新しいビットマップ_イメージ_-_コピー

時を望みてそれを飲む

ここはとある会社の会議室。
次なる新商品の開発及び販売戦略が始まろうとしていた。

「えーでは来年度の目玉商品ですが、
 ここで我が社は新しい分野に切り込む予定です。
 その分野とはコレ、栄養ドリンク。」

スライドでデカデカと映し出された文字。
それは『栄養ドリンク』。
夜に無茶をしようとした人なら聞いた事のあるだろう飲み物。
人間は頑張りたい時にこれを飲み、
時に頑張りたくない局面でもこれを飲む。

ブラック企業に勤める人間の120%が口にする魔の飲料。
その飲料を販売する業界も今は戦国時代だが、
そこにこの会社も今まさに参入しようとしていた!

「昨今色んな栄養ドリンクがありますが、
 とにもかくにも商品とは見た目と響きが第一印象です。
 そこで社長直々に新商品の名称を頂いております。」

まだ商品の試作も完成してないと言うのに、
名前の方はもう出来てるなんて。
ちょっと先走りじゃないのか?
そう思った重役の何人かが腕組みをしたのだろう、
会議室の中に衣擦れの音が幽かに響く。

「その名も、『マダヤレール』!」

プロジェクターにデカデカと映し出された商品名。
黒の下地に白抜きの明朝体、フォントは目算32以上。
流石にあちこちからどよめきが起こる。

「このマダヤレール、
 とても雄々しい名称に負けない商品にする為、
 本日の会議では鋭い戦略の方向性を決める段取りです。
 ではまず色調担当の長谷川から説明を行います。」

マダヤレール、マダヤレール。
語感の舌触りを確かめたいのか、
はたまた言い知れぬ不安を感じてか、
会議室の各所から念仏のように唱える声が木霊する。

誰が呟いたのかも分からぬマダヤレールという響き。
その言葉達が会議室の中を何度も跳ね返り、
ついに辿り着いた社長の耳元、
その幽かな響きが彼の口元をニヤリと歪ませた。

「えー、どうも。色調担当の長谷川です。
 今回のマダヤレールの外装色ですが端的にいいます。
 赤です。
 しかもただ赤ではありません。
 こちらをご覧ください。」

言われるまでもなく会議の面々はスライドを注視している。

「入れる容器は従来通り褐色瓶。
 それを首元まで包む真っ赤な特殊包装で彩ります。
 そして『マダヤレール』の商品名部分は、黒色です。」

パン、と響いた、音が。
手を叩いたのだ、長谷川が。

「赤の下地に黒は鬼門、何故なら色が『沈む』から。
 他者のデザインを見ても、赤には白です。
 何故ならそれで色の明暗が際立つからです。
 しかしこのデザインは別に明暗など考慮しません。
 とにかく、赤です。
 赤く見せたいんです。
 色が沈む?
 沈ませましょう。
 とにかく、この瓶を赤く見せたいんです。
 白の文字だと赤の部分が少なくなります。
 マダヤレールの文字を黒にする事によって『沈む』のではなく、
 赤の『邪魔をしないんです』!」

またパン、と音が鳴った。
二回目の手鳴らしを長谷川がしたのだ。

「皆さん、まだやれる、そういう時にどんな色が欲しいですか?
 青ですか?青は駄目です、落ち着いてしまいます。
 緑ですか?緑じゃ足りない、必要なのは癒しじゃない!
 白でも黒でも黄色でもない、そう、赤です――。
 赤の強さを前面に出しましょう。
 下地は赤、文字は黒。
 マダヤレールという商品名が見えないかもしれません!
 でもその代わり強い赤が店頭でお客様の目にとまります。
 ああ、この赤はマダヤレールだ、きっとそう思うでしょう!
 文字が見えなくとも、強い赤がマダヤレール、
 そう印象付けるのです!」

マダヤレールは赤で攻める。
長谷川の力強いプレゼンは思いの外五月蠅かったが、
その迫力に押されたのか誰も反論を挟む者はいなかった。

「以上、色調担当の長谷川でした。
 では次に――」

次から次に壇上に人が昇る。
入れ代わり立ち代わり説明する各担当がマイクを取り、
販売ターゲット、売り出し時期、CM戦略など、
様々な調査、様々な発想、様々な成分候補が上げられ、
一日目の会議の幕もそろそろを閉じようとしていた夕方、
もう建物の外は秋の入り口で急かされた太陽が沈みかけている。

「それではこれまでのプレゼンを総合的に見返し、
 何かご意見のある方――あっ、はい社長」

会議室の中、社長の手が宙に伸びる。
各方面の偉い方に緊張が走る。

「本日は皆さん長い間お疲れ様でした。
 今日は敢えてずっと静観していたんだけどね、
 いや、皆の熱意が伝わってきたいい会議だった。
 でも見ていて私が個人的に一つ、思った事があってね。」

