Slow-Thought 運動

 だいぶ長い間Twitterをしていたが、ここにきて居心地があまり良くなくなってきた。

 プロフィールで確認すると、Twitterを開始したのは2015年10月のようである。2016年には、初の単著を刊行し、国際シンポジウムを開催した。告知のために、Twitterアカウントを作成したのである。

 その後Twitterを通じて、隣接する分野の学者さんや、同じような志向をもっている方々に出会った。自分の意見を表明する手段にもなり、他人の様々な意見に触れることもできた。ピンチの時には、その経緯を公表することで応援の声をもらい、救われたこともある(緑内障の手術がうまくいかずに何度も繰り返したときなど)。

 だがTwitterのシステムには、私の信条と全く相いれないところがある、と今更ながら気付いた。私が物事をゆっくり考えることが好きな人間であるのに対して、Twitterは思考をスピーディーに処理することを促すシステムなのである。

 もとより私は、研究者としても、教員としても、父としても、一人間としても、長いスパンで物事を見ることを大事にする人間である。だから、Twitterに流れる脊髄反射的な呟きには、中々なじめない。その意見に賛成であろうと反対であろうと、まずはその意見に至った経緯を知りたい、と思ってしまうからである。

 各人が自分の意見を表明したり、他人と議論するのはとても大事なことであるし、Twitterはそういう場を提供してくれるプラットフォームであるようにも見える。だが、思考のプロセスを示さずに出来合いの意見だけを交換するだけでは、本当の意味の議論は成り立たない、と少なくとも私は考えている。

 というわけで、ブログを始めてみました。

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