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死ぬまで待てない ③

司法解剖が行われると教えられ、
それがただの不安の種でしかない事を清水は悟る。

司法解剖が行われるとだけ知って、
それが何日に行われるのか知らされる訳でもなく、
日取りが判っても結果なぞ尚更教えて貰える訳もない。
清水はただの個人経営者。
警察由来の情報を教えて貰える伝手もなければ義理も無い。
有る事よりも無い事の方が多い、
それが清水の人生。

どこのオシャベリが漏らしたんだ。
司法解剖がされる事のリークなんて。
お陰でこんなに不安でストレス溜まって、
風呂場の排水溝に抜け毛が渋滞してる。

「はーやだやだ、
 こんなに悪い展開しか想像できない宿主からは、
 もうスタコラサッサとオサラバするぜ。
 おう皆もそうしろ!」

と旧約聖書のモーセの如き髪の毛が先導したのか。
清水は最近髪の中に指を入れるのが怖い。

最近は胃の調子も考慮してコーヒーメーカーは休暇中。
ウオーターサーバーだけがコップの中に水を吐き、
コップは置かれたカウンターの上で、
なかなか来ない客の代わりに清水の相手をする。

そんな日がしばらく続いたある日、
一本の電話がかかってきた。

『お世話になっております、
 株式会社クロッカスの倉知です。』
「あ、どうも…お疲れ様です。」
『片岡陽平氏の件、なにかそちらに連絡行ってますか』
「いえ……司法解剖の結果ですか?」
『その事ならもう……なるほど、殆ど御存知無いようで。
 司法解剖の結果はシロでした。
 けれど警察の判断は自殺です。』
「え?」
『ファーカミ14を服用したとの事らしくて。
 清水さん、ファーカミ14の事は御存知で?』

ファーカミ14とは奇妙な名称だが、
『表』では出回らない薬の一種で、
乗り換えの界隈ではとかく知れ渡っている。
非常に隠蔽性の高い心臓発作誘発剤であり、
手早く死にたい方々の間で引く手数多の薬物である。
即効性かつ数十分後に体内で成分分解され、
司法解剖もすり抜ける『薬物界のスパイ』と呼ばれる。
無論、使用は法に触れる。

「てことは、
 違法処罰ですか」

清水の唇が弱々しい。言葉も薄い。
電話相手の倉知が、

「聞こえませんでしたもう一度」

と言ったので、
清水が一つ、唾を飲み込む。

「片岡陽平は違法処罰ですか」
『人差し指の腹にF14のプリントが転写されてたらしくて。
 握った時に指がしめっていたのか、
 カプセルの印字が僅かに映っていたと』
「違法処罰ですか」

詳細の説明などいらない。
そんな説明が今の俺の何の役に立つ。
この件が違法かそうでないか、
うちの店舗が違法な事に関わってしまったのか否か、
それだけが知りたいんだ。
清水にイライラが募り始める。
それを察してか電話口の倉知も声色を変え、

『いや……それが違法処罰にはならないらしくて。』

と短めに話した。

片岡陽平は確かに自殺をした。
だが乗り換え自体は失敗している。
もうこの世に片岡陽平という魂は存在しない。
あくまで違法に乗り換えした者に対する法律であり、
乗り換え出来てない者に対する法律は存在しない。

『という訳で、今回はただの自殺です。
 それだけです。
 ――もしもし?清水さん?』
「  え?ああハイ」
『なので、あとは片岡夫人の方と、
 今回の件をキャンセル扱いにするかどうかのやり取りを…』

電話口で倉知が続ける説明は聞こえていたが、
今回の件が事件扱いにならなかったという安堵で、
鼓膜は余計な信号を脳に運ばない。

『――という訳で、
 それまで今回の件の振り込みはお待ち下さい』
「あ、大丈夫です、ご連絡有難う御座いました」

社会人に染みついた言葉だけが勝手に返事をした。
返事をしたのは口、しなかったのは脳、
電話をカウンターの上に放り投げた手は清水の顔を覆い、
呻き声を上げて暫く清水の身体は猫のように伸びた。
それが心配から解放された最高の表現だった。


