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髪を溶く 闇に梳く

ある日、寺の和尚様がほうきで落ち葉を集めていると、
目の前に驚く客が現れた。
昨日城に上がった筈のミズキだ。
聞いていた限りでは若殿の側使いとして迎えられ、
もうこの村に戻ってくる事も滅多に無いとの事。

それがどうだ、
頭に髪の毛一つない姿で寺に現れ、
後ろには父と母を連れている。

突然の事で和尚様が少し言葉に詰まったが、
やんごとなき事情がきっとあるのだろうと、
何も聞かずにまず寺の中へと一家を通した。

和尚様とミズキとの縁は薄いものではない。
というのも、このミズキという娘、
幼い頃に寺に連れて来られた事がある。
その時のミズキを抱えた両親の顔は曇り顔、
ミズキは年で三つを数える時だった。

幼子で齢三つ、
口には歯も生え爪も伸び、
当然頭には毛がふさふさと蓄えられる頃だが、
その時のミズキは可愛いハゲ頭。
この年で仏門に入れる準備でもしてるのか。
和尚様がそんな事を思っているところ、
ミズキの両親がこう相談してきた。

「和尚様、この子は何故か髪の毛が伸びねぇんです。」
「おぬしらが剃っているのではないのか。」
「この子の頭には刃一つ当てた事がありません、へぇ。
 髪の毛は生えているんで御座います、
 けれども、それがてんで伸びやしない。
 しかも髪だけじゃない、眉もからっきし。
 見てくだせえ、この顔を。」

言われて見つめたミズキの顔は、
確かに髪の毛のみならず眉も無く、
挙句の果てにはまつ毛も無いではないか。

「これはどうした」

和尚様がそう尋ねると、
両親は生まれつきこうなのだと眉をしかめた。
あっしらも最初はそのうち生えてくるもんだと思って、
けれども三つになってもこの有様。
何か呪いでも貰ったかと怖くなりまして、
和尚様、どうしてこの子の髪は伸びねぇのでしょう。

親は子供が愛おしい。
たかが髪の毛の生え揃い。
頭を洗うにも便利なものだと、
そんな笑い話にする程馬鹿じゃない。

「もう一度、ようく見せてくれんか」

親の真剣を汲んだ和尚様はじっと顔を寄せ、
ミズキの頭をしっかりと眺め込んだ。

なるほど、確かに生えてない訳では無い。
短いものだが伸びようとしている毛がいくつも見える。

「この長さのまま変わらんと言う訳か」
「いえ、朝になると、もうすっかり髪がねぇです。
 こんくらいの昼になると、ここまで伸びて、
 次の日の朝には、伸びた筈の髪がねぇのです。」

ふむ、これは奇怪奇天烈。

髪は伸びるがまた消える、
消えては生えて、また消える。

夜に妖怪が忍び入るにしても、
そんなマメな事を毎夜するだろうか。

「少し、この毛を分けてくれんか」

和尚様は短い毛の一本切り取り、
両手で包んで部屋へ戻ろうとした。
ところが、筆の入れ物の中に入れようと手を開くと、
切った筈の毛が見当たらない。
しまった、どこかで手から抜けたか。
和尚様は慌てて親子を追いかけると、
もう一本髪の毛を切り取り、
また両手で包んで寺へと戻った。
はて、さっきは一体どこで抜け落ちたのか。
そんな事を思いまた部屋へ入る時、
ふと思って手を開いて見ると、また毛は見当たらない。
うん?と思って親子を追いかけるのも二度目、
幼いミズキの頭から毛を切り取るのも三度目。
今度は無くさぬ、と三度毛を手で包み込んだが、
はたと止まった和尚様は親子に暫く待つよう言った。
一体さっきからどうされたんべか。
ミズキの親がそう怪訝がっていると、
そろそろと和尚様が両の手を開いた。

「なるほど、お前達、
 今晩一つ、こう試してみなさい。」

親子は家に戻り、
次の日の朝になるや寺に飛んできた。
和尚様聞いて下せえ、ミズキの頭に毛が残ってやした。
親子がそう息巻きながら見せるミズキの頭には、
確かに子供らしい柔らかな短い毛が残っている。

和尚様は手の中の毛が三度無くなった事を見て、
ミズキの両親にこう案を授けていた。
今晩は囲炉裏の火を絶やす事なく、
家の中を明るくしておきなさい。
寝る時はミズキの頭を明かりにあたるように。

「和尚様、一体どういう事でしょうか」
「ミズキの髪はきっと暗闇に溶けてしまうんじゃな。
 ワシの手の中で、三度も無くなりおった。
 きっと光に当てておらんと消えてしまうんじゃよ」

それからミズキの毛は見事に伸び切り、
目鼻立ちも整った面立ちは菩薩のよう。
村の若い男達は日に一度はミズキを見ようとし、
畑仕事の合間に何度も休憩を取るので、
父親に怒られる者が後を絶たなかった。

