![新しいビットマップ_イメージ_-_コピー](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8990693/rectangle_large_type_2_8591944f27ab7270a6861a9a0eb3f84f.jpg?width=1200)
「費用は十五万円、それも即金ですが」
そう言われた相手は電話越しに、
「大丈夫です、用意できます」
と言い、当日本当に現金十五万円を持参してやってくる。
発つ場所によっては交通費だけでも万を超えるだろうに、
それでも毎月四から六組のお客がこの田舎の土地にやってくる。
電車だけでは足りなくて、
バスを使ってやっと着く。
さもなければタクシーを。
不便な土地に赴く鬱陶しさを免れず、
それでも来たがる客は後を絶たない。
そうしてようやく辿り着いた場所に来てみると、
何の変哲もない家が一軒あるだけで、
インターホンも古臭く、カメラのレンズも付いていない。
強く押し込んでようやく鳴ったピンポーンとひび割れた電子音に、
はぁい、と女の声が聞こえるのだ。
家の中に住んでいるのは女が一人、ひとりだけ。
猫もいなけりゃ犬もいない。
「遠くからお疲れ様でした、どうぞ」
そう促されて家の中に客である夫婦が敷地に入ってみれば、
寂しげな静かさが立ち込めていた。
やってきた夫婦が用意してきたものは事前に教えられた十五万を現金で。
それと医者からの紹介状と、菓子折りを一つ。
玄関の流し戸が錆びた音で横に流れて、
眼鏡をかけた女がどうも初めまして、と口にする。
「つまらないものですがどうぞ」
と挨拶の後に夫婦が差し出した菓子折りを、
「まぁどうもすいません、どうぞどうぞ」
と受け取りながら女が家の中に入っていくと、
夫婦達も少し足取り遅めに入っていった。
「紹介状を先に見せて貰えますか。」
通された家の中には炬燵が一つあった。
女が真っ先に足を突っ込むもので夫婦もそれにならう。
言われた紹介状を鞄から取り出し、
夫の方が炬燵の上にそれを広げた。
「はい、確かに。」
紹介状を一通り眺めた女がパラ、と紙を炬燵の上に寝かせた。
「じゃあ断りをもう一回だけおさらいしますね。」
一つ、料金は十五万円を現金で頂きます。
二つ、私が質問した事に全部答えて下さい。
三つ、これは不妊治療では無くてまじないです。
「四つ、これが一番承知しておいて欲しいのですが、
必ず子供が授かるとは限りません。
それでもよろしいですか?」
女がそう尋ねると、
夫婦はただ「よろしくお願いします」とだけ返事をした。
夫婦は子供が欲しいのである。
しかしこの夫婦に限った事ではない、
この世の多くの夫婦は子供を欲しがるらしい。
そうしてまず、するりと子供を設ける夫婦と、そうでない夫婦に分かれる。
まだ子供を得てない夫婦はそのまま夫婦で頑張るか、
病院に行って医療的な補助を受けたりなどをするらしい。
だが医療も万能ではない。
必ず子供が出来る訳でも無ければ、
様々な検査の末に、子供が出来にくい身体だと残酷な事を告げられる夫婦もいる。
子供が欲しい。
そう願っていた夫婦にその宣告は辛さが過ぎるだろう。
人によってはその場で涙を流すかもしれない。
その不憫さに心を痛めた医者の中のごく限られた人間が、
たまにこんな事を言うらしい。
「今から言う話を信じるも信じないもご両人にお任せするのですが――」
県は広島、市は尾道。
山の近くの田舎も田舎に一人、女性が住んでるのですが、
その女性が想像妊娠をする『まじない』が出来るのです。
想像妊娠、
というと妊娠してないけど妊娠してるように錯覚する、
そう認識されているのが現代の想像妊娠ですが、
この女性の想像妊娠は全く別の意味合いです。
彼女が想像した妊娠は、高確率で実現するんです。
例えばお二人、男の子が欲しいのか女の子が欲しいのか、
名前はどんなのが良いのか、どんな服を着せたいのか。
何を食べさせてどんなオモチャを与えるのか。
それを二人で想像してもらって、
それをその女性に教えるのです。
そうするとその女性がお二人と一緒になって子供の事を考えると、
なんと、子供を授かる、という話なんですが、
まだこの話の続きを聞きますか?
