代価・代償について

世俗でもギブアンドティクとか、タダより高いものはないといいますが
神事・修法・伝法も全て、代価を払うか、代償を伴います
自ら納めなければ、勝手に何か別の形で支払われたり、奪われたり、
何かをさせられたりします。

人の福分は生まれついて決まっていて、人により多少の差があり
又、伝法はとても多い福分で、その分の世俗の福分が失われます
無論、霊的にはプラスになっていますが

イエスが言う、天に宝を積む、とか、金持ちは天国に入るのは難しい、とか、貧しい者は幸い、とかいう言葉は、この真理をのべたものです

つまり、何かを得ようとする、又、得たならば
必ずそれに見合う代価を払わねばならない
どんなささいな物でも
特に伝法や修法には必須である
もし、それを払わないと
自らの持つ何か大切な物や事を失ったり、手放すことになったり
損をしたり、災禍にあうことになる

ローリング・サンダーというインディアンの呪医は、
薬草を摘む時には、小銭を代価として置いたり、タバコを置いたりしています
神道では「物実」(ものざね)として、捧物や金銭・物品を用います

それ故に、道を知る者は、必ず求法者に何らかの形で、代価か代償を払わせた
金銭や物品が一番簡単で、無償の奉仕や犠牲
一番重いのは自分の命・人生を捧げたのです
金品で済むなら良い方で
自分の最も大切に思っている事・人・感情などを
全く無関係の様な形で代償とされ奪われることも少なくありません

昔の仙人が、弟子に金を何十kgと要求し、何十年もかかって弟子が金を持って行くと、仙人がその金を無造作に川にポイと放り流し、伝法を始めたという話も、欲心を減らしたとかだけではなく、その金で先に代価を払ったとも言え、又、水神に捧げたとも言えるのです

私も無償で受けた後は、無償の奉仕・代品・礼物を捧げ
又、代価であれば家を買える位は払っています
これも真理の一面です

友清翁曰く「神が『我に二銭を捧げよ』といわれた」と何の説明も無く書いてますが、物実・代価の必須を教えているのです

人は どれほど望んでも、一回で食べられる量は決まっていて
又、両手で持てる量は限界があります
同じように訛伝に拘れば、真伝は得られず、執着を持てば道は遠のきます
私で言えば、全く無欲でした
それは無知と、前世からの仙縁で、勝手にふところに飛び込んで来たので
その分、その後、何年も数奇な苦境に立たされ、代償を払っているのです
故にもう一度、代価、代償の重要性を覚悟して下さい

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