弱虫な子供のままで、大人になろうよ。

わたしは24才で大人だから、
泣き虫でないフリをして生きている。

大人になれない大人のままで。

少し気を抜くと、
電車でも、スーパーでも、
どこでもなりふり構わず泣きじゃくる
親にお菓子を買ってもらえなくて
駄々こねている子供みたい ーー

小学生のわたし。
みんなと横並びで、用意ドン!で走ったら、
よくビリになっちゃって
何度も大人に笑われた。

「今年もビリだったんだねぇ。
弟は1等勝だったのにね。」

私はいつも分からなかった。

負けるとわかっているのに、
なぜ競争をしなくてはならないのか。

4つ下の弟と比べられるのも、
いやでいやで仕方なかった。

弟は足も早くって、
いつもリレーの選手で皆の前で輝いていた。

でも、私は人の活躍が
憎いわけではなかった。

弟が活躍している姿は素敵だったから
私も自分が輝ける場所を目指したかった。
ただそれだけだった。

でもみんなと同じやり方では、
輝くの難しかったから
人と比べないで、私のよさを見てほしかった。

そこで、泣き虫らしく、
人と違うことを「やりたい!」
と泣きじゃくりながら
勇気を振り絞って大人に主張をした。

すると、大人に、
「みんなと同じことやりなさい!」
と怒られ、一言で片付けられてしまった。

それで嫌がっても、また怒られて、怒鳴られて、
怖がりなわたしは、自己主張ができなくなった。

本心を知られるのが怖い。

隠してバレずにいる方がマシだった。
また怒られて傷つくのがとにかく怖いから。

自己主張もできず、
誰にも悟られず、
世界の片隅でひっそりと
生き残っているだけのわたし。

右も左も分からず、
怖いから、バレないようにバレないように、
人のご機嫌とりだけを頑張って、
ご機嫌とりにただ疲れて、
本心を見せないように生きた。

せめて人に優しく生きないと、
自分の存在意義ってなんだろうと思っちゃう。

弱いことに慣れてるから、
弱っている人の気持ちとか、
そういう立場にいる人の気持ちがわかる。

でも、人に優しくすると、
すぐに大人の顔した人たちが
わたしの心に近づいてきた。

何か話をしてみようと思っても、
わたしの心はガラス玉みたいに
弱っちいところがあるので、
ガラス玉を見せただけで
簡単に壊されそうで怖かった。

世界から取り残された気分だ。

人が好きなのに、
自分の事は上手く見せられず、
とぼとぼと一人歩いてたら、
中学生、高校生、大学生、社会人と
いつの間にか、
周りの景色だけが変わって
心が子供のままで大人になってしまった。

大人の世界は怖いし、
これからも目立たないのが一番だ。

でも、どうしても、どうしても、
自分の考えや理想は失いたくない。

それがなくては、
私が私でなくなってしまうもの。

勇敢な子供のリーダーと言った具合だろうか ーー

気がつくと、私の勇敢さは突き抜けていた。
世界はもはや関係なかった。

大人に勝つこともできない
弱い立場なクセに、
なりたくてもなれない
大人がいた公務員を
すぐに辞めてしまった。

やっと大人になって
自分で自分の人生を
決められるようになった。
助かった。本当によかった。
呼吸ができる。

私は自分のためだけに
特別につくったトロフィーを
大事に大事に抱えた。

やっとこさ、死に物狂いで手にした
流れる小川のような静かな時間に頬ずりをした。

愛おしい...

好きなことややりたいことに挑戦できなかった
失われた20年間を少しずつ取り戻して行こう。

眩しい光をまとった大切な私の毎日。

今度は子供の心を持った大人のつもりで、
想像を膨らませながら堂々と道を歩く。

弱虫な子供のままで、大人になろうよ。
泣き虫な大人のままで、子供になろうよ。

あなたも、あそこの君も。

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