緋色の錬金術師

 ――果たしてこれは倒叙と言えるのだろうか。
 猛暑の中、滝のような汗を流して必死で自転車を漕ぎながら、ふと有吉勇は思った。自分は今、ミステリで言うところの犯人側視点にいる。
 愛する〝共犯者〟が暴走して被害者を死なせてしまい、その遺体を代わって隠滅する――前に直木賞にそんなのがあったじゃないか。この状況は実にミステリだ。ミステリど真ん中だ。
 まさか普通に真っ当に生きている自分が犯人側になるとは思わなかったが。こうなると名探偵なんか間違っても出てきてほしくない。好きな探偵の名前がいくつか思い浮かんだが、彼らが犯人にとってどれほど嫌な奴だったか、今有吉はひしひしと実感していた。
 自分に過失がなかったとは言えないが、彼はただ巻き込まれただけだ。愛する者を庇うのは当然のこと。
 ――法の裁きを受けられるなら自首を勧めるところだが、残念ながら彼女には責任能力がない。下手をすると保健所行きだ。処罰を受けられるとはそれだけでありがたいことなのだ。
 自分が何とかしなければいけない。
 遺体は水とともにタッパーに詰められ、自転車の前カゴに入っている。
 いや、実はまだ息がある。
 つい十五分ほど前、有吉家の愛猫ミケが口にくわえて持ってきたとき、それはまだびちびちと跳ねていた。
 急な下りの坂道で、有吉はブレーキを握り締めた。神経を引っかくような音が響き、古い自転車が門の前で停まる。道路脇に自転車を駐めると、有吉はタッパーを手にインターホンを押した。
「先生! 命だけは助けてください!」
 ――お決まりのこの台詞も、まさか自分が言うことになろうとは。この台詞を聞くと医者もののドラマよりも、平野耕太のマンガでナチスドイツの将校が「そこまで言うのなら、四肢切断して麻薬漬けにしても命だけは助けてやろう!」と高笑いするのを思い出すのだが。
 タッパーを手にもじもじして待っていると、黒の鉄柵が自動で開き、立花真樹が玄関のドアを開けた。
「あのさー、いちいちこういうことでうちに来ないでほしいんだけど」
 夏休みで油断しまくっていたのか、昼過ぎだというのに彼はパジャマ姿だった。

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