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ゼロの平方根・後編⑥

【重なる不可解の先・コイントス】


2011年3月20日(静岡県実家に宛てたアスキ・晴美のEレター)ジジハバへ静岡の被害も無く、ジジハバに怪我なども無く、ダンナも葉菜も一安心と言っています。電話がやっと繋がった時、うちのダンナ泣いていました。二人が「ジジハバは絶対ダイジョーブ」て言ったのに。今は笑える話ですけど。無事を聞いてからもニュースを家族でずっと見ていました。凄い光景でした。沢山の学校が呑まれ沢山の命が水に浚われた事、本当に心が傷みます。ソフィアも1月の洪水で家族亡くしたばかりだから余計に。未曽有の惨事と伝えていますが、エドワール、葉菜、私、そしてソフィアからも沢山のお命のご冥福お祈りしています。葉菜はそんな日本の大災害を案じ大事な試合も欠場しました。でもフィルダー仲間達も義援金を集めて手渡してくれました。チームメイトの有り難さを再確認したみたいでした。エドはニュージーランド地震災害でクライストチャーチに取材で行ってからはすっかり地震オタク。イオン濃度だとか地核のストレス電波異常とか動物避難行動だとか、毎日のように聞かされ続けていて、その後の東日本の大異変ですから、私も葉菜も「パパの言う事をもっと真面目に聞いておくべきだった」ってパパに告白しています。啓一さんの奥さんのご実家、お気の毒ですね、こちらのニュースでもチェルノブイリ事故と重ねていますから、お戻りになれるまでは大変ご苦労されるでしょう、どうぞご大切に。このところ葉菜はソフィアの先生気取り、時々の通学アシストやドリルの手伝いなどもう本格的、なかなかの手際です。二人、もう立派なアスキ家の姉妹みたい、エドもにっこりです。夏、また来れますよね。ジジハバの足腰ダイジョーブ?なんなら葉菜アシストしますよ。3月20日 アスキ・晴美


2011年8月22日
(アスキ・晴美に宛てた静岡県実家の母からのEレター)

晴美へ

ジジハバのお守りありがとう。いいお天気でしたね。葉菜ちゃんもとても親切にしてくれました、手作りジャムも美味しかったですよ、ありがとう。エドワールさんも頑固爺様には閉口したでしょうね、ごめんなさいね。

ソフィアちゃん、可愛いわね、昔の葉菜を思い出しちゃいます、母さんは。
晴美とエドワールさん、本当はソフィアを養子にしたいんでしょう。あなた方は何も言わなかったけれど、四人の毎日見ていたらそんな気持ちが伝わりましたよ。ソフィアも本当に気の毒だったわよね、心の傷は癒えたのかしら、笑顔の明るい子だからきっと大丈夫よね。
孝一郎さんも私も同じ気持ちですよ、しっかりと育ててあげてね。

葉菜があんなにスポーツ頑張ってるなんて少し驚きました。葉菜、凝り屋さんなのね、元気とやる気、少し分けて貰いたいわね。孝一郎さんもお母さんも源太郎の応援団だから野球はわかるんだけど、あれはチンプンカンプンなの、豪州のテレビや新聞のあの何とか選手、こちらのダルビッシュ君みたいだわね。日本に帰ってからルール解説など何冊か買ってお勉強していますよ。葉菜の応援もちゃんとできるようにね。

ソファーの下、ベッドの下、毛玉は良く吸い取ってくださいね、ソフィアちゃんのお口に入っちゃいますよ。

八月二十二日 加津子



2012年9月29日

(ラ・リベラシオンWEB土曜日版、総合タイトル「何か背後に」(QUELQUE CHOSE DERRIERE )連載企画記事開始、筆者エドワール・アスキ)

「WANG・LUJUNG事件、ヘイウッド氏殺害の謎」

■概要

中国四川省、王立軍がアメリカ大使館に亡命し共産党実力者薄熙来の妻谷開来が起訴されるに至った事件。その端緒となったニック・ヘイウッド氏毒殺被害。ロンドンハロウ校卒の優秀な頭脳を持ち北京ではハクリュート社ビジネスコンサルタントでアストン・マーチンの北京ディラー。ハクリュート社は元英国情報部MI6のハクリュート氏とMI6がアジアカバーのため設立した企業。ヘイウッド氏がMI6のエージェントとして谷開来に接した経緯を綴る。


2012年10月19日

(ラ・リベラシオンWEB土曜日版、総合タイトル「何か背後に」連載企画記事、筆者エドワール・アスキ)

「ジュリアン・アサンジュと」

■概要

ウィクリークスのアサンジュとかつて共にしたメルボルン時代のエピソードを綴る。MIⅥ(MI6)の文字を上下逆さまにしてWIKIとしたのもアサンジュのシニカルなウィットとも分析。彼が終始貫いていた弱い物いじめへの態度に対し、彼を訴追しなければならなかった強国の優先性などを批判、彼を援護する主張。


