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外出自粛生活120日が経ち、今感じること

風が冷たくなりはじめ、紅葉も段々と散っていくこの頃。

つい最近まで金木犀の香りがしていたかと思えばもうすぐクリスマスだ。

僕は今この文章を誰もいない学校のフリースペースで書いている。

時刻は18:14

そして今日は月曜日

体育会生にとっては唯一の休みの日

本当ならば学校にはいない

最後に友達とお酒を飲み、いい感じに酔いながら電車に乗ったのはいつだろうか。

最後に大好きな古着屋を廻り、休憩がてらフィルムカメラを片手に喫茶店でコーヒーを飲んだのはいつだろうか。

遠い昔の話のように感じる。

何故ならば僕は8月から一度もプラベートで外に外出していないから。

部活の方針によりコロナに対するリスク管理で不要不急の外出が禁じられている。

もうすぐ120日が経とうとしている。

この120日は長くもあり、短くもあった。

鬱になるのではないかと思う日も、小さな幸せに心踊る日も。

だからこそ人生で今後経験するでないであろうこの経験をここに書き記しておこうと思う。

120日で感じたこの外出禁止生活の光と影
1.影(マイナス)
(1)基準が狭まる

120日も同じコミュニティの中にいるとそのコミュニティでの基準が一般基準となり染まっていく。

現在の世の中では多様性が騒がれるほど様々な人たちで社会が成り立っている。しかし同じコミュニティの中だけで生活していると社会との繋がりはたたれそこに残るのは社会ではなく世間(知り合いしかいない空間)である。

社会的に見ればおもしろいとされる考えも狭いコミュニティ(世間の中)で受け入れられなければそれは同調圧力で押しつぶされてしまう。

だから日頃から部活内に依存するのではなく様々な人々に触れ考えをアップデートし続ける必要があるが今は難しい。

(2)新体験がゼロ

何故僕がサッカーをここまでやってきて何故サッカーが好きだと言えるのだろうか?

食べ物で好きなものをあげるなら焼肉、寿司、メロン、桃、ラーメン、チョコレートあげれば切りがない。それと同時に苦手な食べ物もあってアボカドや牛乳などは苦手である。

このように22年間も生きていいると好きなものと嫌いなものが存在している。しかし何故これらを好き、嫌いの分別ができるのだろうか?

これは紛れもなくこの身一つでこれまで体験してきたから好きや嫌いの感情が生まれてきたのである。

OFFの日に友達とドライブするのは楽しいですか?と聞かれれば答えはYES。しかし友達とロケットに乗って宇宙に行くのは楽しいですか?と聞かれれば好きも嫌いも体験したことないからわからないが答えになる。

好きも嫌いもこれまで体験してきたからそのように言えるだけで、体験してないことにはそれ以前に分からないで終わってしまう。

好きなことが分からないというのは知ってることが少なすぎるとある人が言っていた。凄くそう思う。

とはいえ今の世の中インターネットを開ば沢山の情報が知れる。だから現状に嘆くのではなく最低限の努力はするべきだ。だけどこの前ANAの広告がこのようなワードで訴えかけてきた。

何百と人から話を聞いて、映像で見ても自分の目で見て耳で聞いて肌で感じたことに勝るものはないと思う。日頃から体育会という狭いコミュニティの中で生活している僕らはもっと沢山の景色をこの目で見てそれをサッカーに生かして成長する必要がある。

しかし外に出られない事実は変わらない。だからこそ今は無限に広がるインターネットを存分に頼り様々な情報を得て、映像で見て沢山の好き嫌いを増やしたい。

(3)区切りがない

これまで普通の生活をしている時にはあまり意識したことはなかったが環境を毎回変えて、または変わる環境により自分にスイッチを入れたり抜いたりしていたということに気づいた。

どのようなことかというと、週単位で見れば普段は週に6日部活を行い月曜日は休みになる。月曜日は実家に帰ったり友達と遊んだり自主練したりしてそれが無意識のうちにONとOFFのスイッチになっていた。

1日単位で見ると午後から練習の時は午前はスーパーへ買い物に行ったり、カフェに行ったり場所を移して作業していた。そして午後に寮に戻り練習の準備をする。

このように無意識のうちにスイッチを入れたり切ったりしていた自分にとって外に出られない、プライベートな環境がなくなることは意識しないと全てが繋がって流れていくなんとも言えない難しさがあった。

アウトドアの僕にとって外に出てリフレッシュすることができないことは苦しいのでデメリットに上げたが、ある意味これは自分の中ではポジティブな発見だった。無意識支配されていたことに気づきONとOFFのコントロールを自分で行うようになってきた。

起きたらすぐに着替える、作業をする時は寝られない環境に移動する、瞑想を通して整理する。あえてOFFでもスイッチを切らないところを作る。

これらの他にも色々と日常のスイッチのON,OFFをコントロールすることができるようになってきた。

これまで支配されてたことを支配できてる感覚が実に良い。

2.光(プラス)

