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仕事をやめた話

今日は少し現状について書き留めておこうと思います。

仕事を4月末でやめました。
2011年8月に短時間で始めた病院薬剤師のパートです。
2014年1月から社会保険に入れるくらいに時間を増やして、1日7時間半で週4日働いていました。
仕事は楽しかったです。
知らないことは一生懸命勉強したし、スキルアップするのが楽しかった。
役に立っているという充実感もありました。
職場の人たちもいい人が多く、居心地もよかったです。
そういう感じだったので、私は当初心に決めていた「できると思われないようにする」ということを忘れていってしまったんです。
できると思われると、まわりから頼られるようになります。
それはそれでうれしいことなんですが、いっぽうで私だけなんでこんなに忙しいのという事態にもなるんですね。
それでもまあ、仕事自体は楽しいので、がんばるのも楽しかったんです。

基本的に、過集中なので、やるとなったらとことんやりたいタイプです。
趣味だったピアノも練習する余裕がなくなってやめました(理由はそれだけではないのだけれど)
体力的にもあまり余裕がないので、毎日が仕事と若干の家事で終わりみたいなことになってきました。
家の中はぜんぜん片付きません。

そんなふうになってきていて、2年前、もひとつややこしい仕事が降ってきました。
このnoteにも書いたことがあるけれど、在庫管理の仕事です。
本来は定常の発注さえしていればよかったのですが、時期悪く、この仕事をやり始めてすぐに、後発薬メーカーの不祥事による流通不良やコロナ禍の薬剤需要増加などがあり、これまでの定常発注では対応できなくなって、本当に大変な状況になっていきました。
薬の在庫は切らせたら大問題、だけど、多すぎる在庫はそれはそれでよくない。
大好きなエクセルを使って、この状況に果敢に立ち向かった私は、どんどん深みにはまっていきました。
多分、上司はそこまでのことは要求していなかったと思います。
けれども、できるとなると、それはそれで便利に使われるようになるのですよ。
そのうちに在庫は私に訊けばすべてわかると思われるようになり、いつのまにかメーカーや医薬品卸にも対応するはめになり、アップアップしながらもそれらの期待に応え続けるという、悪しき循環が発生してしまっていました。

そんなこんなでだんだんしんどくなってきたのですが、こうなってしまった以上どうしようもないので、定年までなんとか頑張ろうと思っていたのですが。

2年ほど前から、血液検査で腎臓の数値が少しずつ下がってきました。
血圧も少しずつ上がってきました。
塩分を控えるように言われています。
仕事をやめたらいろいろしたいと思っていることがあるけど、定年でやめるころに自分の体調はどうなっているのだろう、と不安になってきました。

二世帯住宅で一緒に住んでいる義母に対するストレスが、年齢的なものもあり、だんだん抑えられなくなってきました。
認知症にもなってきて、ときどき対応が大変になります。
ストレス性の不整脈が増えてきました。

そんな中、職場にも変化が現れてきました。
これまでわりと余計なことはやらないという方針だったのですが、何人か他所からの転職者が入ってきて、これまでやっていなかった他部署対応が少しずつ加わってきました。
その方面は勉強不足で、それらに対応するために、また勉強する必要があったのですが、もう勉強するだけの時間的・精神的余裕がなくなっていました。

勉強していない状態で臨む毎日の薬剤師業務は不安で苦痛でした。
在庫管理に対する責任感も、自分で自分の首を絞めていました。
だんだん、もう解放されたいと思うようになっていました。
いつまで健康でいられるかわからないのだから、もうやりたいことをやってもいいんじゃないかと。

昨年末、不整脈の通院で心電図を取ったとき、狭心症のような波形が現れました。
ストレス性のものかもしれないが、一応検査をするということになりました。
ちょうどそんな時に、たまたま職場で面談があり、いつまで働けるかということを尋ねられたのです。
検査が終わって問題なしということがわかった状況なら、やめたいとは言い出せなかったと思います。
絶妙なタイミングでした。
そして、引き留められはしましたが、最終的に退職の意思は受理されました。
以前長時間勤務にしてほしいと言われたときに体力面から渋ったのを覚えていてくれていたのです。
同僚の人たちにも、はじめは引き留められました。
そんなに気にせず気楽にやったらいいじゃないかと言われました。
けれど、私の個人的な事情を理解してもらい、引継ぎ等とても協力してもらいました。

たくさん業務を抱えていたので、引継ぎは大変でした。
他にパソコンをできる人がほとんどいなかったのです。
これはもうやめましょうという業務がいくつかありました。
不便にはなるものの、なくても致命的ではない業務は、やれる人がいないとなくなります。
大切な在庫管理でさえ、私が作り上げたエクセルシステムは他に使える人がおらず、とってもアバウトな前時代的な方法に変わりました。
不足品が出るかもしれないし、在庫量が多すぎることになるかもしれないけど、できなければしかたないのです。
結局のところ、それでも回っていくのです。

そんなこんなで、私は仕事をやめました。

それで、なぜ、今、ここ(タリーズ)でこんなことをしているのかというと?
仕事をやめたことを、義母に言ってないからなんですね(笑)
認知症にはなっていますが、まだ自分のことは自分でできており、日常生活で私がいる必要はありません。
けれど、私が家にいることが分かれば、いろいろ面倒なことが出てくるかもしれません。
二世帯住宅で生活スペースは別なので、できるだけ、これまでどおり仕事に行っていることにしておきたい。
もちろんそれ以上に、私が1日中家にいて彼女の存在を感じることがしんどいというのはあるのですが。

いつまでこういう生活が続くのかはわかりません。
仕事と同じように週4日外に出るというのは、まあきついことはきつい。
結局仕事をしていた時と同じように家は片付かないし。
けれども、これはこれで楽しいです。

なにより、仕事をやめて、体力的精神的に楽になりました。
これからは、仕事をしている時にはできなかったことをいろいろやっていきたいと思っています。

長い文章になってしまいました。
3時間、2700文字。たぶん私史上最高。
このことについては、自分の足跡として残しておこうと思っていたので、書けてよかったです。
もし、ここまで読んでくださった方がいれば、どうもありがとうございます。


表紙画像は昔職場の中庭にあったバラ。