2012年11月日

(ラ・リベラシオンWEB土曜日版、総合タイトル「何か背後に」連載企画記事、筆者エドワール・アスキ)

「背中の手、反共のコーアン」

■概要

日本で過去起きた旧体質防共治安警察の巻き添え事件などを紹介。その中、一つの事件を細かに綴る。

■後半部の著述

午後4時52分 。

少女の部屋。

不動産資料をまとめ終えたI氏は会社に帰る旨を夫人に伝えてもらおうとYの居る部屋のドアの前に立った。

彼は言葉を頭に映しては繰り返した。適切な言い訳が思い着かない。

するとドアが突然と開き泣き顔の少女が現れた。

その背後に黒く光る物を少女の頭上で下げ、何か小声で話しかけている。

少女を押し出すように出てきたYは目の前のI氏に驚き、再び数分前の荒っぽい口調でI氏を押しのけていた。

すかさずI氏はYの手にしていた物が拳銃であると認識して、今背後に隠したのは拳銃か、と尋ねた。

正義感の強いI氏は更に違法な行為には黙っていない、と強くYを責めた。

YはI氏を払いのけ再び拳銃らしきものをズボンのポケットに押し込みリビングルームに戻る。

I氏はゆっくり追いかけてYに対峙する。

Yは責められて観念したかのようにポケットから拳銃を出し、モデルガンだと言い張った。

I氏は元軍人だからその区別が付く、やましく無いなら見せられるはずだと声を荒げてしまった。

ポケットの中でカチッと音がした。

Yはゆっくり黒光るものを取り出しギャングっぽい振る舞いも見せ威嚇しようと考えた。

I氏が伸ばした背筋はもう何にも屈服しない構えを表すものだった。

過去に訓練を重ねた記憶は身体に染み込んでおり皮肉にも予期せぬ結果を生む事になった。

銃口を下にしてYがゆっくり低く差し出した拳銃をI氏が薬莢排出口を避け両手で掴んだ時、Yが負けずと下に引き下ろした。

その瞬間、午後4時53分32秒、一発目が発射された。

玄関脇で異変を聴いたM警部は直ぐにドアを開けて飛び込んだ。

Yは「拾え、拾え!」と長女を威嚇していた。

I氏は血を流しソファの前に崩れていた。

リビングルームの中央に立ちすくんでいた少女をM警部は背後から抱きかかえた。

ソファーに砕けていたYの両手が伸び、拳銃を取り戻す行動とM警部には思えた。

その時、拳銃は少女の手の中にあった。

不安定な姿勢で反射的にM警部の右手は拳銃を押さえていた。

そしてYが拳銃を引き上げようとした瞬間、二発目が暴発した。

午後4時53分45秒であった。

警部Mはまず少女の無事を確かめた後、部屋から遠ざけた。

そして左の手袋をはずし二人の男の脈を計った。

拳銃はYのソファの下にそっと置いた。

室内は絨毯が続き足跡はない。

直ちに室外に出た、注意深く。

約20秒ほどの動作だった。

これも身に付いていた訓練のせいかもしれない。

M警部は7階通路に人が居ない事を確認した上で西側エレベーター脇の階段から二階まで駆け下りた。

そして東側ユーティリティーの物陰にしばらく潜む。

行動に拙速は禁物だ。

作業帽を取り出し眼鏡を掛け、待つ事5分。

そして緊急車両のサイレンがあちこちから聴こえて、それから注意深く一階物流ヤードに下りた。

警備員とすれ違った際、右手に握っていた警察手帳を顔の前に示した。

防犯カメラを気にする事も無く、東側物流ヤード出口から堂々と抜け出て行ったのだ。

これは2005年の東京で起きた出来事だ。


その昔の警部の行動は今の私の想像に過ぎない。

でも事件の背後にあったエージェントとの「何か」については警部にその答えを永遠に問い掛けたい。

事件から約7年後、少女はずっと心にしまい続けていたその数秒の記憶を私に語り始めた。

私はその時の報道を基に彼女に起きた事を綴り始めた。

少女の希望で、あと3年待ってからこの記事を書き終えるつもりだった。

だが今年になって少女は頑なに早い時期のリリースを望んだ。

心のゼロを求めていたのだ。

そして付け加えた。

「あの時、私の指先がトリガーに掛かっていたのか、それともそれは手袋の指先だったか、未だにわからない。私が乱暴だったその時の父に対して強い憎しみを子供ながらに感じたのは今でも忘れない。だから、私に罪があったのかもしれない、その思いはずっとずっと心から消え去らない。」


2013年1月21日
(ブリスベン国際空港)

やがて遅い夏の陽がゆっくりと西に沈みかける時、ブリスベン国際空港の賑わいはピークに達しかけます。カンタス、ジェットS他、アジアの様々方面から多国航空便が到着します。