ミズキが十二の時の事、
山の向こうで人攫いの噂が立った。

山の向こうの事だと抜かったか、
ある晩ミズキの家にこれが押し入り、
巨漢の人攫いがミズキを担いで家を飛び出た。

人攫いの噂が山を越えたように、
ミズキの美人の噂もまた山を越えてしまっていて、
それを聞きつけた人攫いがわざわざ山を越えてきたのだった。

両親が腰を抜かしたところからなんとか立ち上がり、
こら、待て、娘を放せと家を飛び出て追いかけた。
しかし辺りは暗がり、夜の闇。一体何処に逃げた。
おおいミズキ、聞こえるんなら返事をしろ、どこだぁ。
父親がそう叫ぶと、
オラぁここだぁ、とミズキの声が返る。
声のする方に走りよると、
頭がつるつるになったミズキが腰から地面にへたり込んでいた。

急に丸坊主になったミズキに驚いて人攫いの奴、
慌てて放り出したのか。
久方振りに毛が無くなってしまった事は仕方ない、
何より無事で良かったと親子は抱き合い、
人攫いは山の向こうへと帰った噂が辺りに立った。

それから暫く、
また伸びたミズキの髪は潤いを増し、
その噂は遂に城の若殿の耳にまで入る。
わざわざ村にまでやってきてミズキを見た若殿は、
登城して自分の側仕えになれと申し渡した顛末となる。

ようやく時は繋がり、
寺の中で和尚様とミズキ一家が話をする。

「城仕えは断りました。
 自分は突然髪が抜け落ちる病を患い、
 このような身が殿にお仕えするのは恐れ多いと」
「若殿は、それで良しとしたのかっ?」
「流石にハゲ頭の女を好む趣味は無かったのでしょう、
 そうか、あい分かった、の一言で返されました。
 所詮は学のない村娘一人、
 さして執着も無かったのでしょうね。」

淡々と話すのはミズキ、
未だ心惑うは和尚様。

「その、な。どうして髪がのうなったのじゃ」
「それは――」

ミズキの言葉が断ち切れた。
稲妻のように切り込んできた声が一つ、
和尚様が表に出てみると血相変えた村の庄屋が居るではないか。

「さつきが、うちの娘を見んかったか。」

庄屋はこう話す、
朝起きてみれば娘の部屋はもぬけの殻、
ただ草履は無いのできっと夜中にこっそり抜け出し、
それから朝になっても家に帰っていないのだと言う。

「まぁ、さつきちゃんも年頃だ、
 恋煩いのあれやこれやで、
 まだ男の所に居るのではないかね」

和尚様がそう言ったのを聞き終え、
今度はお返しだとばかり、庄屋の声が雷のように轟く。

「さつきが惚れている男は知っている、森田の半兵衛だ。
 朝に怒鳴り込みに行ったが半兵衛だけで、さつきは居ない。
 娘をどうしたと問いただしても、
 昨日の夜は会ってない、約束もしてないと抜かす。
 きっとアイツだ、山の向こうの人攫いだっ。
 長らく噂は聞かなかったが、
 さつきが良い歳になったんで攫いやがったっ、あの野郎!」

気付けば庄屋の両手は和尚様の胸倉を掴み震えている。
目が血走った庄屋を宥めて落ち着かせた和尚様は、
村の中に人攫いの触書を出すからと言い、庄屋を返した。

これはもしや。
ミズキのハゲ頭に、消えた庄屋の娘、人攫い。
今寺の中にいるミズキ一家も、
聞くに苦しい話を持ってきたに違いない。

眉間に眉を寄せた和尚様がミズキ一家の前に戻ると、
湯呑を一度傾け、静かに口を開いた。

「話してみなさい、何でも聞こう。」
「では、私を仏門に入れて下さいませんか。」
「それが願いか。」
「はい」

ミズキが神妙な面持ちを崩さない。
言葉は磨き研いだ谷川のようだった。
その節々に濁りは無く、聞くに美しいとさえ思う。

「ミズキ、もしな、お前の身体が人攫いの手にかかったとしても、
 お前がそれを恥じる事は何もない。
 悪は人攫いにあり、それがお前に移る事があろうか。
 髪だって、また生える。
 この度お前の毛が無くなったのは、
 うっかり囲炉裏の火を絶やしてしまったとかなんとか言って」
「いえ、和尚様、考え違いをしておいでです」
「ほ?」
「私、人を二人、殺めてしまったんです」

