育児は想定外

これまでの人生は、
ほとんどのことが想定内で
想定以上の素晴らしい出来事や発見も
あるけど、基本的には想定の範囲内のことが多い。


自分で納得して会社や友人、先輩後輩、結婚など、決めてきた。
1日のスケジュールは予め組み立て、何時に何が起こるか決めておいて、こなしていく。

「出産」はその今までの当たり前を簡単に壊していった。
毎日が新しいことだらけで、すべてがイレギュラー。
何が起こるかわからないその時間その時間を
あたふたと過ごす日々。
疑問や不安は絶えず発生し、ググりまくる日々。

育児と家事の両立だって、なかなかハードルが高い。せっかく子供が寝た時間に何をするか、焦り始める。
やりたいことはたくさんあるが、大きな音は出せない。
昨日はよく寝てくれた日も
今日の夜は寝ないかもしれない。
体力温存するために寝ておくか。
いざ寝ようと思うと、
調べものに夢中でなかなか寝付けない。
気がついたら子供がもぞもぞしだしてはっとする。
そんな毎日だ。

時々我に帰って、
小さくてほわほわしたこの生身の人間を、
10ヶ月かけてお腹の中で生成し、産み落とし、
そこから1日も離れることなくお世話して、
一緒に過ごし今に至る。
とても不思議な気持ちになる。

「赤ちゃんのお世話は大変」と漠然と言われているけれど、具体的に何がどう大変なのか、妊娠前、妊娠中の私は知るよしもなかった。
子供を望んでいた私たちは子供のいる生活に期待を膨らませていた。
こんなにも自由がなくて、余裕がない生活をどうやったら、想像できただろうか。
そして、好きなこと以外、割と適当に、適度に、効率重視かつ、なんとなくやり過ごしてきた自分が、こんなにも真面目で神経質だったとは。

ただ声を大にして言いたいことは、
子供のいる生活は、今までの常識を覆し、不自由で気力、体力のいる修行のような日々だが、
それでも子供は唯一無二の自分の分身であり、
毎日毎日、一瞬一瞬がいとおしく、尊い。
何をしても手に入らなかった宝物。

嵐のように過ぎ去る日々だが、
同じ今日は訪れない。
どんどん大きくなる娘は誇らしいけれど、
50センチの洋服がブカブカの娘は
もうそこにはいない。
寝ているときのモロー反射もいつのまにか見られなくなった。
食いしん坊で、3本も指をくわえてしていた
る指しゃぶりもいつのまにかあまりしなくなって。
日々が卒業だらけ。
どんどん新しいことができるようになって。
その成長についていけない。
でもそのひとつひとつがとても小さくて、
とてもいとおしいもの。

育児は想定していたものより、遥かに壮絶で、経験したことないくらいの激務で、綺麗事ばかり言ってられない日々だけど、

今日もまた、お歌を歌い出した娘を
ずっと眺めていたい。

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