【スナックともうひとつの土曜日と誕生日】
お義父さん(奥さんの父親)が8月31日をもって仕事を辞めた。明くる日9月1日はお義父さんの誕生日で75歳になる節目に仕事を引退することを以前から決めていたらしい。お義父さんは裏表がない明るくて優しい人だ。初めてご挨拶をさせてもらった時には「俺と違って何の取柄もない娘だけどよろしく頼むな」と言って「いやお父さんよりも取柄あるわ」と奥さんから思いっきり肩を叩かれていた。そのやり取りだけで僕はこの父娘が大好きになった。
思ったことをすぐ口にしてしまうお義父さんはお義母さんや奥さんからよく怒られていた。
新婚旅行のお土産でブランド物のベルトをあげた時には「ありがとな!でもベルトってカットするのが面倒なんだよな(笑)」と奥さんの前で堂々と言って「もうあげない!」と怒られていた。
腎臓がんで闘病中だったお義母さんに対して「お前が死ぬ前に口座のお金を俺の方に移した方が良いと思うんだ」と言ってお義母さんから激怒されたこともあった。本当に悪気なく純粋な気持ちで発言するところがお義父さんの良いところだと僕は思っている。
そんなお義父さんと8月31日の夜に二人で呑みに行った。以前にお義父さんから「その日はコッシー君と呑みに行きたい」と誘われていた。お義父さんと呑みに行くのはとても久しぶりだった。
まだ奥さんのおじいちゃんが生きていた5年ほど前までは、お義父さんとおじいちゃんと僕の3人でお義父さんの行きつけのスナックへ定期的に行っていた。初めてスナックに3人で訪れた日にお義父さんはスナックのママさんに「こっちが親父。こっちが…まぁ息子みたいなもんかな(笑)」と僕を紹介してくれて嬉しく思ったことを覚えている。
お義父さんもおじいちゃんもカラオケが大好きで楽しそうに唄う二人を見るのが好きだった。二人が知ってそうな曲を探すのが難しくて結局「よく知らん曲だなぁ」と言われた。最後にお義父さんが浜田省吾の『もうひとつの土曜日』を唄って、会がお開きになるのが定番だった。
おじいちゃんが亡くなった時、ちょうどコロナの時期と重なっていたことからお義父さんとスナックには行くことはなくなり、なんとなくそのまま月日が流れていった。
僕らがスナックに行かなくなり程なくして、お義父さんの行きつけのスナックはお店を閉めたようだった。それからお義父さんはいくつか新しいお店に足を運び、ここ最近になってようやく”行きつけ”と呼べるスナックが出来たとのことだった。8月31日はそのお店に二人で行ったのだった。
軽く食事を摂った後、奥さんに送ってもらいスナックへと向かった。どうやら事前にママさんへ行くことを伝えていたらしく、僕らがお店に入るなり「いらっしゃい!お待ちしてました!」とママさんから大袈裟に出迎えられた。「こっちが話していた息子だ(笑)」とお義父さんがおどけた様子でママさんに言ったのを聞いて懐かしさが込み上げる。乾杯をした後軽くお互いの近況を報告し合った。お義父さんは来月白内障の手術を受けるらしい。最近目が見えにくくなってきてそれも仕事を引退した理由の一つみたいだった。
「新しい学校はどうだ?」とお義父さんから聞かれる。奥さんのことか息子のことかどちらのことを言っているのか分からず「大変ですが元気でやっています」と当たり障りのない返事をした。「そうか、元気なら良かった」とお義父さんは笑ってお酒をグイと呑んだ。
酔いが回ってきたのかお義父さんは段々と饒舌になっていき自分の心境を語り始めた。仕事をやめることで自分がボケてしまわないかという不安。息子(奥さんの弟)がなかなか身を固めなくてフラフラしていることに対する苛立ち。以前よりも言うことが聞かなくなってきた身体への心配。浅くなった眠り、落ちてきた食欲、総入れ歯にしたことなどなど……
いつも明るく朗らかに見えるお義父さんにも気がかりなことはたくさんあるのだと知った。
僕からの返答を待つことなくどんどんと話をするお義父さん。きっと僕に何かを言ってもらいたいわけではないのだろう。途中からは僕もうんうんと頷くだけでお義父さんの話を黙って聞いていた。
ひとしきり話終えたお義父さんがママさんに目を向けた。ママさんは軽く頷いてカラオケの電源を入れた。お義父さんの目の前にマイクが置かれる。「久しぶりにどうだ?たまにはいいだろ」そう言ってお義父さんがママさんへ曲名を告げる。ママさんが素早くタッチパネルを操作して曲を入れた。画面に曲名が表示されてイントロが流れる。「次の曲入れてな」お義父さんは僕にそう伝えるとマイクを持って席を立った。はっきりとした声でお義父さんが唄い出す。その見事な歌声はさっきまで不安や喪失を抱えていた人とは思えないほどで、少しだけ安堵をする。
ママさんからタッチパネルを借りて、過去にお義父さんやおじいちゃんから褒められた曲を入れた。お義父さんが唄い始めたことから、お店にいた他のお客さんも次々と曲を入れ出した。お店の雰囲気がなんとなくカラオケモードに変わっていく。
お義父さんや僕を含めた店内にいる人で代わる代わる順に唄っていった。どれくらいの曲が流れただろうか、次の曲に【もうひとつの土曜日】というタイトルが見えた。きっとお義父さんが入れたのだろう。僕は曲を探すのをやめてタッチパネルをママさんへ返した。
前の曲が終わり、聴き馴染みのあるイントロが流れる。お義父さんはマイクを持って再び席を立った。
お義父さんがしっとりと歌い上げる。その姿は昔のお義父さんと変わっていなくて安心した気持ちがさらに大きくなったことを感じた。
おじいちゃんが亡くなりコロナ禍になったせいで、こうやって腰を据えて話をすることがないまま来てしまった。もしかしたらお義父さんも不安を抱えて眠れない夜があったのかもしれない。
ふいに母親のことが頭に浮かんだ。一昨年父親が亡くなってから一人で暮らしている。僕が知らない、いや知ろうとしないだけできっと母親にも大なり小なり不安や悩みがあるのだと思う。
お義父さんも母親も勝手に元気だと思い込んでろくに連絡をしてこなかった。けれどそれは自分の都合の良いように解釈していたにしか過ぎず、二人とも確実に歳は重ねていき、確実に老いていく。これからはもう少し気にかけようと思った。自分が後悔しないように。
お義父さんが最後のフレーズを唄い終えた時、時刻は0時を回っていた。マイクを置くお義父さんに「誕生日おめでとうございます」と声を掛ける。驚いた顔でお義父さんは時計に目をやって「そうか0時過ぎたか」と穏やかに言った。「あらお誕生日なの?おめでとうございます」僕らの会話を聞いていたママさんからお祝いの言葉を掛けられる。「ありがとう」と照れながらも笑うお義父さんの姿におじいちゃんの面影が見えた。
いつも僕はカラオケを唄い終えたおじいちゃんに「とても上手でしたよ!」と声を掛けていた。おじいちゃんは「ありがとう」と照れながら笑ってくれた。
3人でスナックに行っていたあの頃を思い出す。懐かしい気持ちのまま僕らは店を後にした。