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未払い残業代を骨が笑う 後編

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洞窟の中にあるのは闇、
それの伴侶のように無音が寄り添う。

動けば音が鳴るものの、
仕事上それは許されない。
闇と無音のランデブーに付き合う他無い。

その中である骨がこんな事を考えついた。

もしかすると、この世に『時間』なんぞ無いのではないか。

目の前のあらゆる物体が静止してる様を見た時、
それがあまりに見事であったらこう錯覚するだろう。
「これはもしや時間が止まっているのではないか。」

止まっている物を見るだけならそうは思わないだろうが、
それまで動いていた物が微動だにしなくなるとすればどうだ。
心の奥底にでも「時間が止まったか?」と思いはしないか。

これは不思議な事なのだ。
『動』が『静』に変わると時間が止まったと思考が働くのだ。
同一現象として認知してしまう、と言ってもいい。

このように『物が動かない事』が『時間停止』と混同される以上、
この二つには密接な関係性があると考えられる。
あくまで、これは動物達の感性での話だ。

そう考えた時、
そもそも時間という概念は動物達の都合で作られたもので、
本来そんなものは無いのではないかと思考が行きつく。

こういう事だ。
この世に『時間』は無く、ただ『動き』がある。
『動き』を判りやすく整理する為に『時間』という概念を使ってるだけで、
実際そこに不可視ながら信じていた『時間』は存在しないのだ。

これを考えていた骨はまだ体に肉があった頃を思い出す。
そう言えば部隊長に「時間を無駄にするな」と怒られた事があったが、
あれを正しく言うなら「もっと身体を動かせ」となるだろう。
やはり『時間』は『動く』事に限りなく近い言葉であり、
都合よく言い換えているだけなのだ。

空に太陽と月が無かったら『時間』は無かったかも知れない。
天が変わるから時間が経ったと判るのだ。
朝が夜に変わるから時間が過ぎたと判るのだ。
もしこの世がずっと朝なら誰も『時間』を言い出さなかったかもしれない。

区切れないんだ、この世を。
朝と夜がこの世を丁度良く区切っているから、
俺達が都合よくそれを『時間』と呼んでいるだけなんだ。

結論、『動き』がある所に時間という概念は存在する。
それが無い所に時間は産まれない。

だからこの洞窟の中に『時間』など無い。

これを考えた者の思考はぷっつりとここで途切れた。

勇者を生き埋めにする為に洞窟に遣わされた骨兵士達。
最深部に配置されてどれだけの時間が経ったのか誰も教えてくれない。
お茶の差し入れも新聞の配達も何もない。
彼らは重要な事を申請するのを忘れていた。
魔王様に申請するのを忘れていた。
『孤独手当』という名の特別手当の申請を。

今、洞窟の中は孤独が完成した。
間近に仲間がいる筈なのに、
完璧な暗闇と完璧な沈黙でこの洞窟の皆が孤独に封をされた。
まるで石臼のようにそれぞれの心をすり潰しにかかる。
上の石は沈黙、下の石は闇。上下の無慈悲さに徐々に挽かれていく。

この石臼から逃れられる術も絶えてしまった。
それは無駄口である。
自分の子供や嫁、果ては友人の話まで多岐に判っていたが、
回を増す毎にその質が変性していってしまった。
変性させたのは『不安』。会話の内容が

「もし~~だったらどうしよう」

という不穏なものに変わる、増える、止まらない。
遂には仲間から

「もうその話を止めろ」

とまで言われてしまい黙りこくり、他の骨達も

「もしかしたら自分もそんな事を口走ってしまうかも」

と喋り出す事を止めた。
無理からぬことである。
彼らは陽の光を浴びれない。
青い空も道端の草花も見れない。
ただ闇だけを延々と見続けて、
その心に不安が巣食わない道理があるなら教えて欲しい。
彼らは産むべくして沈黙を産んでしまっている。

それに彼らは恐れている。
いつ、誰が、

「お前はどうやって死んだんだ?」

と喋り出してしまう事を。

ここに居る一人残らず骨だ。
少なくとも一回は死んでいるのだ。
しかも殺されている。
相手は勇者だ。
これだけ仲間が居るからさぞ種類に富んだ話が聞けるだろう。

だが冷静に考えた時、
骨達はその勇者を待っているのだ。

殺された記憶と言うのは良いものではない。当たり前だ。
もう二度と殺されたくない、そう思って何度も死んだ骨もいるだろう。
そんな経験をした兵士達がこの洞窟で待ち構えているにあたり、
その事だけを考えれば気が狂っても仕方のない事だろう。
だから余計にそんな話題を作れないし、聞いてもいけない。

だが闇の中、何かの拍子で話し出しそう。
不安が背中を押してしまいそう。
死んだ記憶を話してしまいそう。

この沈黙は正気を保とうとしている。
まだ良い方向に事が進むように心がけている。

だが毒だ。

彼らはどれだけこの毒に耐えられるだろうか。

唯一『変化』が判る時が雷が落ちるだ。
雨音は優しすぎて洞窟の最深部まで届いてこないが、
凶暴な雷が大地を叩く音だけは聞こえてくる。
どぉん、という日頃はおぞましい音も、
待ち伏せの任務についている骨達にとっては楽しみの様なものであった。