オーストラリアで再婚の日本人妻、祐天寺事件の遺族、晴美アスキ一家、この日は長女葉菜のニュージーランド初遠征に同行した復路到着でした。

ブリスベン・セントアンズ・ハイスクールはこの日オークランドで南太平洋ジュニア三位に輝きました。クィーンズランド州では6年ぶりの栄誉、すでに空港のタクシーループにはのぽり旗の地元応援団が待ち受けています。空港内からは選手近親者を除き排除されていました。

葉菜は妹ソフィアを脇に従えて手荷物待ち受けテーブルで選手の器材を待ち受けます。

対インドチーム戦。葉菜はオールラウンダーの選手、試合得点にはあまり寄与出来ませんでした。

無念の四位敗北に終わるかと想われたラスト十数秒前の瞬間、相手ボウラーの投げた一投を女子エースバッツマン・メグが4点ビハインドでまさかの同点劇。審判ポケットのコインが見つからずメグが提案、葉菜の持っていた金貨は運命の最後のトスコインに。ジュニアルールで5回対決の結果は3ゼロ快勝。三位栄誉を獲得したものでした。

金貨は葉菜生まれ年2000年エリザベス二世25ドル金貨。表面に女王のレリーフ、裏面には葉菜の干支ドラゴンが彫られている宝物。で、相手の表面コールに二回裏面勝ち、中一回はセントアンズ表面コール勝ち。「噂は即座に駆け回り今伝説のコイン、すでにオーストラリア東部取引市場では高騰が始まりそうな気配」とかは、ややおおげさなツイッター話。

手荷物ラインでは妹ソフィアも混じって凱旋道具の回収中。荷物ゲットの順にメイツとハイタッチのお別れ。

ゴム暖簾から日本語と犬マークが現れるとまずソフィアが人をかき分け中に入り込みます。エド晴美フィルダーズは背伸びして小さな動作を見守っています。
入賞を決めたメグが先に荷物ゲット、葉菜と別れ先にバスに向かいます。
ヒロイン・メグに応え葉菜が首から下げていたコインをつかみ高く上げようとした瞬間、カチッ。フレームが外れてコインが舞い上がりました。
勝負を決めたボールの様にコインは高く上がった後、落ちて大きなゼロを描きながら床を転がって行きました。

「コイン、トス!」

葉菜が叫んで、軌道を見ていたソフィアが追いかけました。


そして金貨はとなりのループにいた中国便の荷物待ち集団後方辺り、一人のビジネスマンのカートに当たり止まりました。

男性は右膝を曲げ靴の先に立っていたコインを二本の指先で挟み上げました。耳元で円を描きながらゆっくりと振り返りました。近づけて見て漢字「龍」の文字を読みました。

ソフィアがまず追いついて、「私のもの!」、と訴えるようにサングラスの男性を見上げます。
葉菜も追いつき背をかがめたその東洋人の横顔を覗きました。
突然、背筋に冷たい違和感が走ったように感じました。昔の一瞬のフラッシュが見えた気がしました。

「OPEN YOUR HAND」

男性はソフィアにこう言ってから指先を一旦ジャケットの襟に隠し、それからソフィアに手のひらをかざしました。

「NO!!」

ソフィアは眼を丸くして驚きました。無くなると思って驚いたのです。
男性は再びコインを指先に挟んで回し始め、そして左手でソフィアの差し出していた手を軽く握って指先のコインを小さな手のひらに載せました。こんどはその右手でソフィアの手の下に置き直し左手で柔らかく小さな指を包みました。最後に左手でその拳を軽く叩き、男性はカートを押して立ち去っていきました。

「THANK YOU」
ソフィアが泣きそうな声で言いました。

「MERCI BEAUCOUP MESSIEUR!」
葉菜が男性の背中にこう呼びかけるとその東洋人は頭を左右に振りながら二本の指先を高く上げ、再び大きなゼロを何度も描きながらイミグレーションに向かって行きました。

ソフィアの右手はまだ小さな拳のまま、金色が指の間から覗いています。
金貨が擦れ合う音がします。

葉菜がソフィアの指を一本づつ開きました。

「2000 ELIZABETH Ⅱ」


何か小さなお皿に載せられて現れたコイン。間違い無く葉菜の幸運の25ドル金貨。

ソフィアが摘み上げた時、カチッ。
その下に一周り大きなもう一枚のコインがありました。

十二羽の鳥が空を飛んでいる金貨です。


「ENSEMBLE VERS L´AVENIRだって、未来へ一緒に、って書いてある。増えちゃったね、ソフィア。こーゆうマジックはね、日本語で、「手品」、って言うんだよ、ソフィア。」

二人はまた驚きました。

表は若い頃の英国女王のレリーフ、カナダの100ドル金貨でした。

「1978 ELIZABETH Ⅱ」

          E  N  D

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https://note.com/kotan777/n/n2f3d40418d14

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