(1)幸せは求めるのではなく、「ある」

この外出禁止期間で一番心の中で変化が起きたことがこれである。

今現在遊びに行くなどはできないが病院などの緊急を要する外出は許されている。しかし夏頃は一歩も外に出られない日々が続いた。その頃苦しくてネットショッピングで色々なものを買ったのを覚えている。

外に出かけられない分色々なものを買って心を満たしていた。けれど1万円の買い物をしたからと言って心がその分満たされるのかと言えば少し疑問があった。何か腑に落ちない。。

ではやはり外に出かけて友達と騒いで、飲んで、映画を観て、旅行に行くことが幸せの全てなのか?いや、その答えは半分YESで半分NOだ。

もちろんそのような外的幸せは間違いなく存在している。けれどそれは心からの幸せというよりはその場に楽しまされていたりもする。

そんなことを考えるようになったのは外に出られない日々が続く中で見た夕陽がきっかけである。

こんな綺麗な夕陽を見た時に幸せになるために頑張ることも大事だが、幸せになるではなく幸せはあるが正しいのではないかと思うようになった。

ご飯を食べる時携帯に集中していればその料理を食べれてる幸せ、感謝はきっと半減する。

毎日練習できることが当たり前になればそこに幸せは大きく感じなくなるのかもしれない。

健康に生活できていればそれが当たり前だと感じ幸せは感じにくくなる。

裕福が故の幸福度が低いという状況である。

どんな立場でどんな状況に立たされようと感謝の気持ちをもち、些細な幸せを感じられる人間でいたいし、幸せを求め続けているうちは永遠に幸せになれないと思う。

だから今日も、ある幸せを存分に感じよう。

出来事一つ一つに誰が関わってそれが成り立っているのか、自分がそれができているのか分解して考えれば当たり前は存在しないことが身に染みて分かる。

(2)習慣化しやすい環境にある

今僕が無敵だなと思うことは外出できる可能性が0ということもあって練習や試合以外に予定が入ってくることがほぼない。どんな人からこの時間にここで会おうよと言われても「すみません。外出できません」と答えるしかないからだ。。

そんな生活が数十日続いたある日気づいた。この期間に習慣化すること増やせばこの生活から解き放たれた時、よりエネルギーを新しいチャレンジに使えると。

習慣化するとはすなわち努力がいらなくなる。

僕がずっと行ってきたサッカーも習慣の連続で物事が進む。
全く同じシーンは二度と訪れないが似たシーンが幾度となく訪れるたびに頭で考えるより身体が勝手に判断してプレーに移していることも少なくない。
あれを1から頭で考えて行動に移していたら90分経つ頃にはきっと倒れている。(笑)

そのくらい習慣化とは無敵なのである。

練習と睡眠合わせても12時間くらいがフリーになり、尚且つ外に出られないのならば無意識レベルまで落とし込めるように様々なことを習慣化するチャンスなのでは!

(3)より少なく、より良く

洋服、小物、その他諸々トレンドを見るのは楽しい。それこそ東京はそのようなトレンドで溢れかえっている。そしてそれらは輝いて見えて欲しくなる。(笑)

けれどもうしばらそれらをこの目で見ていない、というより見れない。

そうすると段々世のトレンドはどうでもよくなり、自分って本当はどんなものが好きだったんだっけ?と考える日が増えてくる。

靴棚、衣装ケースを見返してこんなものが眠っていたのかと驚くことも出てくる。

そこで気づいたのは、流れに乗って買ったものに混ざって本当に自分が大事にしていたものが埋もれていき大切にできていないということだ。半年に一回バッターボックスに立つか立たないかの服は正直誰か他の人に着てもらった方が服ももらった人も今より幸せになれるはずだ。

『より良いものを大切にできる分だけもつ』

この数ヶ月でおきたこの価値観の変化は今後も生きていくうえで大切にしていきたい。

締め

コロナウィルスが流行ってから少しだけ色々と窮屈になった。それはこの外に出られないという環境ではなく、社会の同調圧力や建前である。

「私も我慢してるんだからあなたも我慢しなさい」という同調圧力

夜道を一人で歩く時も世間からの目を気にしてつけるマスク

社会に対する建前で始めたことがいつの日か誰もなんのためにやってるのか分からなくなってること

そんな窮屈な世界との兼ね合いをとりながら今日も生きていく。

しかし世の中には自分の力では変えられないものが無数に存在する。

これらに不満を抱いていても時間の無駄である。

だからこそその変えられないものにフォーカスするのではなく今だからこそできることに全集中で日々過ごしていきたい。

人生は意味のあることしか起こらないと信じて日々前進あるのみ。

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