【底辺】

先日、ある入居者がお亡くなりになった。

90歳の女性の方で、旦那さんを早くに失くされ女手一つで二人の娘さんを育てた男勝りのとても強い方だった。

明るく元気でいつも「ガハハ」と豪快に笑う方だった。

耳が遠いことから会話をする時には顔と顔を近づけて話していたが、ふいにギュっと抱きしめてきて「若いエキスをもらってこれでまた長生きできるわ!ガハハ」と言っては周りを明るくさせてくれていた。


今年の春頃、下腹部から大量の下血をされた。すぐに救急車で病院に搬送した。

末期の膀胱ガンだった。

手術が出来ないわけではないが、完治する見込みは薄いとのことだった。

その方は手術をしない選択をされた。娘さん達も同じ意見だった。


余命は数カ月~数年というあいまいな宣告だったけれど、病魔は確実にその方の身体を蝕んていき、痛みは日に日に増しているようだった。

本来ならホスピス(緩和ケア病棟)に入院するくらいの症状で、その痛みを我慢する姿を見て、本人や家族に入院を進めたこともあった。

でも本人が頑なにそれを拒んだ。

「病院で死ぬのだけは絶対にイヤ。後生だからここに居させてよ」

その言葉を聞いて二人の娘さんからも頭を下げられた。


主治医、看護師、薬剤師、ヘルパー、僕ら施設職員そして本人やご家族、全員で日々移り変わる症状にその方が出来るだけ安静に”ここ”で過ごせるよう話し合いを重ねた。

本当はすごく痛いくせに「今日はいつもより調子がいいわ。ガハハ」そう言って”いつも”笑われていた。

強がっていたのは分かっていたけど、「本当にガンですか(笑)」とわざとおどけてみせた。

二人の娘さんはよく顔を出してくれた。次女さんは関東在住にも関わらずまるで近所に住んでるかのように来てくれた。

娘さんと会った日は本当にお元気でガンが良くなっているようにも見えた。

でも現実は残酷で、往診のたびに痛み止めの量も強さも増していった。

今月に入り食事を全く摂られなくなった。栄養剤が処方されたがそれも口にする量がどんどん減っていった。

ベッドからも起き上がれない日も増えていった。


その日は朝から痛みが強く、気丈なその方にしては珍しく「痛いからどうにかして欲しい…」と辛そうな表情を見せていた。

痛み止めを飲んでも全く効果は見られず、痛みは増すばかりだった。

昼過ぎに訪ねた時だった。

「痛い!痛い!お腹が焼けるように痛い!!」

シーツをギュッと握りしめ苦しそうに叫んでいた。

こちらの呼びかけにも応えず「痛い!」としか言えない状態だった。

携帯電話を手に持ち『119』と番号を押す時だった。

一瞬、本当に一瞬だけその方の「病院で死ぬのはイヤ」という言葉が脳裏に過った。

すぐにその方の「痛い!」という叫びがそれをかき消した。


救急車の中で娘さんに連絡をした。長女さんは電話に出なかった。次女さんは「すぐに向かいます!姉には私から連絡いれます」と言ってくれた。

病院に着き、待合に案内された。医師や看護師がその日の状況やこれまでの状態を代わる代わる聞きに来た。

一通り説明を終えた僕の仕事は娘さん達を待つだけだった。

待合で待っている間、救急搬送して正解だったのか、その方の希望通りにするべきだったんじゃないのか頭の中でずっと考えていた。

そうこうするうちに長女さんがやってくる。状況を説明し、そして「本人さんの希望に沿えず申し訳ありません」と頭を下げた。

もちろん長女さんは僕を責めるようなことは一切言わなかった。

僕の出番はここまでだった。後はご家族が対応するとのことだった。


施設に戻ってからも自分の行動が正しかったのか考えていた。

21時過ぎごろ長女さんから「先ほど息を引き取りました」と連絡があった。


お通夜や葬儀は家族のみで執り行われた。

葬儀の後に娘さん二人が施設に足を運んでくれた。


どうやら内蔵の一部が破裂しており手術するのは難しいとのことだった。緩和ケアに切り替えてとにかく痛みを抑えてもらったようで、次女さんも間に合い、二人の娘さんに見守られながら安らかに息を引き取ったとのことだった。


「本当にありがとうございました。救急搬送してくれなかったらこんなに穏やかな最期を迎える事は出来なかったと思います」

涙を流されながらそう言われた。
感謝されて嬉しい気持ちもあったが、それよりも本人の希望を叶えることが出来なかった申し訳ない気持ちの方が大きかった。

本人さんには申し訳ないことをしました、と言う僕に娘さん達はその方の最期の言葉を教えてくれた。


「酸素マスクをしていたので声は聞こえなかったけど、『ありがとう』って口が動いているように見えました。母はきっと私たちや施設の方々に感謝をしていたのだと思います」

自分の行動が正解なのかは分からないけれど、娘さん達の言う事がもし本当なら、その方は許してくれているかもしれないなと思えた。


以上が、ここ数日の僕の仕事だった。

どうやら僕らがしている介護のお仕事を【底辺】と言われたみたいだった。

何を持って底辺と言うのかよく分からないし、仕事に上も下もないと思う。
仕事と呼ばれるからには必ずそれを必要とする人がいるわけで、その人たちから見たら底辺であるはずがなくて、そう考えると底辺の職業なんてこの世に存在しないと思っている。

だから僕は自分の仕事を底辺だと言われたとしても何とも思わない。

ただ、もしも僕らの仕事が底辺だとしたら、僕の仕事に涙を流して感謝をしてくれた二人の娘さんや、最期の時に「ありがとう」と言ったあの方たちに本当に申し訳ないと思った。

もちろん感謝をしてもらうために仕事をしているわけではなく、その方やご家族が少しでも安心して安定にそして穏やかに過ごせるように仕事をしている。


時には腰が悲鳴を上げることもあるし、

時には全く食べないあの人を想って眠れない夜もあるし、

時にはご家族の涙にやりきれない気持ちになることもある。

その仕事を底辺だと言うのなら勝手に言えば良いと思う。

何と言われようが、僕らは今日も”誇り”を持ってその方達の生活を支えるだけだから。


そうだよね、おだんごさん。




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