片岡陽平の死が自殺となるまでに、
警察と陽平の妻、まり子との間に長い時間が費やされた。

警察の気配は尖っていた。
乗り換えの予約を済ませていた人間が心臓発作。
『偶然』が『不自然』と言う異臭を巻き散らし、
警察達の眉間に皺が因る。

調べによると片岡陽平の乗り換え手続きは完璧、
金の流れに不自然さは無い、会社とのやり取りも正常だ。
乗り換え期日に関する報せも間違いがなく、
片岡陽平本人もその情報を知っていた筈なのに、
どうして期日時間よりも早く死んだのか。
しかも、期日当日にだ。

乗り換えを申し込んだ人間の殆どは健康に気を遣う。
乗り換え準備完了期日まではその傾向が多い。
いざ自分の魂が乗り移る先が準備されるとなると、
まるで急に身体が脆くなったのかと周囲が思う程、
外出、食事、諸々の面において慎重になる傾向がみられる。
面白いのは乗り換えサービスが準備万端整うと、
また人が変わったように今度はだらしなくなる事だ。
不摂生、暴食、体力的にも無理な事をやり、
自分の命をわざと危ない方へとおいやる。
法に触れない範囲で、早く乗り換えをしたいが為に。

「御主人が死亡したと思われる時間、
 あなたはどこに居ましたか?」

警察が真っ先にそう尋ねたのが妻のまり子。

片岡陽平の死は帰宅した妻のまり子によって発見された。
予約していたコンサートに出掛けている間の突然死。
陽平の死体の第一発見者となったまり子は病院に電話をし、
そこで死亡が確認された。

「コンサートに行く前は何をしていましたか?」

夫の死亡推定時刻にコンサートに行ったと言う妻。
次の質問をする警察。
すると少し俯いたまり子が控えめな声を出した。

「せっくす?」

妻のまり子は夫と性交渉をしたと話す。
乗り換え準備完了予定日の当日、
今の身体で妻を抱くのもこれが最後かも知れないと、
興奮した夫の陽平が妻のまり子に性行為を持ち掛けたという。
まり子はコンサートまで時間がある事を理由にこれに応じ、
性行為後は夫と共に同衾睡眠、
かけていたアラームで起床後身支度を済ませ、
コンサートへ向かったという。

「陽平さんは一緒にコンサートに行こうとは言わなかった?」

妻のまり子曰く、
夫は音楽に対する興味は薄く、
音楽系の催し物に行こうと言っても同行の意をあまり示さない。
極たまに御機嫌取り程度に同行する程度だったという。
死亡時のコンサートも元々は二人分のチケットを取っていたが、
乗り換え完了予定日が後から決まり、
安静を理由に陽平が行くのを断った。
まり子の方もいつも一人で行ってるので特に揉める事も無く、
そのまま一人で出かけたという事らしい。

まり子の証言に基づき陽平の身体を調べた警察は、
尿道に射精後に見られる精子状態を確認する為、
司法解剖へと遺体を回した。
証言と食い違うならば、事件である。

司法解剖での体表スキャンで拾われたのが指先。
世間の裏で流通するファーカミ14、
その略称である『F14』の印字の転写。

「まり子さん、貴方の仰る通り、
 陽平さんにはコンサート時間前に、
 誰かと性行為をした痕跡があります。
 しかしそれと同時にファーカミ14の印字が指から取れました。
 お尋ねしますが、
 御主人がF14を所持している事は御存知でしたか?」

いえ、薬物の名称すら聞いた事がありません。
夫がそんなものを持っているなんて知りませんでした。
そう証言した時のまり子は顔を曇らせていた。

警察陣営に疑念が舞う。
これはもしや、
何らかの方法でまり子が陽平にF14を飲ませたのではないか。
陽平の乗り換え紐付け完了は九日の午後七時。
死亡推定時刻は同日午後六時。
コンサートは同日午後六時半開始。
まり子が家を出たのは四時半。

この時間の刻みは何だ、出来過ぎている。

警察側がまり子に対し、
更に詳しい取り調べを始めようとした頃、
須藤と名乗る一人の女が警察へとやって来た。

自分は片岡陽平と『交際』していた者だと言う。

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