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ふるさとのお供

今回のテーマは、ふるさと。
私の「ふるさと」に対する考え方を書いてみました。

「ふるさと」と言われると真っ先に思い浮かぶのは生まれ育った地元です。
と同時に他にもたくさん思い出すのは私だけでしょうか?
ふるさとをいくつか思い浮かぶということは、「ふるさとは自ら創れるもの」であると考えられますね。

「ふるさと」と「思い出」はセットなのではないでしょうか。
ただ生まれだけの場所をふるさとと呼び、そこに帰りたいと言う人を聞いたことがありません。
帰りたいと思う場所は決まって育った場所、つまり思い出が残っている場所です。
そう考えると「ふるさと」と「思い出」はセットで、思い出のない場所はふるさとにはなり得ないのでしょうね。

ふるさとが2つ

私にはふるさとが2つあります。
生まれ育った地元と札幌が私にとってのふるさと。
とはいえどちらも同じふるさとかというと、少し違います。
私にとっては

地元=子どものふるさと
札幌=大人のふるさと

というように違います。


私は生まれてから高校卒業の18歳まで地元で過ごしていました。
スポーツに明け暮れていた学生時代で、思い出すのはいつもスポーツのことや学校のこと。
あとは両親や妹との思い出で、みんなで行った旅行先や家での些細な出来事を思い出します。
いずれも私が子どもだったときの思い出で、お金もなかったし親に頼りっぱなしの時期でした。
一番甘えられた時期でもあり、今でも地元に帰ると子どもに戻ったような錯覚に陥ります。
ですから地元は私にとって、子どものふるさとなのです。


高校まで過ごしていた地元から、大学進学を機に札幌で一人暮らしを始めました。
私にとって札幌は、大人の階段を上った場所だったと思います。

・初めての一人暮らし
・初めてのマイカー
・初めての飲み会
・初めての海外
・初めてのアルバイト
・初めての夜遊び
・初めての就職

何もかもが初めてで、背伸びしながら大人になっていきました。
札幌に行くときは心なしか、背筋を伸ばして大人の振る舞いをしているような気がします。
それはきっと、私が大人になるまでの思い出をたくさん残した場所だからでしょう。
18歳から27歳まで過ごした札幌は、私にとって大人のふるさとなのです。

ふるさとの定義

地元も札幌も私にとってふるさとではありますが、私の中で区別されています。
それは思い出の中身が違うから。
ふるさとは思い出とともに残っていきます。
でなければ札幌が第二のふるさととは思えません。
つまり思い出が「ふるさとをふるさとたらしめている」のだと言えるでしょう。


ということは今住んでいるここ関東は、どんなふるさとになるのでしょうか?
関東に来たのは27歳のときで、すでに結婚していました。
関東に来てからというものの、1人でできた思い出はなく、思い出にはいつも妻がいます。

・初めての転職・上京
・初めてのフェリー
・初めての住宅購入

これらは1人では創れなかった思い出です。
今住んでいるここは「家族のふるさと」となるでしょう。
もし子どもができたとしたら、ここを子どもにとっての「ふるさと」にしたいです。
今住んでいるここにどれだけの思い出を残せるか。
思い出の数だけふるさとになっているはずですから、たくさんの思い出を残し、ここを第三のふるさとにしたいですね。


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