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【翼を広げて】

「父さんな、仕事を辞めようと思っている」


父からの突然の報告に僕と姉は顔を見合わせて目を白黒させていた。
母は渋い顔をしていたが、どこか笑っているように見えた。



幼少の頃、僕にとって父は真面目で優しい人だった。
少しヒステリックな母とは対照的に、僕や姉を全く怒ったりせず、いつも優しく見守ってくれていた。

地元の商業組合に20年以上真面目に勤め僕ら家族を養ってくれた。決して裕福ではなかったけれど貧しいと思ったことがないのはきっと父のおかげだろう。
父の会社の同僚や友人達は揃って「あいつは本当に真面目だ」と口にしていた。

真面目で優しい父を僕は本当に大好きだった。しかし子供心とは残酷で真面目で面白味のないように映る父に対して憧れは全くなかった。

今なら家族のために一生懸命働くことがどれだけ素晴らしく尊いことか分かるけど、幼い僕には破天荒な男の人が魅力的に見えて、父をカッコいいと思うことは無かった。


僕が社会人になって間もなく、祖母が他界した。
葬儀はしめやかに執り行われ、喪主の父は気丈に振る舞っているように見えた。

四十九日も無事に終わり、実家に戻りゆっくりとお茶を飲んでいる時だった。父から「話がある」と姉と僕が呼ばれた。


「父さんな、仕事を辞めようと思っている」


なんの前置きもなくサラっと言われた言葉に僕らは驚きを隠せなかった。
父は僕が生まれる前からずっと同じ会社で働いていた。ほんの数年前には勤続20年を表彰されたばかりだった。
その会社を辞めるなんてよほどの理由があると僕や姉は思った。


「いや辞めるって何で?リストラ?」

「まだ定年じゃないよね。もったいないって!」


矢継ぎ早に質問する僕らを父親はただニコニコと見ていた。母は困ったような顔をしていたが口元には笑みがこぼれていた。
きっと母とは既に話がついていたのだと思う。


「実は父さん、小さい頃からバスの運転手になりたかったんだ」


僕らの質問には一切答えず父は照れながら話した。

父は小さい頃からバスの運転手になることが夢だったらしい。しかし父が二十歳の時に母が姉を身籠ったため、父はなれるか分からないバスの運転手ではなく安定のある仕事を選んだ。
その後僕も生まれ、父は夢を胸に閉じ込め僕らを育てるためにずっと真面目に働いてくれていた。
姉が結婚し僕は就職して二人とも家を出て、そして祖父も祖母も他界したことから、夢だったバスの運転手に挑戦したいと思ったとのことだった。


「は?今更バスの運転手になってどうするの!?お母さんはそれでいいの!?」


父の話を聞いてもしばらく姉は文句を言ってたけど、僕は胸の高鳴りを覚えていた。子供みたいにドキドキしていた。
子供のために夢を我慢し、そして年を重ねても自分の夢に一歩踏み出せる父を誇らしく思っていた。初めて父をカッコいいと思っていた。
母は少し困った顔をしていたけど「まぁ気が済むまでやれば良いわ」と苦笑いしていた。

結局、姉の反対も空しく父は次の月には仕事を辞めて自動車学校に通い始めた。ほどなくして大型2種を取得した父は市バスの採用試験を受けた。
そこで採用されたらまさに夢物語だが現実はそんなに甘くなく一次面接でサクっと落とされていた。
それでも父は諦めることなく、商業組合時代の伝手つてを頼って地元のバス会社への就職を決めた。
そしてスクールバスの運転手に配属された。父の夢が叶った瞬間だった。

僕に制服を見せてきて「カッコいいだろ」とニヤニヤと笑う父親に「子供かよ(笑)」と笑っていたけど、本当はとても格好良いと思っていた。


夢を叶えた父はそこから第二の青春の謳歌するかのように自分のやりたい事をどんどんとやり始めた。

大型二輪免許を取り50代半ばにしてハーレーダビッドソン(もちろん中古)を乗り始め、母を後ろに乗せてよくツーリングに行っていた。
60歳を超えると今度は外車に興味を持ち、アウディ(もちろん中古)に乗ったかと思うと、BMWそしてベンツなど次々と車を乗り変えていった(もちろん全部中古)。

