小説『猫と私の空中浮遊』


古呂島翔

序章

大学病院の救急救命棟のベッドの上に横たえられた私は、身長165㎝で、体重は38㎏。往年の大女優、あの浅丘ルリ子さんが20歳の頃と同じ体重。私は、これ以上はそげないくらい、全身の筋肉が落ちた。メタボで苦しむ人たちが羨むほど、やせぎすに痩せている。これでは、自力でベッドから起き上がることも敵わず、尿意を催したら最後、小便は出し放題、止まらない。やりけらくなり、涙を流すしかできない。看護師か、その補助の人が、介護に来てくれても、問答無用で私を見るなり、いきなり、丸裸にする。もう、こうなると、ただ生存しているだけだ。何の意味もない。これが悲しい。とてつもなく悲しい。今後のことを考えると、惨めになる。看護師が来て補助してくれないと、ベッドから一歩も出られず、トイレにも行けない。この頃、私は確かに、点滴だけで生き続けていた。生きていた。左右の鼻孔から3本づつ緑色、黄色、ピンクの管が出ている。その管の先は点滴液のたっぷり入った2リッターほどのピニールのペットボトルのような容器がぶら下がっていた。見るからに頑丈な点滴棒だった。野球のバットほどの太さの中心棒には、あらゆる方向から細い鉄の棒が突き出ていた。点滴棒を支える三本の足は、かなり重く、がっちりと固い樫の木の床に立っていた。この黒く鈍く光っている点滴棒は、普通は、3本の足に車がついているから子供でも楽に動かせるが、一旦倒れたら大人1人ではとても元に戻すことは出来ない。点滴棒本体が重いうえに、一本2キロほどの点滴液の容器が3本括りつけてあるため、総重量は、20㎏はある。

それよりも、この点滴棒は高さが2メートルほどもあり、万一、大地震が発生して倒れてくると、手足をベッドの4隅にきつく縛られている私は、身動き一つも出来ず、鉄の塊に顔面や頭部、心臓を突き破られ、あっという間に、死んでしまうに違いない。完璧に拘束されている私は、断末魔の大声をあげながら、あっという間に地獄へ突き落とされてしまうだろう。誰もそう思わないのだろうか?もしかしたら、これは夢なのでは?こんな危ない点滴棒が、私のような重体の患者のそばに置きっぱなしであるはずがない。そう思うが、どうも夢ではなさそうだった。あの「変身」の主人公も同じ気持ちだったろう。悲しいことに、この身動きできない重病人を助けにに来れる病院のスタッフは、誰もいない。それは、後から妻に教えられて初めてわかった。入院当時、私は、なぜか、凶暴で、男性看護師を何人も殴り倒して、かなりの重傷を負わせてしまったらしい。これも妻から聞いた話。私の背中には、『この男、凶暴につき、拘束中』の張り紙が貼ってあったらしい。

私は、夢の中で、猛烈なスピードで世界中を飛び回っていた。私は大学病院のベッドにしがみ付いていた。このベッド型ロケットは、余りにも早いため、振り落とされてしまうかもしれないという恐怖で、私はがたがた震え、大量の尿を眼下の地球上にまき散らしていた。

私が運転しているロケットにはエンジンも何もついていなかった。ロケットの燃料は、意識、私の動きたいという意識だけだった。右手の方角、二時の方向に雪を頂いた富士山が見えた。眼下には、私の入院先の脳外科の専門の病院がどんどん遠去かって行った。私は、パジャマ一枚でベッドロケットにしがみ付いたまま、空中浮遊していた・・・。

上海から東シナ海の上空を飛び、私は、唐津市の上空を旋回していた。東シナ海は、眼が痛くなるほど眩しく輝いていて、そして悲しいほどに青かった…。

私がこの世に産み落とされてから、私をずっと見守ってきた北部九州のさいはて、唐津市名護屋の里・・・。故郷は、千年も前から、悲しい話がいくらも転がっている村だった。目の前に限りなく広がる唐津の風景、中でも日本屈指の松原、『虹ノ松原』は唐津湾に沿って弓型に4キロほど続く。幅は100メートルはあろうか、その長さ、4000メートル強、鬱蒼と生い茂った松の巨木がその数、数万本か、これから育つ松の木を数えたら、とても数えきれない。

