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日本国内務省のコンセプト(組織の成り立ちについて)


感謝

昨日、架空装備(架空パラミリ)というジャンルに関する内容を、テキストでアップロードした結果、Twitter上でのリプやDMで「始めたい」と連絡をされた方もいて、良い反応に大変嬉しいです。
昨年構想(妄想?)して今年から本格的に始めたジャンルですが、興味を持って頂いた事に感謝申し上げます。
今回については架空PMの日本国内務省がどのような組織の成り立ちを経てきたのか解説します。
これで興味を持って頂いた皆様が、今後実際に装備を始めるにあたって参考にして頂ければ幸いです。

日本国内務省は日本の戦後ifストーリー

まず正史です。

現実世界の日本における内務省は、1873年(明治6年)から1947年(昭和22年)まで存在した行政機関です。
大正期には地方行政・警察・土木・衛生・社会(労働)・神道(国家神道)の分野を所管し、地方行政に大きな影響力がありました。
第二次世界大戦前の内務省の下部組織は北海道庁、樺太庁、警視庁、各都道府県の特別高等警察(特高警察)があり、内政と共に国内の治安維持、カウンターインテリジェンスを行っていた事が分かります。
第二次世界大戦終結時、GHQに解散を命ぜられる直前の内部部局は以下の通りです。

大臣官房(人事課、文書課、会計課)
地方局(総務課、行政課、財政課、職員課、選挙課)
警保局(監察官室、警務課、企画課、教養課、公安第一課、公安第二課、消防課、防犯課、鑑識第一課、鑑識第二課、通信課)
国土局(旧土木局)(河川課、道路課、計画課、砂防課、資材課)
調査局(総務課、第一課、第二課、第三課、第四課)

               (参考文献 内務省史・内務省の社会史)

ここで注目したいのは、警保局は今で言う警察の情報機関としての機能があり、調査局は公安調査庁の機能がある点です。
つまり治安維持の為の治安維持機関であると同時にヒューミントからシギント、戦略情報まで幅広く情報を取り扱う一大情報機関であったとも言えます。

そして日本の敗戦後、内務省は帝国軍の解体・廃止に伴う治安情勢の悪化にに対処すべく、警察力の増強と、特高警察の拡充を企図します。
1945年(昭和20年)8月24日、政府は「警察力整備拡充要綱」を閣議決定し、帝国軍と憲兵を解体し、治安維持の全責任を内務省・警察が担うことを決定しました。

その概要は以下の通りです。

1 警察官数を現在の定員(9万2713人)の2倍にする。
2 騒擾事件・集団的暴動・天災などに対処するため、集団的機動力をもつ「警備隊」(2万人を常設し、必要あるときは4万人を一般警察官によって編成する)を設置する。陸海軍と憲兵なき後、現在の警察の装備では鎮圧が困難なので、軽機関銃・自動短銃・小銃・自動貨車(トラック)・無線機などの武器や器材を整備して、「武装警察隊」を設置する。

天皇制警察と民衆 大日方 純夫

しかし、この警察力の武装化と特高警察の拡充・強化、敗戦という社会的悪条件下で考えられる不穏な策動を徹底的に防止することを企図したこの案はGHQに拒否され、中央集権的な警察機構の廃止と共に警保局は公職追放
最終的に内務省は解体されます。

ここまでが正史の内務省の歴史です。

ここからが架空PMである日本国内務省のif歴史です。
1945年(昭和20年)8月24日、政府が閣議決定した「警察力整備拡充要綱」はGHQに拒否されました。
しかしGHQは1945年8月に分割統治された朝鮮半島の情勢を分析し、東側社会主義陣営と西側自由主義陣営との国際紛争が勃発する事を予期
米軍(国連軍)の戦略基盤である日本の赤化防止と治安維持を目的に内務省はその勢力を大幅に縮小し警保局と調査局の一部を残した再編を命じます。

中央集権的な警察機構は解体し自治警察に移行、中国・北朝鮮のゲリラコマンド、国内の共産主義者によるテロ、日本の赤化工作を未然に防止する為の情報官庁としての組織として再スタートします。
(この時点で警察とは別の組織に、後に生まれる警察予備隊(後の自衛隊)と任務区分が別れます。また調査局の大部分は規制官庁である公安調査庁となっていきます。)

1950年代に入ると日本共産党による山村工作隊が結成され、日本国内に侵入した朝鮮人民軍のゲリラコマンドと山村工作隊による枚方事件が発生、銃撃戦により多数の警察官の死傷者が出た。
この事件を受け、内務省警備局隷下に国内の治安維持を目的とし、治安の擾乱・破壊を実行または実行を企図する安寧秩序阻害勢力等(等は組織勢力だけでなく個人も含む)から国民の財産と生命を守る事を任務とした武装警察隊が発足

この事件にショックを受けた国民は武装警察隊を支持、武装警備隊と安寧秩序阻害勢力等との戦いが始まることになる。
(日本共産党は武装警察隊の発足と国民の反応を受け、じ後平和路線に転向し、極左暴力集団が生まれた為、結局武装警察隊の戦いは激化することとなる。)

極左暴力集団との戦いが激化する中、1977年9月28日日本赤軍によるハイジャック事件「ダッカ事件」が発生した。
内務省は、この事件に対する日本政府の対応への批判、世界各国で頻発していたテロ事件やハイジャックに対応する特殊部隊創設の潮流を受け、内務省警備局長直轄の特殊部隊として"前衛小隊"を創設した。
(自治警の中に特殊部隊創設の動きがあったことも内務省内での後押しとなったが、一番は対処出来る部隊を内務省に持っていなかった事に危機感を抱いたから)
存在は認めているものの、前衛小隊と小規模である事を連想させる秘匿名称を用いている。
実際は隊本部を含む5コ中隊編成となっている。
(それぞれが市街地戦闘、対ゲリラコマンド、特殊環境、支援、本部機能と役割を分担している。1個中隊は約60名規模)

その後、極左暴力集団、カルト宗教、外国の既存宗教の過激派が企図する治安の擾乱を未然に防ぐ為、武装警察隊と共に戦い続けた。
特に、山梨県上九一色村に建設されたカルト宗教の施設を制圧する様子はテレビで全国に中継され、国民は内務省特殊部隊"前衛小隊"の戦う姿を見る事になった。
そして現在では、既存の安寧秩序阻害勢力等だけではなく、中国のハイブリッド戦に対応すべく国内に潜入した特殊部隊とその協力者を殲滅する為にその実力を維持向上している。

ここまでツラツラと架空PM日本国内務省の設定を書きました。次は現在の編成、装備を書いていこうと思います。
軍装を愛する方やサバイバルゲームをされてる皆様、どうでしょうか?
一緒に日本国内務省装備やりませんか?(終わりの決まり文句)


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