、
野心に応える体になりたい。

死ぬまで待てない。
かつて愛を誓った相手だから。
何度も私を裏切る馬鹿さに、
その相手と一緒になった私の馬鹿さに。

新しく来たグラスに口を付けてまり子が一気に首を傾けた。
赤沢もそれと止めずに、自分のグラスを傾け、
暫く二人は黙った、視線も絡めない。
手首をクイと回し、
氷を一回小さく鳴らしたのは気持ちの整理か、
まり子がまた一段階暗くなった店の中で小さく呟いた。


死ぬまで待てなかったんでしょ。

私もそうよ。

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