『虹ノ松原』は、福岡市や北九州市、長崎県はおろか、全国から多数の観光客が訪れる玄海国定公園の中核的存在。この松原は、押しも押されもせぬ、三保の松原、天の橋立と並ぶ日本三大松原の一つ。その中を縫って走る国道は、博多駅から天神などしばらく市街地を走り、10数か所の短いトンネルを抜け、右手に玄界灘を見ながら、2時間ほど走れば、佐賀県の唐津市鎮西町名護屋の波戸岬まで続く。この高速の特急バスに乗るなら、運転席のすぐ後の窓際の席がいい。博多湾から玄界灘、唐津湾と目にする海岸の風景は、あの松島にも引けを取らない。時速60キロ以上で疾走する特急バスの窓を開けると潮風が吹き込んできて、潮の香りが車内に満ち、何とも言えない郷愁を覚える。

太古の昔から、玄界灘から吹き付けてくる大量の塩分を含んだ潮風に、毎年膨大な損害を蒙ってきた農民は、いつの日か、この強烈な玄海風を止める日がやって来るのをどれほど待ち望んできたか・・・。一説には、あの弘法大師が、いわゆる防風林を海岸沿いに植えることを考え出したという。気の遠くなるほど長い間、被害に耐えてきた農民達は、その妙案に手を叩いて喜んだが、はたと気がついて、暗然たる気分になった。いったい、その費用は、いくらかかるのだろうか?そして、その費用を唐津藩が全てまかなえるとわかっても、では、誰が、藩主に訴え出るのか?困難な場面に出くわした農民の代表たちは、頭を抱えた。その年も、せっかく作った稲穂も何も、すべて塩害で殆ど全滅。溜め息をつく農民たち。この苦しみは、いつまで続くのだろうか?

ある日のこと、唐津藩のすべての村の代表が集まる集会の席上で、ある男が、立ち上がって発言した。『俺に任せてくれ!』

なぜか、その男は、意を決し、己の家族共々打ち首になるのを覚悟で、時の藩主に訴え出ると言い出したので、みんな驚いた。

これは、ほとんど史実ではなく、古呂島 翔の創作です。

*****

私は、あの日本史上最高の義民といわれる、佐倉惣五郎を祭る神社が鎮座している酒々井町の隣、佐倉市に居住しています。それで、故郷の唐津にも、義民惣五郎のような英雄がいたのではないか。そう思ったのが、この小説を書こうと思った切っ掛けです。

*****

唐津藩の藩主、小笠原公は、人望篤く、その優しさは海より深く山よりも高かった。また小笠原公は、唐津藩の農民の苦しみが良くわかっていた。不作の時ほど自殺者が出る農民の気持ちがいやというほどわかっていた。とりわけ気がかりなのは、重い年貢をに肩代わりのため、自分の可愛い娘を泣く泣く売り飛ばす農家が出ることだった。

この主題は、別の小説で書きかけています・・・『日本を救った七人の少女』という歴史小説。

命がけで大自然と戦う農民や漁民達の命を守ること、これが藩主の命題であるのは間違いない。しかし、藩の予算通りの納税を取り立てることと、藩の民の生活を守るのは、利害相反する行為。苛酷な年貢の取り立てによっては、上記のような悲劇、貧しい農民が、わが娘を売らねばならない時も出てくる。そんなことが起きないように、藩政を粛々と進めていくこと。これは、並大抵の度量では出来ることではない。おそらく、唐津藩主の傍にも、軍師官兵衛のような、抜群に頭の切れる御側用人が仕えていた。藩主の悩みを一挙に解決できる能力を持つ御家人、それがこの小説の主人公である。唐津藩の名藩主と言われた小笠原公は、相当柔軟な考えのできるお方。数人の祈祷師の予測を少なからず信じていた。こういう重大な問題を解決するに当たり、古呂島 翔という不思議な男、なにやら宇宙人のような発想をもつ奇人変人を雇ったのも、夢の中とはいえ、彼が起こした奇跡を見たからだった。自分が宇宙人だと知っていたからだろう。同類、相憐れむ。そういうところだ。