自分の人生をとことん楽しむ父の姿は、まるで翼を大きく広げて大空に羽ばたいている鳥のように見えた。
自由に、そして優雅に羽ばたいているように見えた。


父は車を乗りかえるごとに僕に見せびらかして「どうだ。カッコいいだろ」と子供のように自慢してきた。
僕はもともと車にあまり興味のない上に、どちらかと言うとベンツやBMWのような大きな乗用車タイプよりもミニクーパーやワーゲンのような可愛いオシャレなタイプを好んでいた。

「うーん、あんまり俺の趣味じゃないかな」

そう言う僕を気にもせず「このカッコ良さが分からないとはなぁ(笑)」と笑っていた。
あいにく父と僕の趣味は合わないみたいだった。


そんな父が今年の正月にうちに遊びに来た時にこんな風に話していた。


「今度買い換える車はきっとお前も気に入ると思うぞ」

「何買ったの?」

「それは来てからのお楽しみだ(笑)」


そう言って父はまるでいたずらっ子みたいに笑っていた。


そして、これが父との最後の会話になった。


令和4年5月29日、19時頃だった。
自宅にいた僕に珍しく姉から着信があった。


「お母さんから連絡があって…お父さんが亡くなったって!」


姉の話では、その日母は友人たちと日帰り旅行に行っており、夕方には駅に父が迎えに来ることになっていたらしい。
しかし、16時過ぎに父にLINEを送っても既読にならず、携帯に電話しても自宅に電話しても父に繋がる事はなかった。
結局母は18時過ぎに友人の娘さんに自宅まで送ってもらい、そこでリビングで倒れている父を発見したとのことだった。
友人の娘さんがすぐに救急車を手配してくれたが、駆けつけた救急隊員は父を確認すると、救急車には乗せず警察に連絡するよう母に告げたらしい。


姉から電話をもらった僕はすぐに自宅へ向かった。僕が到着すると既に数名の警察が家中を調べていた。どうやら母も家の中にいるようだった。

家に入ろうとすると警察から止められる。

「息子さんですか?まだ調査中ですので待機してください」

慣れしたんだ実家に入ることも出来ないまま、庭先で目の前で行われている信じられない光景をただ茫然と見守ることしか出来なかった。

日付が変わるころ、ようやく警察から報告を受けた。
父の死因は脳出血でおそらく14時ごろには息を引き取っていたのではないかとのことだった。
打撲痕や毒物反応もないことから事件性はなく病死で間違いないとのことだった。


諸々の説明も聞き終わり、警察が引き上げていき、やっと母と話が出来た。
「私が出かけなければ…」と肩を震わせて泣く母に「大丈夫だから」と何が大丈夫なのか自分でもよく分からなかったが、そう声を掛けた。

葬儀屋やお寺さんとの打ち合わせ、関係者への連絡など、やらなければならないことが山積みだったが、とても今の母が出来るとは思えなかった。

自分がやるしかなかった。
父の死を悲しむ間もなく慌ただしい日々が始まった。


通夜や葬儀が終わっても、年金や保険などの手続きがあったり、大きなショックを受けている母親を1人にしておくのは心配だからと姉か僕のどちらかは必ず毎日顔を出した。
休みの日は母を連れて役所や銀行関係を回った。

父が亡くなり10日ほど経ち、少しずつだが母も落ち着きを取り戻していた。
僕はいまだに泣けていなかった。なんとなく実感がないまませわしい日々を過ごしたせいか、不思議と悲しさも感じていなかった。



