推しを信じて三千里〜前編〜
※二本立ての前編です。
みなさんには、"推し"と呼べる人がいますか???
私は、胸を張って推しと言える人がいます。
今日これからお話しするのは、
そんな推しとの出会いと
私の考える
推しの定義についてです。←後編になります。
早速ですが、
私の推しは、一人の23歳の青年(俳優)です。
でも、
どこから、いつから好きなのか、
と聞かれても、自分すらわからなくて、、、
なんか、
いつの間にか憧れていました。
初めて彼を目の前で観たのは
2014年10月でした。
初めて自分でお金を払って、
高校生の私にとっては、それはそれは高い8千円のチケットを買って観に行った舞台でした。
今迄舞台になんか興味がなくて、
高校の芸術鑑賞会の時も爆睡をかましていた人間が
自分でお金を払って舞台を観に行く日が来るなんて
聖徳太子も
思っていませんでした。
初めて、入り口に立つお姉さんに捥ぎられるチケット。
初めて、入り口で渡されるカンフェティ(情報冊子)。
初めて座る、大劇場のふかふかのシート。
高校2年生の、当時進路に迷っていた琴音には
全てが目新しくて、キラキラした異世界でした。
開演五分前のブザーが鳴ると共に、強く鳴る鼓動。
彼の芝居を10列目で観る事ができる五分後の未来と、終演してしまう2時間半後の未来が、ワクワクと共に、既に寂しい気持ちで、心は大忙しだった事を覚えています。
開演してすぐ、
オールキャストが、客席に背を向けて、
後ろからの照明に照らされながら立っていて、
客席には8人の凛々しい影だけが見えました。
そのときでした、、、
全琴音が泣いた……
開演と同時に涙が溢れた事は
今でも鮮明に覚えています。
逆に言うと、
ストーリーとか全く覚えていません。( )
それが、推しとの出会い、
私の進路が決まった瞬間でした。
私もあの大きな舞台でお客さんに感動を与えられる女優になりたい、そして彼と共演する。
そう誓った琴音少女は、
進路表の第一希望欄に
「女優になる」
とだけ書き、
先生を困らたのでした。
だけど、お母さんは反対など一切せず
琴音の好きなように生きなさい、 と背中を押してくれました。
三者面談の時も
先生に
「娘がやりたい事をやらせてあげたいんです」
と笑いながら言ってくれた事も、きちんと覚えています。
やべ、電車で書いてるのになんだか目が潤ってきた、、、
それは私の人生で紛れもなく
一番恵まれていた事だと思っています。
当時、反抗期だった私と喧嘩ばかりだったお母さん。
今も、ぶつかる事はよくあるけど、
心の底から死んで欲しくない一番の人です。
そんな推しに出会って、
私の人生には、ただ1つの光が見え始めました。
初めて受けたオーディション。
芝居なんか一度もした事なかった私は、
30秒の自己アピールタイムに何をしよう、、、喋って、踊って、、、、、ああ、、時間が足りない、、、、!!!!
と焦った結果、
特技のダンスを踊りながら自己紹介をしました。
そしたら、周りの人もキョトンとしたくらい変な子過ぎて
合格しちゃったよね。
1/10くらいの合格率だったらしいです。
今思えば、割と凄い。
初舞台はわからない事たくさんで、悩む事しかなくて、ひたすら勉強!勉強!勉強!で、一番下っ端だから稽古を休むなんてあり得ない!!!!と思って、学校をバンバン早退してたら
単位足りなくなったよね。
結果、高3の6月に
芸能コースの通信高校に転校して、
本格的に女優活動を始めたってわけです。
これも、親のおかげ。
普通、
「単位足りなくなった!」
って言ったら
「じゃあ転校しよう!」
って、1つ返事で決めてくれる親いなくない?!?!(いるだろうけど)
ある意味、
頭おかしいよね。(褒めてる)
どうよ、私がお嬢って呼ばれる意味が分かってきたでしょ。
温室育ちの意味分かってきたでしょ。
この通り、甘々の甘で生きてきた琴音お嬢。
甘々の甘だけど、
私をアマ(甘)チュアとしてではなく
プロとして育ててくれた。
キッズダンサー時代から、お母さんには
めちゃくちゃ厳しい事を言われてきた。
頑張ってるって自分で言う人間は頑張っていないという言葉も、しつこい程聞かされた。
だから、本当に頑張って結果を残した時は
とびっきり褒めてくれた。
そうして強く厳しく育てられた琴音は、
他人にめちゃくちゃ厳しいwwwwwwwwwwwwwwwwww
ウケる。www
特別自分に甘いわけではないけどwwwwwwww
話が逸れに逸れて、お母さんの話してました。
マザコン発揮してしまった。。。
そんなある日、
推しと接触し、夢を約束した(勝手に)日が
突如として訪れたのであった…
琴音少女の運命は如何に…!!!!!!
To be continued...
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