**********

こういう挿話が浮かんだ。

ある豪雨の日、小笠原公の大名行列が江戸を向けて唐津城を出発。虹ノ松原を抜けて糸島半島に出ようとしていた。途中、浜崎、玉島の唐津湾に面した漁港を過ぎると難所に差し掛かる。右は切り立った急峻な崖。左手は、荒波の押し寄せるあの玄界灘。大名行列の進む道路はぬかるんでおり、草鞋しかはいていない侍たちは、殆どの人間が滑ってしまった。バランスを崩した駕籠は、担いでいた駕籠かきともども、駕籠の中の藩主も、進行方向左手の海中に転落するは必定。そうして命が助かる確率は皆無だろう。

ここで私の創作である。

藩主の乗った駕籠が、潜水艦もどき、だったらどうだろう。

チーム『古呂島 翔』の作戦スタート!

このような事故想定し、あらかじめ、駕籠自体を上下左右すべての角度から、高級漆を何十回も塗り込める。次に、海中転落の実験を繰り返す。そして絶対の安全が確認された。次の段階に来て、誰もが頭を抱えた。殿の身代わりになって、海中に駕籠ごと転落する人間が必要になった。これには、誰もが尻込みした。死を覚悟で藩主の身代わりになるのは、とても無理だと皆が後ずさりした。困ったもんだ。、家老はどうしものかと思案に耽った。悩んでも妙案は、浮かんでこなかった。

そこへ、殊防水駕籠を発明、意見具申、製作、実験、すべてを仕切った、あの、古呂島 翔という侍があらわれる。

家老は、喜び、藩の予算を組み、御家人総出で、古呂島の壮行会を開いた。

古呂島は、実際に殿の身代わりとなって、豪雨の中を駕籠に乗りこんだ。

街道を進み、やがて難所に差し掛かった。駕籠かきも家老達もみんな打ち震えていた。寒さと暴風雨で、全員の体温は下がり、もう逃げ出すのが精いっぱいだった。

『とまれ!』『降ろせ!』

籠の中から、古呂島 翔が割れんばかりの大声で命じた。駕籠は、ぬかるんだ街道の上にゆっくりと降ろされた。ここまでは、古呂島 翔の思惑通り、考え抜いた挙句の一寸の隙もない緻密な計画通りに進んだ。

古呂島は、駕籠かき達に再び命じ、街道の横の杉林に隠していた丸太を運ばせ、数人の手勢でその丸太を駕籠に押し倒し、そして海中に突き落とした。

荒れ狂う、玄界灘の難所、唐津湾の一角。その難所の陰の上に人影が認められた。蓑に身を包んだ、1人の若い女だった。『翔!翔!危ない!大石が』その声は、玄界灘の暴風に無残にも、かき消された。

駕籠は街道の端から海岸へ突き落された。駕籠は、しかし、予定どり、唐津湾の海中に落ちなかった。海中にたどり着くまでに、大きな岩石がいくつも転がっていたのだ。最初に、駕籠かき達が駕籠を突き落した直後、古呂島の閉じ込められた駕籠は、いきなり、大きな固い岩石に激突した。小山ほどもあった。一週間ほど前から降り続く豪雨のため、崖の上の山が崩れ、土石流が発生したのだ。これは、流石の古呂島も、微塵も想定していなかった。


******************

特殊防水駕籠は、海中に沈めば、計算上は一定の浮力が働き、数分後に海面に浮き上がるはずだった。防水の機能が完全に働けば、である。古呂島が設計した新型特殊駕籠が、その性能を完璧に発揮すれば、駕籠は見事に海面に浮上し、救助を待つ数分の間、寒さに耐えればよかった。この特殊駕籠が、その性能を完璧に発揮すれば、の話である。

終り

*************

頭の中の前頭葉のずっと奥から迸る物語。かつて、とてつもなくでかい夢を描いた10代の頃の俺は、本当に世界を変えてやると粋がっていたね。怖いものが何にもないから、何でも出来た。人殺し以外は。革命こそがその頃の俺たちの夢だった。あの、チェ・ゲバラのようになりたい。数十万の人間を動かして、ヒットラーのような、極悪人どもをひとり残らず、地獄へ突き落してやる・・・。そんな途轍もないというか、破天荒な夢を描いて生きていた。そのころの俺。いや俺たちの世代。金も権力も何にもない、ただ、野望というか、並外れた野心があった。資本の論理に押しつぶされる人民の側に立って、抵抗し、戦線を組み、最後は、中国のように、自分の国の、自分が生まれ、育ってきたこの国の軍の手で、戦車砲か機関銃で撃ち殺されてしまたい。

その頃の俺は、もういない。

その頃?一体、何年代の話?

