「アイドルの階段」を順調に下りた話 外伝
202◯年、年の瀬せまる12月30日、プラチナ台の地下にあるライブハウスでとあるアイドルの生誕ライブが行われた。
僕にとって推しメンの誕生日当日の生誕祭は初めてということもあり、めちゃくちゃ楽しくて特典会では長蛇の列にならんだけど、お祝できたので笑顔で別れた。
その日は、居酒屋不毛の地プラチナ台でなんとか入れる店をさがして、海藻ちゃんとあきあ先生、シュアさんとうまうまさんと少しだけ飲んで、良いお年を〜とにこにこでお別れした。
まさに最高の生誕だった。
翌日、大晦日31日、最近よく見るあの絶対よいことないテンプレでお知らせ、
生誕ライブをもって卒業…
しかも、規律違反で解雇って一方的すぎるやろ、体調崩してたのなんかわかり切ってたし、それも含めてのマネジメントだろうが!(僕はいがいにしつこいので、あの通達の仕方については81を一生許さない)
落ち着こう…。
●彼女との出会い
最初は別イベントで大福子を知って、所属グループのぺろりんずを知った。曲がすごく好きだったので、新体制になってからライブにちょっと行くようになった。なにより平日の夜にライブを多くやっているので、僕にはとても行きやすい現場だった。
ひとりでライブに行き大福子とはチェキを何枚か撮っていたのだけど、他のメンバーとは撮っていなかった。
そんな時、他現場で知り合っていた代ちゃんが、
「彼女のひざがいいんだよ」とめちゃくちゃ自慢して言ってくるので(笑)一度挨拶に行ってみた。
その時はたわいもない話しで終わったのだが、
4月1日のエイプリルフールにグループがぺろりんずZというネタをやった。その時に黄色(ちなみに本家ままクロの推しが黄色だった)の衣装を見てとっても気になってしまった。
そして、その衣装でライブが4月15日僕の誕生日に行われ、特典会で「えー誕生日の当日わたしでいいの?」って言われたのを鮮明に覚えている。それから定期的に行くようになった。
もうひとつ、頻繁に行くようになった理由でかかせないのはオタクの「とのちゃん」の存在だ。
彼の存在は通い始めてからなんとなく知っていたけど、強く認識したのは足を骨折してきたワンマンの時だ。この人すごい根性だなぁと思った。
少しずつ話すようになると、年もまあ近いし、家庭環境もにてるし、お酒すきだし、その他にも共通項が多くなんか気が合った。(ここ最近も嫁さん以上にLINEしてると思う)
とのちゃんと仲良くなってからは、加速的にライブに行く回数が増えた気がする。なんかライバルではないけどよい意味でひっぱられる部分もあった。
彼をはじめとして、当時のぺろりんず界隈はいわゆる「おまいつ」が多くいた、赤い靴の鯨さん、斜構のきたかわさん、代ちゃん、シュアさん、うまうまさん、ごじお、あとKANZOを着こなす最前組合の人達。
決して動員が多くない日もあったけど、誰かいつもいるからそれはそれで安心できた。通いやすい=たくさん会いに行けたことで、気持ちがすごく盛り上がった。
そんな彼女自身は、なんとも不思議な魅力をもっていて、まあまあぼーっとしてるんだけど笑、話しだすと楽しくてなぜかまた話したくなる。
あと、ちょっと鼻にかかる歌声も好きだったし、いつもの人達と上手で陣取っているの気がついてニヤって笑うのも好きだったし、ゆるいおんふぁいも好きだった。
なにより、彼女はいつなんどきでもかわいかった。
むかし、シロクマさんと飲んだ時に、
「りんごちゃんに対する感情は唯一推しメンのなかでガチ恋に近いかもしれない」と言っていて、僕は年も年だしアイドルにその感情はないなぁ〜って思ってたけど、、それに近かったのかも知れない。年甲斐もなく。
ぺろりんずのライブ後はオタクみんなで我々が川と呼ぶ場所でチェキ並べて飲むのが恒例だった。
そこで、
楽しかったねー
かわいかったねー
って言ってたの、
今思えばなんか青春みたいだなぁと思う。
まこちゃん、こんなおじさんに
第二の青春をありがとうね。
(このお話しの登場グループ、人物は全て仮名です)
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