耳に仏が悪戯したか。
さては狐が化かしに来たか。
目の前の華奢な体の女子が、人を殺したと、
しかも二人も殺したというのは、何かの夢か幻か。

「   ふ、冗談を申すでない。
 お前の細腕では赤子も殺せまいよ。」
「人攫いが来た日の事で御座いました。」

そう話し始めたミズキの鋭さよ。
瞬きもせぬ両の目は和尚様を放さず肩には微塵の震えも無い。
落ち着いた声は鋭く、堅い。

「あの日は恐ろしゅう御座いました。
 見た事も無い大きな体にひょいと担がれ、
 暴れ竜に乗ったように家を飛び出ました。
 私は怖くて男の身体を精一杯叩いたのですが、
 アイツはびくともしませんでした。
 真っ暗な中を凄い速さで攫われるのが恐ろしくて、
 歯がカチカチと鳴ったのも初めての事でした。
 もう私はこの男にいい様に弄ばれ、果ては殺される。
 和尚様、御存知ですか。
 恐ろし過ぎると、涙も出ず、ただ足が震えるのです。
 もう身体が言う事を聞かぬ時、
 私の眉の間をぬるりとした何かが通りました。
 眉だけではありません、頭のあちこちから、
 ぬるり、ぬるりと泥の様なものが垂れてきて、
 地面にびしゃりと落ちたのです。
 和尚様、これから申し上げる事は嘘ではありません。
 私も最初は夢を見たのかと思いましたが、
 どうやら本当です。
 私を担いでいた人攫いはその地面に落ちた何かに足を取られ、
 ずぶずぶと沈んでしまったのです、まるで沼の様でした。
 それは人攫いだけ飲み込むとどこかへ消えてしまい、
 担がれていた私まで飲む事はしませんでした。」

そこまで聞いた和尚様は一旦口を挟んだ。
という事はミズキ、人攫いはその時にはもう。
だとしたら、先程庄屋が言っていたのは一体。
お前も聞こえていただろう、あの叫び声。
ワシはてっきり人攫いがさつきを襲い、
お前まで襲ったのだと思った、違うのか。
身の汚れを気に病んだので側使えを断ったのでは、
無いと言うのか――

「……和尚様、昨晩の事で御座います。
 庄屋様のところのさつきさんが夜に家に来たのです。
 話をしたいと。私は年の近い女子が来たと内心嬉しく、
 言われるがまま家にあげました。
 するとさつきさんは隠し持っていた革袋を取り出し、
 中に入っていた水を囲炉裏にかけたのです。
 あの人はこう言ってました。
 アンタ如き馬鹿の醜女(しこめ)が、
 私を差し置いて城仕えするなんておこがましいにも程がある。
 宵闇で髪が抜ける化物はハゲ頭で城に行け、と。
 ――まぁ、村の皆は私の髪の事を知ってます。
 むしろ今まで誰も悪戯をしなかったのが不思議ですよね、
 なにか布をかけて私の髪をなくそうとしたり、とか。」
「それはミズキ、お前が優しさを知っていたからだ」
「でも人を殺したんです、私。
 さつきさんが囲炉裏の火を消したあとでした。
 また、ぬるりとしたかと思うと、
 頭からあの日の何かがぼたぼたと床に落ち、
 それがザザザ、とさつきさんの方へ向かうのが判りました。
 悲鳴の一つも無かったんですよ。
 落とし穴にすぽっと落ちるようにさつきさんが暗闇の中、
 『私の髪』に落ちるのが判りました。
 その時にようやく知る事が出来ました、
 あの日、人攫いは私が殺したのだと。
 人攫いとさつきさん、合わせて二人、
 私が殺したんです。
 和尚様、どうかお慈悲を。
 私が番所に出向いて全てを話せば、
 化物を産んだ親として父と母も捕まり殺されるでしょう。
 私はもう髪を伸ばす事は致しません、
 この寺から出る事も致しません、
 この世の全てと交わる事無く余生をここで過ごします、
 もし少しでも違う事があれば私を石で打ち殺して下さい。
 ですので和尚様、どうか仏のお慈悲を。
 私をこの寺で仏門に迎えて下さい、
 お願いします。」

和尚様は人を殺した事が無い。
人を殺すとは、どういう事か。

殴り、蹴り、石を投げ、棒で打ち、
刃を持てば切り殺す事もあるだろう。
謀って、罠にはめるのも上げられる。

もし、この娘が地獄に落ちたとして、
閻魔様はどのような罪状を読み上げるのだろうか。
一体、読み上げる何があるというのか。

「ミズキ、聞きなさい。
 お前がまだ三つの時、
 後ろにいる父と母がお前を抱えてやってきた。
 お前の髪が伸びないと心配していたんだ。
 その三年間、お前の髪は闇に溶け続けていた事になる。
 ミズキ、良く聞け。
 その三年間の髪の毛が、お前の父を殺したか、母を殺したか。
 髪はただただ闇に溶けていた。
 きっと虫の一匹も殺していない。
 お前の髪はきっと呪われた人殺しの道具じゃないんだ。
 お前の為に仏が備えた守りなのだよ。
 その証拠に、お前に悪意ある者をしか喰ってない。
 もしやすると鏡やもしれぬ。
 心の悪をそのまま返す鏡やもしれぬ。
 お前は誰も殺しておらぬよ。
 ただ仏が、周りの悪をお前の髪を通して裁いた。」

これまでの色々に心が乱れておるのは確かだろう。
もしお前が良ければ暫くここで奉公しなさい。
心が落ち着いた頃に、この寺を降りると良い。

それを聞いたミズキは深く頭を下げ、
その顔が上がるまでには長い長い時が流れた。
和尚も顔を上げる事を促さず、
後ろの両親も静かに唇を噛むばかり。

暫くしてのち、
おかっぱ程に髪が伸びたミズキが寺を降りるのを、
村の男が見たという。

いまはむかしのものがたり。


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