正義と悪

この前京アニ事件実名報道についてのDaiGoさんの動画を見て、私も少し熱くなってツイートしまくってしまったのですが、意味わかんない感じになっていたので、その時に言いたかった事をちょっとまとめようと思います。

言いたかったことは3つ。

正義と悪は絶対的なものではないこと。

社会はきっとおそろしいほどに単純で複雑であるということ。

そして、結局自分の信じるようにやるしかないのかなということです。

ではまず一つ目。

正義と悪は絶対的なものではありません。

例えば、人殺しをすれば英雄だと言われた時代もあります(戦争など)。いや、今でもそういうコミュニティはきっとあるのでしょう。

ですので、人を殺すことは絶対的な悪ではありません。あくまでも、私たちの価値観によってうまれた、相対的なものです。

もちろん、人殺しを肯定しているわけでは全くありません。ただ、私たちが普通に考える「いけないこと」さえも、時や場所によっては正しい行動とされてしまうということを言いたかったのです。

また行動そのものより、正義や悪、良い悪いの話は、動機に目が行くことも多いです。

例えば、周りにそそのかされて嫌々ながらも行った犯罪ならば、娯楽として犯罪に手を染めた人よりも、罪は軽くなるでしょう。

しかし、動機や感情なんて外から計ることはできませんから、結局本当のところは誰にもわかりません。

最初にあげた話でいえば、マスコミは本当に実名報道が公益になると思っていたのかもしれませんし、そんなことはないと思いますが、DaiGoさんが視聴者を増やすためにあのような放送をした可能性も、完全に捨てきることはできません。

むしろ、彼らが良い行いをしたのか、悪い行いをしたのかは、それを見ている人の価値観に大きく左右されます。

「きっとあんな風に考えていたに違いない」と考えているとき、それは相手の考えではなく、自分の考えなのです。

彼らの感情は外から計ることはできませんから、私たちの想像によって補完され、事実とは違うものとなって認識されます。

ですので、結局何が真実化はわからないし、見えるものと想像できるものだけで私たちは良し悪しを判断するしかないのです。

最後の部分は3つ目の話でもあります。

絶対的ではないのだから、あとは自分の価値観を信じて行動するしかない。少なくとも、行動をしなければ何も変わりませんからね。

例えば世界をもっとよりよいものにしたい……と考えているのなら、「良い世界」に絶対的なものはないので、それは誰かにとっては悪い世界かもしれません。

それでも、とにかく行動しなければ何も変わりませんし、少なくとも行動することで自分の信じる「良い世界」には近づくでしょう。

だから、結局だらだらといろいろ言いましたが、自分の信じることを、あくまでも自分の望む形にするために行う……私たちにできるのはそれだけであり、それで十分なのかなと思いました。

2つめについてはまたいずれ。


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