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雑記#0 純度の高い氷

今日はパスタとサラダを作って食べた。

ここ二日間、帰るのが遅かったのでUber Eatsで注文した定食を食べていた。いつも「高い割に・・・」と思ってしまうのだが、作る時間もエネルギーもなく、コンビニ食やスーパーのお惣菜の食事はいやなので頼っている。

ほうれん草とベーコンとにんにくとトマトソースのパスタを作り、ルッコラと細かい葉っぱが袋に入ったやつと塩こしょうとオリーブオイルとバルサミコ酢を混ぜることで美味しいサラダが出来上がった。

ひさびさに自炊をすると嬉しくなる。私にとっての一番の課題は健康で清潔で快適な生活だからである。

一人で食事をとる時に、私はどうしてもiPadや携帯やPCで何かを見たり聞いたりしてしまうのだが、いつもそのことに罪悪感を感じていた。でも一人で手持ち無沙汰だから仕方ないじゃないかと、世に溢れるコンテンツに意識を向けてきた。

ついに今日、それをやめることにした。

無意識化の欲求が不意に衝動的に現れる、あの現象が、今日、私の身に起こったのだ。それがこのnoteを書き起こしている理由である。

まず、なぜ私が一人で食事をする際、あの四角いガラスの板に意識を向けてしまうかお話ししたい。

その理由は、端的に言うと退屈だからである。

食事が退屈だなんて罰当たりなと思うかもしれないが、その通り。本当にその通りだと思う。

少しだけ弁明すると、私にとっての食事の愉しみとは、その時間を誰かと共有したりその場の雰囲気や空気を味わったりすることなので、食べ物それ自体は、あくまでその場を彩る素材として認識してしまう傾向があるようだ。シルバニアファミリーの可愛らしいウサギやクマをダイニングテーブルに座らせ、そこにちっちゃなカレーライスやオムライスを載せたときの、あの楽しさをご存知だろうか。私にとっての食事の愉しみとはそれに近いのかもしれない。

だから私は一人で食事をするときにはしかたなく、この細長い猿のような生き物に精巧に造られた光り輝くデバイスを握らせてから、ダイニングテーブルに座らせるのだ。

この光り輝くデバイスは様々な情報を効率よく私の脳にインプットしてくれる。私は情報を脳にインプットすることが好きだし、インプットしたばかりの情報を脳の中で、それこそシルバニアファミリーのおままごとのように扱って、考え事をするのも好きである。そのプロセスは楽しいし、建設的であることが多い。楽しくて建設的であるとは言うまでもなく素晴らしいことである。

しかし、今日、私は自分の作ったパスタとサラダの隣に置かれた黒い長方形の板を見て「何だこの場違いな物体は」と強く感じた。そしてそれを見えないところに放りやった。

私は目の前のパスタとサラダに意識を集中した。最初は退屈だった。考えることがなくなってしまったからである。話し相手がいればいいのに。。

パスタだけを見て、食器や食べ物の音だけを聞いて食べる。「情報が足りないよー!思考の火が消えちゃうよ!」と脳がカルシファーのように叫んでいた。それでも私は黙って食べ続けた。

しばらくすると、、

驚いたことに情報がばあーっと脳に入り込んできた。

味覚が研ぎ澄まされ、唾液もより分泌されるようになった。サラダとパスタをどういう順番で食べたら美味しいかがわかるようになってきた。パスタの具材をこうやって絡めて食べるとより美味しいだろうとか、タバスコを入れるべきタイミングと量も頭に浮かんできた。水を飲むタイミングまで考えるようになった。

一種の瞑想状態である。レーズンを20分とか、とにかく長い時間をかけて食べるマインドフルネスの瞑想法があると聞いたことがあるが、それに近いかもしれない。

こうやって食べたら同じ栄養素でも間違いなく体の反応が違うだろうと思った。こっちの方が体に良いに決まっている。

だからこれからもひとりで食事をとる時には、一種の瞑想だと思って食事に真剣に向き合うようにしようと思う。いろんな誘惑があると思うが、とにかくそういう意志を深層心理に深く刻もうと思う。

この意識の変化を少し占星術的な観点を絡めて考察してみたい。

私には牡羊座と牡牛座に感受点がひとつもない。天体は小惑星なども含めて一つもないし、アングルなどもない。ほとんどの天体は蠍座、射手座、山羊座、水瓶座にかけてのゾーンに集中していて、他にあるのは蟹座や天秤座くらいで、牡羊座と牡牛座には、開け放たれた窓のようなまっさらなスペースが広がっている。

私は「今ここにある現象」から、空間的にも時間的にも「遠く離れた現象」に意識が飛ぶ傾向にある。肉体や感覚はもちろん「今ここにある現象」につながっているのだが、その実感がすぐに「遠く離れた現象」での経験に変換されてしまうのである。

例えば、パスタを食べている時、パスタを見て自分が作れるレシピのレパートリーが少ないことに思い至る。すると、レシピをたくさん増やすには人に教えてもらうか、自分で調べる必要があるなあ、でもそんなことよりもしたいことが他にあるしなあ、でもどうして健康に直結する食生活のことよりも他の事ばかりに意識が向いてしまうのだろう、自分はどういう人生を送りたいんだっけ? あ、そうだ「ダルマ」て何だったっけ?調べてみよう。

少し極端に書いたが、とにかくこんな感じで「今パスタを食べている」という現象に意識が向かずに、いつの間にか「人生」や「ダルマ」の話に意識が向いているのである。

たしかに私は、その「遠く離れた世界」での経験からたくさんの恩寵を受け取ってきたし、そのことで結果的に「今ここにある現象」にたくさんのポジティブな影響を与えられている。そのことを誇りに思ってさえいる。

しかし、今日のような気づきがあると、「今ここ」に意識の焦点を当てる牡羊座的、牡牛座的な力が羨ましくなる。

私の父は、太陽が牡牛座1度で、水星と金星が牡羊座にある。中学校を卒業するあたりの時期から別々に暮らしていたのだが、最近よく会うようになった。

お互いの家に行って一緒にご飯を作って食べたりする。キッチンでの様子を見ていると、ものすごい集中力できゅうりを切ったりするし、質素な材料で美味しい湯豆腐を作ったりもする。ロックアイスの入っていた四角いプラスチックの箱に水を入れて凍らせ、それを包丁で叩き割って、純度の高い氷を作ったりもする。どれも私にはない発想や行動だ。

(ちなみに、この純度の高い氷は簡単だし、たしかに美味しいので私も真似をして作るようにしている。不純物が後から凍っていくので内側が白く濁り、外側が透明になるので、その部分を削り出せばいいのだ)

また、こんな話もある。父がある日、苺大福をお土産に買ってきた。私はそれを父が何かの作業に没頭しているときにパクッと食べてしまったのだが、あとでそれを知った父は「食べるところ見たかったのに!」と本気で残念がっていた。

私はこの感情に少し驚いてしまったが、「これが牡牛座か!」と少し興奮したのを覚えている。

このように、父と過ごす時間に印象的なシーンが多いのは、牡牛座・牡羊座的な現象の塊(=父)を客観的に見ることができているからだと思う。

私にとって、感受点のない牡牛座・牡羊座は意識のフロンティアである。だからこそ無垢に、マインドフルに向き合える領域なんだと思う。

ですので、ひとりで食事をする際には「牡牛座瞑想食事法」を取り入れて、本業の蠍座・射手座・山羊座領域を飛び交う糧にしていきます。

同じように、蠍座以降が強い方はおすすめです。

では!

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