その日も僕は、銀行での相続手続きのために実家にきていた。
これが終わればほぼ全ての事務手続きが片付くことになる。

母と姉と3人で銀行に行き手続きを終わらせて、実家に戻り3人で一息ついていた時だった。
庭の駐車場にカバーがかけられている1台の車が目に入った。

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きっとこれが父の言っていた『僕が気に入る車』じゃないのかと思った。


「あのカバーがかかっている車が最近買い換えた車?」

「うん、そうよ」

「なんて車?」

「なんだったかしら?」


カバーを取って車を確認すると、そこにあったのはダイハツのコペンだった。

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父が今まで買っていた車とは違い、確かに僕好みと言える小さくオシャレな車だった。

スマホで【ダイハツ コペン】と検索した姉が「これ見て」と画面を見せてきた。


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あなたの翼を広げるオープンスポーツカー。


「これ見てよ、『あなたの翼を広げる』だって」

「ホントに翼を広げて羽ばたいちゃったね(笑)」

「やだ、本当ね。ふふふ」


3人でコペンのサイトを見ながら笑った。
父が亡くなってからこんなに素直に笑ったのは初めてかもしれない。
笑っている時に、ふと父の笑顔を思い出した。

「それは来てからのお楽しみだ(笑)」

いたずらっ子のように笑う父を思い出したその時、急に涙が込み上げてくるのが分かった。

慌ただしくて気付かなかったのか、それとも気付かないフリをしていたのか分からないけど、胸の奥に仕舞い込んでいた悲しみが一気に噴き出してきた。

父との思い出が走馬灯のように蘇り涙が止まらなくなった。


サッカーなんてやったことないくせに遅くまで僕の練習に付き合ってくれたお父さん。

就職祝いにネクタイをプレゼントしてくれた父さん。

息子に障害がある事を言った時「みんないるから大丈夫だ」と励ましてくれた親父。

本当に、大好きだった。


僕の涙が母と姉にも伝染した。
さっきまで笑っていた3人が今度は泣いていた。
泣きながら僕はある事を決心していた。

ひとしきり泣いたあと、僕は母と姉に提案を持ちかけた。


「このコペンさ、俺が乗っても良いかな」


僕からの急な提案に母と姉は一瞬驚いた顔をしたけど、すぐに二人とも頷いてくれた。


父が遺した車で、僕は父のように羽ばたけるかは分からないけど、僕なりに翼を広げてこの車を運転したいと思う。

たまには隣に母を乗せてドライブでもしようと思っている。
きっと父はそうしたかったと思うから。
そんな僕を笑って見守ってくれていると思うから。


お父さん、本当に今まで育ててくれてありがとう。
お母さんのことは僕と姉ちゃんでちゃんと見ていくから、安心してそっちでも翼を広げて自由に羽ばたいてください。

いつまでも僕らを見守っていてください。


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というわけで最後は何だかダイハツコペンのコマーシャルみたいになってしまいました。

こんにちは、決してダイハツの回し者ではないコッシーです。


さて、いろいろとバタバタとしておりましたが実家の方はようやく落ち着いてきました。様々な手続きもほぼ完了し、あとは父の四十九日を無事終えるだけです。

突然の訃報に本当に驚きましたが、僕以上にショックを受けている母親を支えながら通夜や葬儀を準備し、そして仕事をしながら法的な手続き等を行っていたため全く悲しむ余裕がありませんでした。

でも先日ようやくしっかりと父の死を悼むことができました。
この先、父がいない寂しさがふいに感じることがあると思いますが、きっと父はこれまでと同じように僕ら家族を見守ってくれていると思います。

肉親の死という前回の記事に対して非常にコメントしずらい状況にも関わらず、たくさんの温かいメッセージをいただきまして、本当に胸が熱くなりました。

また一つ一つご返信させていただきますが、まずはこちらでお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。みんな大好きです。

また次回からは普通に記事を書いていきますので、今後とも仲良くしていただけたら幸いです。


めちゃくちゃ長くなってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。


それではまた。

コッシー

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