この女性の想像妊娠は当然科学的では無いし医療的でもありません。
オカルトと言って良い事柄なのですが、
それでは聞こえが悪いので有識者の間では『まじない』と呼び名を統一しています。
このまじない、
想像が具体的であればあるほど妊娠の確率は高まります。
子供をこうしてあやしたい、こういう食器で食べさせたい、
使う寝具はこういうもので、と、
子供が生まれたあとの状況要素を詰めれば詰める程確率は上がります。
それはたとえ医学的に妊娠が困難であると判定された夫婦においてもです。
だから彼女の行う想像妊娠というまじないはオカルト視されていますが、
私は彼女によって無事子供を授かった夫婦を何組も見てきました。
勿論、医学と同じく『絶対』は無いので残念だった夫婦もいますが、
医学で無理と言われた夫婦が子供を授かったという事実は、
捻じ曲げようのない希望です。
ただ少しだけその手数代が高いのですが、
一回の『まじない』に、十五万、しかも現金でその場の支払いなんです。
そしてそのまじないを受けた日から次の生理予定日まで、
毎日種付け行為をしなければなりません。
それで生理がこなければ無事に妊娠、という訳らしいのですが、
どうですか、もし良ければ――そうですか、試してみますか。
それではこちらが彼女の連絡先になりますので、
お二人の方から御連絡下さい。
それでは、幸運をお祈りしております。
医者にそう言われて広島尾道、
交通不便極まりない土地へ送り出された夫婦は数知れず。
想像妊娠で多くの夫婦を不妊の悩みから介抱した女は苗字が紺野、名前はアヤ。
その紺野と共に炬燵で温まっている夫婦も、
そうしてとある医者に進められてやってきた一組だった。
「じゃあすいません、お金を確認させて頂いて宜しいですか」
「あっ、はい、どうぞこちらです……」
「どうもすみません……えーといち、にい…はい、はい、
はい、どうも、確かに十五万、頂きました。」
トントンと整えた札束が封筒の中に仕舞い込まれると、
さて、と言った具合に紺野が両手を炬燵の中にズボッっと突っ込んだ。
「……男の子が良いですか?女の子が良いですか?」
「えっ」
「子供が出来るとしたら。」
「……そーですねぇ、男の子が欲しくて。僕も嫁も。」
「男の子!いいですねぇ。名前はどんなのですか?」
「ゆうとって考えて。優しい人ってかいて、ゆうと」
「へぇー、良い響きですね。
人に優しい子供になって欲しいと?」
「ええ、嫁がですね、本当に優しい人なんですよ。
僕がそれに随分と救われて、
だから嫁に似て他人に優しくする事が出来る人間になって欲しいなって――」
『施術』が始まると、大体三時間から五時間はかかる。
どんな名前ですか、どんな髪型ですか、どんな体格ですか。
色んな子供に関する質問をするだけではなく、
夫婦間の惚気話や結婚に至るまでの話に蛇行したりも毎度の事で、
何より避けられないのが不妊の苦労話である。
紺野のもとに来る夫婦は絶対に不妊の苦味を知っている。
知り尽くしたからこそ、紺野のもとに辿り着いたのだ。
自分達で頑張っても駄目、医療に頼っても駄目。
今度こそは願いをかけて頑張っても、
生理が来てしまう度に泣いた事もあった――。
そう語る妻達がいつもティッシュに手を伸ばす。
聞かない訳にはいかない。
皆苦労して紺野の元へ来た。
誰もが疲れ果てる寸前である事を、紺野ももう知っている。
紺野からの質問も細部に及ぶ。
出産の時の様子や夜泣きが起きた時の夫婦の対応、
子供をあやす時はどうやって身体を揺らしますか、
ちょっとここにアザラシの人形があるので試しにやってみて下さい、とも言う。
夫婦達も真剣だ。
紺野が想像すればするほど妊娠する確率が増えると教えられているので、
紺野の質問に真面目に濃厚に答える、その顔つきは真剣そのもの。
質問受け答えの時間はどんどん過ぎて、あってもあっても足りぬ程、
過去には深夜にまで及んでそのまま紺野の家に泊まった夫婦もいた位だ。
みんな、
子供が欲しくてここにくる。
現金で十五万即金、
医療的な根拠はまるでない。
その上絶対妊娠する保証もない。
それでもみんな、紺野の家にやってくる。
「はい、じゃあこんなもんですかね。」
長らく有難う御座いましたと紺野が頭を炬燵の上に下げたのは、
夫婦が家にやって来て五時間後の事だった。
もう外は冬の薄暗さが足早に宵を空にひっかけたあと。
バスが終わるのは早いから、もうタクシーを呼ぶしかないだろう。
流石に話疲れたのか夫婦二人もふう、と肩で息を吐いた。
「あの……」
「はい」
「……できますかね、子供、私らに……」
「……一杯お話は聞かせて頂きました。
お二人の間に子供がいる想像も沢山出来ました。
……頑張らせて頂きます。
私から言えるのは、それだけです。」
あとは、患者の頑張りです。
そんな言葉は医療の世界ですら耳にする。
