宮沢賢治
宮沢賢治ほど、美しく、儚い童話を書いた人はいない、と思ってる。
昨今のAIの進化で、ほんの近い将来(来年か再来年)には、賢治の著書をすべて読み込んだ賢治ロボが似たような話を無限に作り出す世界が来るだろう。あるいはもうできるのかもしれない。
ただ、それらには全く、全く意味がない。むしろ有害なものだと思う。
賢治の著作は、裕福な家庭で生まれたことに負い目を感じ、父の商売と宗教を忌避し、愛する妹を早くなくし、同性の友人にかなわぬ恋をし、家業の資産をあてに商売をしようと試み、反対され挫折し、血を吐き最期を迎えた、その人生から生じた垢のようなものだ。賢治の紡ぐ話には通底する「悲しみ」がある。それが読む人の心に引っ掛かり、ある種の後味の悪さを残す。
賢治には仏典、近代科学いずれの知識もあり、それらを別々の思想として接合を試みるのではなく、同じ水平の上に坐するものとして「心象スケッチ」として表現した。
現代に生きる人は、科学と宗教とを反対概念としがちだが、ちょうど道元の時間論とアインシュタインの相対論に似通っているように、賢治はそれらを矛盾なく併存するものとしてとらえていた。
賢治は日蓮宗に心酔していたのでほめられた比喩ではないかもだけれど。
最近賢治に関する本を読んでて、なんとなくなにかを書きたくなっただけのもの。
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