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未払い残業代を骨が笑う 森編

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魔族の領地には森が多い。
防衛面での効果が非常に大きい為で、
魔族領の森には禍々しい植物が多く自生する。

戦時には天然の要塞として森に陣営を張った過去もあるが、
きちんとした記録として残される程その効果は大きい。
土に潜る、木に登る、霧の中に潜む等、
戦術のバリエーションが格段に増える。

こう書けば魔族は自領の森に慣れていると思われるが、
その真偽は半々と言ったところだろうか。
全ての森が魔族の『言いなり』になっている訳では無い。

人間同様、
魔族の中にも鼻つまみ者は居る訳で、
そんな曲者達が逃げ込むのもまた森となる。
故に魔族の中でも近寄りたくない森があり、
そこは必然的に悪党どもの巣だと判るのだ。

ヴイカもそんな森にはこれまで近づかなかった。
子供にも「いっちゃダメだぞ」と言い聞かせ、
言わずもがな自分も生涯近づく事は無いだろうと思っていた。

この夜までは。

有名な森は『マルカトの膝』と呼ばれている。
森の中心が大きく隆起していてまるでそれは山のようだが、
森の中に入ってみると地面は山の形状を成していない。
大きな大木が何本か中心部分に雄々しく生え、
それらが織りなす形状は外観からして山だと嘘を吐く。

ヴイカの足はマルカトの膝へと向かった。

可哀想ではあるが、
今この世にヴイカの帰る場所は無かった。

家族が暮らす魔族の本拠地には帰れない。
今頃自分を探す兵士がウヨウヨいるだろうし、
こんな姿で家族の前にも出られない。

元居た洞窟なぞもっと帰れない。
仲間達に「どうして戻って来た?」なんて聞かれて、
一部始終を語って聞かせろと言うのだろうか。
実は自分達は捨て駒で、ここから掘り返される望みも薄い、等と。
それにヴイカは嘘を吐くのが本当に下手だった。
それがお前の良い所だよと言われた事もあったが、
今回に限っては役立ってくれそうもない。

いかねば、ではない。
いくしか、ない。

ガッシャガッシャと骨を鳴らし、
ヴイカがマルカトの膝へと逃げ込んだ。

森は寛容だった。
ドアも無ければ窓も無い、
入りたければどうぞ中へと来るものを拒まない。

ただ、
入った後のコトはどうぞお気を付けて。

分類は『森』という名を承ろうと、
通った名前はマルカトの膝、
この世を作った神の膝を頂いているこの空間、
よもや森とは思えぬ湿気の重さ、闇の誘い、
まるでバケモノの腹の中にこれから入るみたいだと、
ヴイカは身震いを抑えられずに一つ、
カシャリと節々の骨が笑った。

いざ悪党どもの巣食う膝の中へと入る。
『入り口』の足元はぬかるみ、緩い。骨の足がめり込む。

ふと思い出した。
子供の足を、
そう言えば何度もぬぐってやった。

雨の日にやんちゃに任せて外で遊び、
泥だらけになって帰って来た小さい足を見て、
それで家には行ったら母ちゃんに起こられるぞと、
そう言って何度もあの小さい足を布で拭ってやった。

ヴイカが自分の足を持ち上げると、
「もういっちゃうの?」と言わんばかりに泥が一緒に持ち上がる。
大人になった自分の足を拭ってくれる相手なんて、
もう誰もいないだろうに、
こんな骨になった身体なら尚の事。
今は歩くしかないだろう。

ぬかるみを鳴らし歩を進め、
ヴイカがマルカトの膝の中へと歩いた。

中へ入ると地面の形状が凄い事が判る。
遠目から見れば山のようだが、
中の地面は下から上へ、上から下へ。
昨晩は地面がタンゴでも踊ったのかと思う程の乱れ道。
道だけでは寂しかろうと、
周囲の土も盛り上がったり、抉られていたり。

これは悪党が身を隠さずにいられない。

地面の死角から襲われでもしたら骨の二、三本、
あっという間に盗まれてしまう事にも抗えない。
盗んだところで、何に使うかは知らないんだけれど。

噂では大層な数の悪党が巣食うと噂のマルカトの膝だが、
奥へ奥へとと踏み入ってもなかなかお出ましにならない。

時刻は夜、
流石に悪党でも夜は寝るのか。

「おい」
「え?」
「骨、お前の事だ」

呼び止められて歩みが止まったヴイカの横に、
黒い雲のような煙のような、
森の何処からか集まって来た怪しげな気体が声を出した。

「なんだそれ、なんでお前動いてんだ」
「………」
「おい、聴いてんだろ」
「いや、喋る煙なんて初めて見たからびっくりしてた」
「こっちだって動く骨なんて初めて見るからお互い様だ。
 お前の動く様が奇妙過ぎて、
 他の奴らが俺をわざわざ呼びやがった。」

煙はぎゅうう、と集まると肉になり、体になり、
紫色の泥人形のような形を取った。
なんだこいつは。
ヴイカには警戒で歪ませる眉が無いので、
紫色の泥人形はずけずけと人差し指でヴイカを押した。

「心臓も無いのに動きやがって、
 ダメダメ、幾らここが来るもの拒まずの土地だからって、
 お前みたいな気味の悪い奴がきたら風紀が乱れる。
 帰れ帰れ、しっし」

お前には言われたくないんだけど。

けれど自分はここでは新顔、
言いたい事を飲み込んでヴイカがぐっと堪えた。

→煙編へ続く

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