1968年さ。俺が、九州の片田舎から蒸気機関車に牽引されて疾走する急行『桜島』で一昼夜もかけて、一旗揚げようと東京へ乗り込んで来たころ。東京には、女が、いい女が、小股の切れ上がったそれはそれはいい女が、なぜか俺の周りに、うじゃうじゃいたね。掃いて捨てるほど。それは、俺が持てたからじゃない。俺の大学の先輩が、『沈黙』というキリスト教徒の悩みを訴えた小説を書いたら、最高の評価。たちまち、テレビや出版社、新聞社が血相を変えて群がり、俺の先輩は、ベストセラー作家に躍り出た。地位も金も女も、すべて桁違いに先輩に降り注いできた。新宿の角筈にあった、7階建てだったか忘れたけど、大通りに面した超一流書店、紀伊国屋の5階あたりに、三田文学の編集部があった。その場所へ俺の天才の友人、T君が俺を連れて行った。生まれて初めて、本物の有名作家に会えることになった俺は、緊張していた。紀伊国屋のビルのある一角にその高名な作家がいた。三田文学編集部と書かれたドアを友人が明けると、そこは別世界だった。中央の大きな革張りのソファに、聖心女子大の女学生を何人も侍らせていたのが、他でもない、有名なベストセラー作家だった。俺は、興奮し口の中がからからになった。

『あらあ、いらっしゃい。あなたも作家志望なの?』

赤ワインの入ったグラスを突き付けてきた女子大生が、俺に近付いてきた。

『芥川賞もとるかもね』

友人が茶化すと、女子大性は、真っ赤なスカートをいきなりたくし上げた。そうして、俺を自分のスカートの中に押し込んだ。俺の顔は、彼女の花柄のパンティに強く押し付けられた。恥毛が、パンティからはみ出ていて、パンティは濡れていた。甘酸っぱい薔薇の香りと成熟した女の匂いが混じって頭がくらくらしてきた。『嬉しい?ぼうや?嬉しいでしょ?しゃぶってもいいのよ』俺は、彼女のパンティのなかに指を入れてみた。クレバスを見つけて一本の指でなぞったら、

『ああ…』『そこそこ・・・いいわ…』俺は勃起してきたので、困った。これは夢だ。絶対に夢だ。あり得ないよ・・・。彼女は、自分からパンティを脱ぎ、俺をソファに押し倒した。『好きなのよ』いきなり真っ赤な唇を押し付けてきた。もう夢中で、彼女の唇を吸った。いきり立つ俺の息子…。『ねえ、』『え?』『入れてえ』

もう無理だった。我慢できず、恥ずかしげもなく俺は全裸になった。彼女の真っ赤なワンピ―スの中で、合体した。夢のような気分。

これは夢だ。ぜったいに夢だ。もうすぐ目がさめる。こんなおいしいことがあるもんか・・・。

しかし夢は消えなかった。彼女は、俺に馬乗りになったり、いろんな格好で襲ってきた。おかしい。第一、高名な作家はいったい、どこに行ったのだろう?7,8人はいた、聖心女子大の学生さん達はどこへ消えたのだろう?そして、友人の天才T君は、どこに消えた?

部屋は不思議なことに窓がなかった。次第に暗くbなり、俺と彼女の二人きりになっていた。何かがおかしかった。俺は、頭がおかしくなりそうだった。彼女は全裸になって、全てを俺に誇らしげに見せた。彼女の若い肢体は、とても綺麗だった。『裸のマハ』を想い出した。