CM広報担当の杉浦の喉が唾を飲む。
市場調査リーダーの真鍋の拳が指を握り込む。

「……これ、サラリーマン用に売るのを止めない?」

唐突だが、猫に小判。
猫に小判とは言わずもがな、
与えた物が対象にとって無意味である、という諺だ。
世の中には適材適所がある。

樵(きこり)に斧、
コックにフライパン、
テニスプレーヤーにラケット。

サラリーマンにはスーツに鞄、
それに連なるものが栄養ドリンクである。

サラリーマンには栄養ドリンク。
このイメージが付いた歴史は古い。
戦士や畜生とも揶揄されるサラリーマンはタフネスが必要、
故にそれを補助する栄養ドリンクはサラリーマンの必需品ともいえる。

実際の市場調査もこの論に歯止めをかけない。
栄養ドリンクの購入層はサラリーマンが群を抜いており、
既存のメーカーの殆どもサラリーマンをターゲットに売っている。

栄養ドリンクをサラリーマンに売らず、

誰に売る?

「――しかし社長」

会議室の影の中でマイクを手に取った者が居た。
今回の総合販売戦略リーダーの牧瀬部長である。
スライドの光を後光の如く受け立ち上がった彼が、
恐れ多くも社長に進言をし始めた。

「この世の多くの人間は、働いています。
 事実我々もそうです。
 そして仕事とは一筋縄ではいかないものなのは御承知の通り、
 栄養ドリンクを必要としているのは、サラリーマンです。
 一番必要としている層は、サラリーマンです。
 事実私もこれまで数え切れない量の瓶を飲んできました。
 この場に居る全員と言って良いでしょう、
 栄養ドリンクを飲んだ事の無い者は、きっとおりません。
 それは社長も同じ事ではありませんか?
 それなのにターゲットからサラリーマンを外すとは……」

決して強い口調では無かった。
『部長』が『社長』に発言しているのだ。
その言葉の節々はどこか遠慮気味なのが会議室の誰にも悟れたが、
『通さなければならない』と言う意思もまた察せた。

「ごめんね言葉足らずだった」

ごめんね。
社長のごめんねが会議室に染み渡る。

「スーツを着たサラリーマンが会社で飲む為の栄養ドリンク、
 その従来観念を捨てようという意味で先程は言いました。」

栄養ドリンク、元気になる物。
サラリーマン、くたびれる。
だから会社で飲む、栄養ドリンク、サラリーマン、当然。
頭の中で情報を整理しようとして、
皆の中の思考回路がゴリラの様にカタコトで喋り出す。

「このマダヤレール、
 会社の外で飲む栄養ドリンクを目指しませんか。」

スライドが光を放っているためかまだ会議室の中は薄暗い。

「例えばの話、
 家に帰ったら子供がいると仮定して、
 会社で与えられる業務と家に帰って子供と遊ぶ事、どっちを頑張りたい?
 僕はねぇ、ハッキリ言って子供と遊ぶ方を頑張りたいね。
 だって子供にパパ大好きって言われたいもん。」

社長が仰る。
会社の業務よりは子供と遊ぶ事を頑張りたい。
父親としては百点の言葉かもしれないが、
会社の社長としてはどうなのだろうか。赤点をもらいやしないか。

いやまて、
でもこの局面、この台詞においてそれが赤点だと思う事、
それ自体がもはや社畜として精神を毒されている証拠なのではなかろうか。
そう思った部下がこの会議室の中に何人いるのだろう。

「会社での仕事と家での家庭団らん。
 会社での仕事と帰宅してからの趣味。
 会社での仕事と通いの事務での運動。
 僕だけじゃなくここに居る皆に会社以外の生活があると思う。
 何を頑張りたい。
 何を頑張るべきか、ではなくて、何を頑張りたい?
 ちなみにねぇ、仕事を頑張るなんて社会人としては当たり前なんだよ。
 問題はいかに仕事を楽しむか、だ。
 人生も同じじゃない?
 いかに楽しむか、でしょう。
 そう考えた場合、楽しむ事を頑張った方がよくないかね。
 そこの君。」

社長が突然指をさす。

「君、そう君キミ。
 君の会社外での楽しみと言ったらなんだね。」
「えっ、私ですか」
「そう、君だ」
「……」

相手の社員が口ごもる。
言えぬ楽しみを持っているのか、
それとも人生に楽しみなどないのか。
周囲の人間は心配から唇を噛む。

「家でプラモを組み立てる事ですかね。」
「ほう、模型か。好きなのかね」
「好きです。
 それに今作っているのは妻が買って来てくれた物なんです。
 以前忙しくてたまらなかった時、
 プラモを買いに行く気力も無いよと嘆いていたら、
 妻がこっそりそのプラモを買って来てくれました。
 嬉しくてプレゼントされたその日に手を出してしまって、
 それを今でも作り続けています。」
「ほう、ちなみにどんなプラモか聞いてもいいかね」
「社長も一度は耳にした事があると思うのですが、
 ガンダムというシリーズでデンドロビウムというものです」