ここは広島尾道の山奥、注射の針の一つもない、ただの家。
頑張らせて頂きます、そう言うしかないし、
それしか言えない。
紺野がやっているのは、『まじない』なのだ。
夫婦は自分達の写真や家の写真、
自分達に子供が出来たら、というイメージをメモした紙を置いていく。
紺野が想像しやすい為だ。
もう今日は遅くなったからと言って、
夫婦は駅最寄りのホテルに今夜の宿を決めたらしい。
それまで温もりを与えてくれた炬燵から全員足を出し、
紺野が玄関まで夫婦を送った。
「有難う御座いました。」
そう言って夫婦が頭を下げると紺野も一つ、ペコリと頭を下げて、
すう、と息を深く吸い込むとこう話し始めた。
「皆さん、また私に連絡を下さる時は、
妊娠しました!って言ってくれます。
だから、二度と連絡がこない方々は、そういう事だったんだなって、
私も静かに諦めるんです。
連絡待ってます。
いい声が聞けるように、連絡、待ってます。」
あ、それとこれから毎晩セックスして貰うんですけども、
くれぐれも旦那さんは思い詰めたセックスをしないで下さいね。
頑張ろうとか、やらなきゃって思って必死にやると、
奥さんの方に結構負担が行っちゃう事が多いんです。
子供が出来たって連絡をくれた奥様の方からそういう話をよく聞きました。
だからもう奥さんの体の中に赤ちゃんが居るんだと、
そう思って優しくセックスしてあげて下さい。
じゃ、連絡、待ってます。
紺野にそう見送られ、
呼び出したタクシーに運ばれた夫婦は紺野の家を去って行った。
もう時間は七時前になる。
夕飯の支度をしなければ。
良かった、こうなる事を見越して昨日はカレーを作っておいたのだ。
紺野はスリッパをパタパタ鳴らして台所に向かうと、
チョロチョロと弱火を鍋にかけた。
時間的にそろそろ同居人が帰ってくる頃だ。
鍋の中のカレーが良い具合にとろけてきたのを知っていたのか、
家の駐車場に車が帰ってくる音がした。
コツコツと靴のヒールが玄関を鳴らす音が紺野の耳に届くと、
ただいまーという声と共に錆びた流し戸が鳴く声が聞こえた。
「おかえりミサト」
「はぁ、ただいまーつかれたー」
「はいはい、おっとっとと」
帰って来た同居人が紺野に雪崩かかった。
その重さに耐えきれずに紺野が膝を折ると、
ミサトと呼ばれた相手からの手から鞄がボトリと落ちた。
家の中はカレーの匂いが充満している。
「それで、今回の夫婦はどんな感じだった?」
スーツからすっかり部屋着に着替え終わり、
スプーンで皿の中のカレーを掻きながらミサトが紺野に尋ねた。
「実はついさっきまでいたのよ」
「へぇ、長かったね」
「関東からきたんだって」
「へぇ、東京?」
「栃木とか言ってたかな」
「それはまた、遠い所から」
「今から帰ると夜にセックスするのきついから、
今夜は駅近くのホテルに泊まるって」
「電車のなかですれば問題ないよって教えてあげなかったの?」
「えー?あはは、やぁよーそんなの。
教えたら私がそういう事してるって思われるじゃない」
「あれ?した事なかったっけアタシ達」
「ばか、んなの何時やったってのよ」
食器の片付け、
風呂掃除、
二人で風呂に入って、あとはベッドに入るだけ。
家中のライトを消して、あとは時計が動くだけ。
「ねぇミサト」
「ん、まだ起きてる」
「今日の夫婦、旦那さんが四十三歳で、奥さんが三十九歳だって」
「 そっかぁ、苦労したんだね」
「出来るかな」
「出来るよ。アヤなら妊娠させてあげられるよ。
二人も今頃ベッドの上でラブラブ励んでるでしょ、きっと。
大丈夫だよ。」
「……あの二人が妊娠したとして」
「うん」
「 私達はいつになったら妊娠するんだろうね」
「……………いつだろうね」
「……ね。こんなに想像してるのにね。」
「 ね、アヤ」
「ん?」
「今度はアタシが妊娠する想像をしてみて」
「え?」
「アヤじゃなくて、アタシが妊娠するの」
「――でもそしたら仕事が」
「最近は育休、会社が頑張ってるらしくてさ。
それにあたしが妊娠したらアヤが頑張ってくれるでしょ、絶対」
「そりゃそうだけど」
「ね、想像して、アタシのお腹がスイカ入ったみたいに大きくなるの」
「……ふふ、中年太りじゃなくて?」
「しっつれいね!妊娠だから、にんしん!」
「あはは、ちょっとやめて」
何組もの夫婦の子供を想像してきたわ。
でも、自分の妊娠は何度やっても出来なかった。
神様、それは私もミサトも女だからですか。
男と女だったら、どんなに不可能に近い境遇でも想像妊娠できるんですか。
神様、私はあと何回想像すれば妊娠できますか。
神様、私達はあと何回想像すれば子供が出来ますか。
それとも、そもそも無理が過ぎる願いなのですか。
笑いながら神にそう問いかける紺野の腹を、
ミサトは優しくくすぐり続けた。
お楽しみ頂けたでしょうか。もし貴方の貴重な資産からサポートを頂けるならもっと沢山のオハナシが作れるようになります。