ある日も、雨が降った。
激しい雨だった。
大気がこすれ、大気にピリピリと電気が溜まり、
抱えきれなくなった空が雷を洞窟の中に聞こえる距離に落とした。

どぉん。

雷の音だ。
ああ、雷の音だ。

「おい」

だが、
いつもと何かが違う。

「しっ」

この雷の音は、
何かが邪魔をしたように聞こえる。

洞窟の入り口に誰かが立っていて、
奥まで雷の音が届くのを邪魔したような。
そんな事まで判るのか?って。
そりゃあ判る。
最深部の静寂の中で雷の音を何度聞いたと思っているんだ。

誰かが洞窟の入り口に立っているんだ。

「誰だ」
「判らん」
「うるさい、静かに」

沈黙と暗闇で溶けかけていた意識と理性。
緊張がそれらを叩き起こした。
この洞窟の最深部、
死体を真似て転がっている全ての骨に力が戻る。力が走る。

やはり誰かが洞窟の入り口に立っていたようだ。
雨に激しく打たれたのだろうか、中の方にまで入ってくるらしい。
雨に濡れた身体が奏でているのか、
ビチャ、ドチャ、という音が彼方で幽かにだけ聞こえる。

勇者か、それとも仲間か。

洞窟の中は進めば足場が整えられている。
歩行を補助するのは平坦な道。
障害物がない道は見ればすぐに判るだろう。
この場所は誰かの手が加えられていると。
奥にも誰かがいるかも知れない。

そこまで気付いて更に奥まで入ってくるのは、
此処が魔族の拠点だと知っている仲間か、
さもなくば余程の好奇心の持ち主か、
あるいは、勇者だ。
魔物の拠点を潰して回っている。

足音が判る程になった。

光までもうっすらと見える。

気配はもう最深部の手前まで来た。

曲がり角を光が回折してその距離を知らせてくる。

いよいよ直進する光が骨達の部屋を照らすまでになった。

濡れた足音が骨達が待ち構える部屋の中まで入ってくると、
いよいよその足音の主の正体が判った。

勇者だ。

忘れる訳がない、殺された相手だ。

勇者がそのまま骨達の部屋に足を踏み入れる。
生きている魔物を探しているのだろう。
照明魔法を先頭に行かせ部屋の中に入って来た。
骨達は知っている、勇者は魔物を殺す事に執着している事を。

そして勇者がいよいよ部屋の中ほどまで歩を進めた時、
がちゃん、がちゃがちゃ、と勇ましい音が鳴り響いた。
見事だった。合図も無しに全ての骨が一斉に躍りかかったのだ。

寸分の乱れも無い動きは勇者に剣を抜かせなかった。
襲い来るのは骨だけになり、長い時間を耐え抜いた兵士達。

「かこめ!」
「たたけっ!」
「逃がすな、畳み掛けろ!!」

勇者もただでは包囲を許さない。
刀身を抜くのを惜しんだか鞘に収まったままの剣を払った。
その腕力だけでも十分に武器になる。
鞘ごと剣を当てられた骨の一人が頭から割られて後ろに吹っ飛ぶ。
照明がその様を如実に浮かび上がらせるが誰もそれに構わない。

「押さえろ!」
「掴め!」
「掴め掴め!」
「あああああ!」

一体の骨が勇者の足を掴んだ。
それに振り返る事も無く勇者が剣で薙ぐ。
身体は砕け飛んだが掴んだ腕だけは残った。
次に別の骨が勇者の首を掴む。
次々に勇者の身体を掴み、砕かれていく。
そこに慈悲は無い。迷いも無い。

勇者と骨、
双方に慈悲は無く、双方に迷いも無い。

ただ骨が吹き飛ばされ、
彼らの腕が一つ、また一つと勇者の身体を掴んでいった。

取りついた骨が重なり勇者の動きが鈍くなってきた。
掴まれた骨の腕達が嵩んで、曲がる筈の関節の可動が狭くなる。
骨達は止まらなかった。
鈍った勇者にある骨が全身で取りついたのを皮切りに、
ついに勇者が倒れるまで骨達が身体を絡めとった。

「もういい!」
「発破!発破だ!」
「誰でもいい発破しろ!」
「早くしろ、発破だ!」
「発破発破!」
「誰か!発破しろ!早く発破しろ!!」

無駄だ。
全てが無駄になった。

これまで暗闇と沈黙がした仕事は全て無駄。
長い時間をかけて骨達を蝕んできた。
無音で狂わせ、闇で惑わし、不安を打ち掛け、
全ての骨達にじわじわと狂気を刷り込んだ。

しかし全てが無駄だ。

緊張が全てを凌駕する。
良い事も悪い事も全て。

息子や妻への思いも、
古い友人との記憶も、
勇者に殺された過去も、
ただ積もっていく残業代の勘定も、
仕事が終わってからの楽しみも、
この仕事が、
いつまで続くのかと言う不安も。

どの感情も最早骨達を支配できず、
ただこの瞬間、

勇者を生き埋めにする、
それだけが、

「発破しろおおおお!!発破だああああ!!」

この骨達の過ごした長い時間に報いている。

洞窟内に響いた爆裂音を始まりに、
多くの岩と土が仕事を成すファンファーレになる。

この日、

とある洞窟の最深部が遂に落盤した。

→脱編へ続く

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