邂逅
今日からnoteを始めようと思う。
そこら辺にいる貧乏大学生。一応文系だけど絶望的に語彙力も文才もなし。美味しいものを食べても「やばい」、感動的な映画を見ても「やばい」でJKよろしく体力のいらない言葉で済ませている。
何も卓越した特技もないし、社交的なわけでもない。ただ、昔から国語だけは周りの人より幾分得意だった。
中学時代は裏表紙のあらすじだけを読んで書いた読書感想文が3年連続で選ばれていたし、受験期のセンター模試の国語では勉強しなくても9〜9.5割は取れた。数学の出来の悪さで相殺どころかマイナスになっていたけれど。
こうして国語だけを頼りにして生きてきたが、大学生になってからはまとまった文章を書く機会は期末レポートくらい。しかも期限ギリギリに血眼になって書いているせいで、pcのカーソルをなるべく下までさげていくだけの作業になっている。
言葉の吟味もしていないし、引き出しの1番上の、体力のいらない簡単な言葉しか使っていない。
そんな日常で今まで頼りにしていた国語を生かすタイミングを失い、最初期は焦燥感を感じていたものの、いつしかその日常に恐ろしく慣れてしまい極力簡単な言葉で済ませるようになってしまった。
将来に対する漠然とした不安を抱えながらも、何をすることもない曖昧な日常。Huluで映画を見たりSNSで薄っぺらい言葉を使ったりして1人で完結する趣味をするだけの日々を送っていた。
先日いつもの如くツイッターを眺めていたところ、ある人のnoteのTwitterシェアがタイムラインに流れてきた。まとまった文章を読むのも鬱陶しく感じていたのでいつもはスルーしていたが、その日はたまたまタップしてしまった。
そのnoteは掴みが完璧で、文学的で、ありきたりな日常に独自の感性で色をつけたような文章だった。難解な言葉は一切使っていないのに、自分に落としこむまでに少し体力のいる文章。自分が好きなタイプの文章だった。長めの記事だったが気づけば最後まで読み終え、他の記事まで遡れるだけ読んだ。
これだ、と思った。自分が忘れていたもの。曖昧な日常に少しは具体的な意味を持たせられるもの。
そして自分も初めてみようと思った。それだけの理由。
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