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沈黙の理由

 広場の中央に設えられた祭壇近くの椅子で、しばし瞑想していた男は、ゆっくりと目を開くと「いったい何の事やねん」と誰に聞かせるでもなく呟いた。
 男は混乱しているのか、取り巻く人々とあらゆる動物の群れが発するざわめきや、気遣う近親者のかける声さえも届かない。

 男は、椅子から身体を引き上げると、膝の具合を確かめながら、夕闇の迫る広場を歩き始めた。今しがた見せられた箴言とビジョンを反芻する。
 神さんは言うとった。”あては二千年の間、ただ沈黙を守っとった訳では無いんや。(あの男の名前は何と言うたか) ……確かイエス。そうナザレのイエス、あてが少しは肩入れしとったあの男、ダビデの末裔。イエスを始まりに迫害を受けた夥しい殉教者達の懇願やら、イエスの弟子たちとそれに続くもんたちによる信仰の拡大の功績に応えてな、新しい契約を履行せなあかんやろと新たな創造に注力してたんねん。こまいことを仰山な。
 ほんでそれは果たされたやろ。”
 同時に観せられたのは、おぞましくも美しい終末のビジョンだった。無数に降り注ぐ火球によって地上は蹂躙され、あらゆる火山は眠りから覚めて狂ったように叫んでおり、海は至る所で沸騰しては大量の蒸気を放出していた。大気を埋め尽くす粉塵の暗雲と、嵐雷(らんらい)のもたらす尽きることのない閃光に満ちた世界だった。
 神さんは確かに 『果たされたやろ』言うとった筈やが、何が果たされたと言うねんか。

 広場を離れた男の目の前には広大な小麦の畑が拡がり、彼方の丘陵には、葡萄棚の連なりが見える。見慣れた景色だった。
 丘陵の僅か上には、新月から七日目の二連の半月が顔を出している。
 月たちは小麦の穂先を薄紫に染めていた。

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