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———三日月ですら眩しくて。






生きてます。



生まれ育った埼玉県狭山市にしばらく身を潜め


なんとか生き長らえています。(8月21日)


ご心配おかけしました。






早速ですが、


私は、うつ病になりました。



うつ病・社会不安症・パニック障害



精神疾患3銃士が、今の私の身を固めています。




今、このnoteを書いている手は

少しばかり震えています。



生まれたての小鹿というより、



アル中のジジィ・・・





精神状態は、特に夜に落ちがちですが



夜じゃないとnoteを書けないという

私の特殊異様能力もあり、夜中の12時にカタカタと打っています。fromPC




精神科でもらった睡眠導入剤は、頓服薬なので


お母さんに取り上げられてしまいました。しくしく。





夜更かしは乙女の天敵ですが、



今の状態の私は、乙女どころか


黄泉から這い出た化け物なので、心配ご無用、大丈夫です。



黄泉の物食べれば美しくいられるしね。


生きてるだけで、丸儲けです(IMALU)







今、このnoteを読んでる皆様へ。



引き返すなら今です。


黄泉の物を食べたら、あなたも黄泉の人間になってしまいます。




現実と向き合いたくない。という方は、


どうぞ、今すぐにでもお逃げください。






今から、私が体験した全てを、拙い文章ではありますが、お話しします。




塞ぎたければ塞げばいい。瞑りたければ瞑ればいいです。




私の今の事を、知りたい人だけ読んでくれれば大丈夫です。




それでは、お話しさせていただきます。







———————切り取り線———————






8月7日水曜日、午後20時16分。




自宅のベランダの手すりに手をかけた。





全て衝動だった。




——居なくなりたい。



そんなことすら考える間もなく、


この手はしっかり

手すりを掴んでいた。






お母さんと繋がった携帯から、



「今すぐ行くから生きて待ってて」




と、はっきり聞こえた。




その時の私は


整形のダウンタイム中かというくらい

泣き散らかして暴れ倒しては、顔を泣き腫らしていて、


鏡に映る自分を見て、また、死にたくなっていた。






唯一の繋がりだったお母さんとの通話が切れて屍になっていた矢先に


昔からずっと単身赴任で、人生で一緒に過ごした記憶が一番少ない

お父さんから着信があった。





「こっちゃ〜ん。パパだよ〜〜」


第一声から、ドッと気が抜けたのを覚えている。




「こっちゃん、パパはこっちゃんの事だ〜いすきだよ」

「パパも、ママも、たぁたんも、泉ちゃんも、こっちゃんの事大好きだよ」

「来週パパ帰るから、一緒にくら寿司行こうね〜」

「こっちゃんの琴音って名前は、パパが考えたんだよ〜」

「こっちゃんも琴音って名前好きだよね〜」




電話口で静かに泣いている私を、不器用ながらも必死に宥めていた。




こっちゃんは赤ちゃんかよ。





でも、確かにお父さんとの思い出は


小学校低学年の頃から途絶えていたのは確かだった。





当時の琴音は、くら寿司が大好きだった。(今もだけど)



