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知らずや己を 前編

今の世の中、
駅を三つ越えただけで景色が変わる。
『便利』は時間を短くした。

狐尾町は程好く田舎。
追われる事無く残る田んぼ、
五つだけのコンビニエンスストア。
数百年語り継がれる言い伝え。

言い伝えはと言うと、
遠い昔に大陸から逃げ延びた狐が住み着いて、
この土地の男と夫婦になったという。
その血が今もこの地に根付く人間達の間に細々と残り続け、
そのせいかこの土地ではやたらと、雨が降る。

雨が降るのがどうかしたのか、だと。
いかにも、雨だ。

天気の良い日に洗濯物を干していたら、
急に雨の音が聞こえてくる事がある。
慌てる足で靴をひっかけ空を見ると雲一つ無い。
そんな時に家人は、

「どうかつとめてお幸せに」

と言うのがこの狐尾町の仕来り。

ああ、もうやだ、雨だなんて。
とは言わない。

ちょっと、誰よ、雨降らせてるの。
とも言わない。

だがそれは大人の世間で、
子供達はよく『雨』をからかう。
どこの誰だろ、誰かが恋してる、とか言ったりして。
年配の大人達はそういう子供の声を聞くと、

「黙ってお幸せに言うとけっ」

と叱りつける。
それも狐尾町。

狐尾町の雨は二種類。
雲から降る雨と晴天から降る雨。
片方は自然現象で片方は狐の仕業。
狐の血を引く者達が晴れの空でも雨を呼ぶ。
それは言い換えればこの狐尾町、
狐の血を引く者達が今でも暮らしている、
と、そういう事である。

狐の血を引く者達も様々で、
先祖代々血筋の事を口外せずに細々と暮らしてきた者達もいれば、
自分は狐の血を引いていると大ぴらに口外する者もいる。

それによって結婚の際にも様々なドラマが生まれる。
結婚後に狐の血筋だと教えた事で相手に離婚を切り出されたり、
結婚前に教えても婚約を解消されたりと、
そういう事がこの狐尾町では起きている。

中には涙が出るような結婚美談もあったようだが、
誰もが狐の血を受け入れる懐の広さを持っている訳ではない。

「え、アンタ狐憑きなの?
 アタシ普通の人間が良いの、別れましょ。」

言うに事欠いて、狐『憑き』。
そんな別れの言葉を吐き捨てられて心を痛める者達もいる。

その様な苦々しい歴史を積み上げてきた狐の血を引く者達。
自然と家族以外の人間には血筋の事を喋らぬ者が多い。
ただし家族になるかも知れない相手に素性を言うのは別である。
結婚して家族になるのだから。
狐の血筋を共にして貰う相手になるのだから。

しかし実の所、狐の血を引いているとは言え、
普通の人間と大差ない生態を持つのが狐の末裔達。
尻尾もなければコンとも鳴かず、
耳も丸ければ肉球も無い。

ただ、
恋をしたり結婚したりする時に、
雨を降らせるだけである。

故に子供の頃から狐の血を引いていると周囲に知れている者は、
雨の日に色々とからかわれる事も多い。

子供は色々と試すもので、
ある日に自分が狐の血筋だと友人に話してみた。
小学六年の事だ。
次の日にはクラス中の奴らがその事を知っていた。

「やーいキツネ!獣くせえぞ!」

と大声を張り上げて言ったのは琴川。
テストの点数も大して良くない馬鹿で、
人を馬鹿にする事ばかりに頭を使う。

「そういう人間は将来苦労するから放っておきな」

と母さんに言われたがその時苦労したのは紛れもなく僕で、
母さんのいう『将来』とやらが早くきて苦労させたかったのだが、
結局苦労したのは僕だけで、
そのまま小学校を卒業、中学生になった。

中学になっても『将来』とやらは来なかった。
小学時代よりも校内人口が増え、
それは僕をからかう人種の数も増えたという事でもある。

狐の血を引くというネタは、
この狐尾町の学校で絶好の虐めの口実になるらしい。
僕が話した事でうちの家族も狐の血筋だとバレた訳だが、
大人の世間は冷静なもので、
村八分のようにされたり町内会で無視をされたりする事はないらしい。