ざわざわ、と会議室の中でまだらにどよめきが起こる。
同好の士が居たのだろうか、
そのどよめきが社長に教えた。
妻のプレゼントは決して下手な物ではないらしい。

「質問だが、
 その妻から貰ったプラモを作る時に栄養ドリンクを飲むのと、
 仕事で栄養ドリンクを飲むのとどっちが望ましいかね。
 断っておくが、この質問の受け答えで君の今年の査定に手心が加わる事は無い。
 保証する為に、あとで君の社員証プレートを僕に見せてくれ。
 で、どうだい」

流石に心の中に色んな打算が蠢いたのか返事には数秒かかった。

「栄養ドリンクを飲む程プラモが作れるなら、
 それは夢のようですね。」
「どうもありがとう。
 今の彼の発言は勇気のあるものだったと私は評価する。
 皆まで言わないが、なにせ我々はサラリーマンだからだ。
 しかし、将来的に彼の発言が日常の物になる事を私は望みたい。

 どうかこのまま聞き続けて欲しい。
 昨今働き方改革だのなんだの、仕事の内容の改善の風潮がある。
 年内に必ず消化しなければならない有給数も定められ、
 昔に比べて労基(労働基準監督署)の手入れも厳しい。
 今よりもっと諸君らが会社にいる時間が減り、
 仕事そのものが効率化されて就業時間自体も減るだろう。
 むしろそうあって欲しい。

 我々は何のために働いているのかね。
 当然、第一条件は賃金を得る為だ。
 ではなぜ賃金を稼ぐのかね。
 もちろん生きる為に他ならない。

 じゃあなぜ生きる。

 もしくは、どうやって生きたい。
 苦しんで生きていたいと答える物好きは少ないだろう。
 私を含めた大多数が楽しんで生きたい筈だ。

 じゃあ栄養ドリンクはどうかね。
 昨今の世の風潮を省みた上で、栄養ドリンクはどうかね。
 君達が会社で仕事をしている時ではなく、
 会社を出て自分たちの人生を楽しむ時こそ飲むべきじゃないかね。

 どうせなら、
 楽しい事してる時にまだやれるって言いたいじゃない、人生。」

この会議室、
何も素人の集まりではない。

どういう物を作り、どういう売り方をし、
どれだけの売り上げを見込めば会社の利益になるか。
その考えが頭の中を当然のように巡る面子が集まっている。

その面子の思考にかかれば、
社長が言った言葉がどれだけ危ない勝負に聞こえるか、言うまでもない。

「あくまでこれは提案だ。
 もし、もしだよ。
 もし本当に今後の世の中が先程言ったように流転するなら、
 僕の提案はその新しい常識の草分けになる。
 ここで他の提案に切り替えても、きっと他の会社が草分けをするだろうけど、
 どうせなら草分けになりたいじゃない。
 僕はね、いつも勝率九割とかの仕事をしてきた訳じゃない。
 だから今ここまでこの会社を大きくできたし、
 今この社長と言う椅子に座っていると言ってもいい。

 今回はね、ちょっと特別でね。
 この会社にいる皆の気持ちを知りたい。どういう未来が良いのか。
 次の会議でここにいる全員で大雑把な売り出しの方向性を決めようと思う。
 全員での多数決でだ。
 まぁ内容はさっきの僕の提案を支持するかどうか。
 しょっぱなで取ろう。
 僕からは以上、みんな今日はお疲れ様でした。」

電源が落ちるスライド、上がるライト。
最初に立ち上がったのは社長で、
最初に会議室を出て行ったのも社長だった。

部屋に戻間際に覗くようにちょっと会議室のドアを開けて見ると、
そこには珍しく、なかなか立ち上がろうとしない面々が椅子にまだ座っていた。

社長は思った。
なかなか立ち上がらないのは、何かを考えている人の傾向。
彼らがそうやって真剣に考える程の提案は出来たのだろう、と。

栄養ドリンクはサラリーマンの飲み物。
時代はまだそのイメージを逃がしてくれない。

「せめて今日は誰も、
 栄養ドリンクを飲まずに退社しますように、なんてね。」

そう呟いて社長は部屋のドアを閉めた。
彼の願いは叶うだろうか。

お楽しみ頂けたでしょうか。もし貴方の貴重な資産からサポートを頂けるならもっと沢山のオハナシが作れるようになります。