毎週末、お父さんにくら寿司に連れて行ってもらってた事を思い出す。



お母さんは、回転寿司嫌いといって、

くら寿司に行く時はいつも二人だった。



私が、ビッくらポンを回したくて、

いつもお父さんが数合わせ(5皿で1回回せるガチャポン)でたくさん食べてくれてたなぁ。




お父さんにとって私は、


その頃のこっちゃんの記憶で止まっているのだろう。





それから、間も無く


お母さんが私の家に駆け込んできた。




埼玉の香りを引き連れて、東京という冷たい街に

怖いものなんて他に何もないといった必死な表情で飛び込んできてくれた。





会った瞬間、強く強く抱きしめてくれて




ライオンキングかよ、って感じで

止まらない涙を必死に手のひらで拭ってくれた。


顔のパーツの位置ズレるかと思ったわ。





それからお母さんは、

「もう行かなくていいよ」と言って



社長に電話をかけた。



電話越しに聞こえる社長の声と

お母さんの激高した声が7畳一間の部屋に響いて




私はいたたまれなくなった。


またパニックを起こして過呼吸になりながら


「うるせぇぇぇ黙れぇぇぇえ!!!」


と叫んでまたベランダに飛び出した。





お母さんがケータイを投げ出して
必死に私にしがみついていたのを思い出す。




真下にある無料駐輪場にいた人も

何事かとこちらを見ていた。



もし私が逆の立場だとしても

その光景は悍ましく、凝視してしまっていただろう。





それから私が落ち着くまで、お母さんは背中をさすってくれました。




しばらくして

落ち着き、疲れ、ベッドに横たわっていると



「もう大丈夫だからね」と言って


何事もなかったかのように



「カレー作ろうと思ってたんでしょ?作ろっか!お腹すいたね!」



と、私が作ろうと思っていた夏野菜カレーを作ってくれました。





久々に食べるお母さんの料理・久々に人と食べる食事に

ひどく感動した私は、ついつい食べ過ぎた。そして吐いた。






そして私はその日、そのまま埼玉に強制送還された。




それから私はずっと埼玉にいます。


もう既に、遠い日の記憶のような感覚ですが、



まだ1ヶ月も経っていないんだなぁ。



埼玉は、時を忘れさせる特殊な空気で覆われているのかもしれない。




そんなゆったりとした埼玉が、やっぱり性に合っているなぁ。




まぁ、今では東京都民なんですけど。







どうしてこんなことになってしまったのか。



誰もが少しは察してくれているとは思います。



察してくれていても、味方なんてどこにもいなかった。



見て見ぬ振りをされ続けた結果が、これでした。





自殺は、衝動です。




自殺しようと考えている人は、

結局死ねないし、死にません。



これまで本当に自分自身で命を絶ってしまった人は、


考える隙もなく、その時の衝動でいってしまったのだと思いました。




しかも、きっかけは本当に些細な一言。


会話で何気なく言ってしまった一言で

人の心は簡単に傷つき、

簡単に飛んでしまうんです。




その一言は、あなたにとってはたった一言でも


今まで積み重ねてきた我慢・苦悩がキャパオーバーになった時


爆発させてしまう危険性を持っているのです。




私のキッカケも



今まで仲がよかった人からの




「えーキモい。無理。」




の一言でした。



薄々、もう嫌われてしまっているんだろうなと気づいてはいたけれど

まだ信じたくないと私の中の誰かが薄い期待を抱いてしまっていました。



それが、全てぶち壊された瞬間のことでした。


私の中の何かが、プツンと切れて、


何もかも我慢できなくなってしまいました。




あと1週間、あと少し頑張れば自由に、楽に、なれる。




これが私の中の唯一のモチベーションでした。



お母さんや、周りの人たちも

同じことを言って、応援してくれていました。




だけど、


その期待が私の中で一番の爆弾であり、重荷だったのでした。




精神科に連れて行かれて、


カウンセリングの先生に全てを話している時、



私は


「悔しい。悔しい。」


と、ボロボロ泣きじゃくりました。




そんな私に、先生は



「生きててくれてよかった。辛かったね。よく頑張ったね。」


「もう頑張らなくていいんだよ。」



と言ってくれました。




もう頑張らなくていいんだよ。



この一言が、私の涙腺をさらに刺激しました。



私は、この一言が欲しかっただけだったんだ。


そう気がついたからです。




みんなは、頑張れ、頑張れと言ってくれた。


確かにその言葉で私は頑張れた。



だけど、


本当に欲しかったのは、


頑張れの一言じゃなくて、


頑張らなくていいんだよの一言でした。





お母さんも、


ごめんね。ごめんね。って泣いてました。



私の方こそ、こんなに手のかかる娘でごめんなのに。






ベランダに手をかける前、


泣きながらお母さんと電話をしているときに



「大丈夫だよ!琴には味方がいっぱいいる!」


ってお母さんが言ってくれた一言に対して


私は



「味方なんていても意味ないんだよ!!!味方がいても私は一人なんだよ!!レッスンだって一人なんだよ!!!ライブだって一人なんだよ!!!!それじゃあ誰かが一緒に来てくれんのかよ!!!!!」



と泣き叫んだことをはっきり覚えています。

この言葉は、今でも私の中にしっかり残っているくらい

私も気がついてあげられなかった、私の中の本音でした。


その直後にベランダに手をかけたのでした。






心のうちに秘めていた思いが全て出きった時、


私はもう人間ではなくなっていました。




養分を全て吸い取られ、咲けずに腐り落ちた椿の花のような、

メスに頭を食べられてもまだ交尾し続けるオスカマキリのような、

何者でもない、ただの肉体になっていました。






事件の後からは

ケータイをお母さんに預け、


しばらくSNSを見ないような生活をしました。


だけどやっぱり

SNSのない生活は色がなくて、

色弱になった感覚でした。



ケータイが帰って来て、

SNSを開くと、



そこには、ゴミがたくさん溜まっていて


私はそのゴミ捨てをする作業からはじめました。




いらないものは、排除する。



ただそれだけ。





ひたすらに、淡々と、


整理整頓をして



やっと片付いたので



ツイッターを再開しました。




この時を待ちわびていた。



自由に、呟いていい、楽しい、ツイッター。




もう、

「このツイートは消せ。」

「口が悪い。直して」

「琴音のツイッターは見てて不快だからフォロー外した。」


と言われなくて済むんだ。




嬉しい。




棘があってこその、金渕琴音。





何度

「つまらねぇ人間になっちまって、」



と言われた事か。






おーーーーい。

野次馬傍聴席のお前ら、

息してるか????????????












私は、結局、最後まで


友梨琴音を愛する事が出来なかった。





個性もへったくれも無く

周りの人達に塗り固められた偶像が


憎くて、憎くて、堪らないです。






なので、

友梨琴音は

自らの足で、火葬炉の中に飛び込みました。






彼女の意志を受け継いで、

成仏させてあげられる事が出来るのは







金渕琴音しか居ない。












今迄の金渕琴音の三年半が、

芝居での第1幕だったと仮定すると





昨日までの、友梨琴音は


第2幕へ繋がる15分間の休憩でした。








ロビーにいる皆様は
どうぞ、お席にお戻りください。









金渕琴音、






———第2幕、はじまります。








2019.9.1 金渕琴音







ただいま。









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