だけど子供の世界は活発なの。

マンガでしか起こらないような事がついに起こった。
バケツで水をぶっかけられたのである。

「狐め正体をあらわせー!」

そう僕の耳には聞こえた。
どこの文献で得た知識かは知らんが狐は水で正体が出るのか。
とにかく僕は五人の馬鹿な男子からバケツ五杯分の水を貰った。
びしょ濡れにならない訳がない。

校内に狐の血筋と判っている人間は僕だけではない。
あと三人いるのだが、
阿形という先輩は中学生だというのに身長が176cmもあり、
一年生の時に狐をネタに馬鹿にした相手を蹴り飛ばし、
教師が来るまで殴り続けて……と、伝え聞きはここで終わってるのだけど、
その後も凄かったようで今では誰も先輩をからかわないらしい。
そりゃそうだ。

江川という二年の女の先輩はとにかく怖い。
その怖さは阿形先輩とはまた違ったものがある。
ヤンキー、と言えば簡単に済むんだけどただならぬ雰囲気がある。
過去に何かをしたという伝説は聞かないが、
女の子が無闇に生足を出す現代で一人ひざの下を更に伸びるスカート丈、
腰まで垂れる黒い長髪と、
右耳に二つあけたピアス穴が何とも言えないオーラを放つ。
校内で異彩を放つ佇まいに誰もからかおうともしない。

三人目は新藤という女の子だ。一年生。
美人でイイ子だと評判なのだが、
この子の周りの友人がとにかく良い奴ばかり。
誰かが新藤さんをからかおうものなら鬼の形相で追いかける程で、
新藤さんの周りには男女問わず大勢の学友が集う。
蜂のコロニーの女王の風格が漂う。

そして僕だが、
まぁ、そうだよね。
いじめで狙うなら、まぁ僕だわ。

誰もが誰かをいじめたくて、
ただそれを我慢できるか出来ないかで、
我慢できない馬鹿は、
一番いじめやすい僕に水をぶっかけた訳だ。
くたばれクズ共め。

「すいません、体操服ありますか」

今日は体育が無いから保健室で借りてきなさい。
びしょ濡れの僕を見つけた大して親しくない先生がそう言った。

滅多にこない保健室のドアを流し、
嗅ぎ慣れない消毒液が気体になって鼻を突く。

「わ、凄いびっしょり。どうしたの」
「先生体操服ありますか……」
「おーあるある。たいへんだこりゃ」

出迎えたるは通称『保健室のマキちゃん』、伊庭先生。

「どうーしたのコレ」
「バケツで水ぶっかけられて」
「たかがバケツでこんなに?」
「五人にいっぺんにやられて」
「かー、五杯か、それじゃ」

渡された体操服をもって伊庭先生が僕を促す。
そっちのベッドの所まで行きな。
そうしてシャーっとベッド付近の目隠しカーテンを覆ってくれた。

着替えているとチャイムが鳴った。
間髪入れず放送で音楽が流れてくる。
掃除時間の合図だ。

いつもはこの保健室、
掃除時間前の昼休みには多くの生徒がたむろする。
皆『保健室のマキちゃん』目当て。
伊庭先生には妖狐が宿っているかのような妖艶さがある。
それにつられて皆が集まるが、
今は時間が良かった。
いつも集まっている連中も掃除時間直前だった為か、
もう一人も残っていなかった。

「ありがとうございます」
「制服貸して、ここで干しとこう」
「すいません。
 ちょっとこの椅子座って良いですか」
「どうぞどうぞ」

掃除の音楽に混ざって幽かに元気な声も聞こえる。
掃除をしない生徒がその元気をまだ爆発させてるみたい。

「はぁ……狐の血筋なんて言わなきゃ良かった」
「ん?」
「僕狐の血筋なんです」
「あー知ってる知ってる、戸田君でしょ」
「先生も知ってますか」
「特殊な事情の子は大体把握してるからね」
「……水までぶっかけられて……。
 父さんの言う通りずっと黙ってればよかった」
「自分で狐の血筋だって話したの?」
「はい」
「どうして」
「なんか………――」

(長くなったので後編へ)

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