現役で慶應の経済に入った俺は、たったそれだけの理由で女にもてた。嘘じゃない。俺がいい男だからではない。かっこいいからだ。けいおうのけいざい。このごろが、堪らなく、女心をくすぐったんだ。そのころの日本のお姉様たちのこころを掴んでいた。そのごろがいいから。けいおうのけいざい。合格するだけでも大変なのに、その慶応の経済で優秀な成績を上げると、あとは、政財界の中枢を歩くようになる。出世する男は、昔から、東大か慶応に決まっていた。銀座を歩くだけで、美形のモデルみたいな深窓の令嬢がついてくる。どこまでも。そうして、入ったところが、『茉莉花』という文壇バーだった。新宿の都心からかなり外れたところだったから、一般の人もあまり来ない。どちらかと言えば、さみしいさびれた街に位置していたような気がする。瞳の色がブラウンで、ヘアも金髪、背丈は175㎝くらいの若い美人が5,6人ついてきた。俺にじゃない。俺のクラスの同級生。その彼が、顔はふつう、背もふつう。しかし、文才が溢れていて、天才と言われた。名前はT君。書いた処女作が、『神様、僕を殺してください』という題名で、当時の文学界新人賞の最終候補に残った。野間宏ともう一人、とても有名な作家がこの作品を絶賛した。この高名な作家はT君の才能に括目した。しかし、選考の結果、つまらないと酷評された小説『雪洞の中で』が、この時の賞を獲った。これが、運命の分かれ目だった。T君は、文壇にデビューも出来ず、流行作家にもなれず、一橋大学の経済学部の教授になった。彼は、小説家をあきらめた。東横線の日吉駅近くの『ういろう』という喫茶店で、彼は、俺を説得した。有名作家に近寄れば、国産車が一台は軽く買える価格の超高級の洋酒をいくらでも、ただで飲めて、びっくりするほど綺麗なモデルやタレント、女優と仲良くなれて、いいことだってできるんだぞ!というのだ。俺は、田舎者だったから、東京生まれの彼が羨ましかった。殺したいほど、羨ましかった。

当時の俺は、『太陽がいっぱい』の、あのアランドロンのような気持だった。彼は、俺にないものをすべて持っていた。というより、俺は、何一つ持ていなかった。文字通り、はだかの少年だったのだ。持っているものと言えば、滾るような野心だけだった。彼は、東京生まれの東京育ち。父親は企業の経営者。母親の親戚は旧華族で、北海道に広大な牧場と、軽井沢に別荘を持っていた。麻布の自宅は3階建ての豪邸で、当時としては珍しいプールがあった。父親は賭け事も好きで、自宅には麻雀部屋があった。5卓か6卓はあったから、かなり広い部屋だった。シャンデリアが輝いていた。駐車上には、3台のベンツがあり、お抱え運転手とお手伝いさんが3人もいた。姉と兄がいて、妹もいたが、みんな慶應の幼稚舎から入学し、慶応女子高校か慶応高校をへて憧れの慶應ボーイ、ガールになる。大学を卒業したら、アメリカか、ヨーロッパへ留学して、そうしてごく普通に、世界へ羽ばたく。恵まれた人生。約束された一生。夢のような人生。

一方、俺の方は、同級生の彼に同じ純文学の作家志望と言って近づき、まんまと彼と親友になれた。実は、この俺様は、君を殺してでもいいから、君の代わりになって、財産を横取りしようという、どうしようもない悪党、チンピラ、人間のクズなのだよ。それ程、俺と彼の間には、グランドキャニオンのような、とても暗い、底の見えないほど深い峡谷が横たわっていた。

おどろおどろしいね。

いいえ、彼が純情で泣けてくる。

ばいばい。

実は、俺は悩んでいる・・・。

生きていく気力が消え失せてしまった…。

もう、いっそのこと、月まで飛んで行って、そこを基地にして、さらに

宇宙の果てまで行って、そこで人知れず死にたい・・・。

人知れず死ぬ・・・。なんて、軽やかで、いい響きだろう。人知れず死ぬ。だから俺が消えようがどうなろうが、誰も花を手向けようともしない。

暗黒の世界。誰も来ない世界。そこがいい。

そうさ、寂しいけど、それが俺の生き方。俺の死に方。どっちみち俺が死んでも涙を流してくれる女なんて1人もいやしない。こんなに広い惑星の上で、俺を愛し続けてくれる女なんかいるもんか。俺の死を悲しんで、涙が枯れてしまうような大泣きしてくれるそんないい女は、もう1人もいない。この惑星の上には、ひとりもいな・・・。

*******続く********



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?