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情報発信で落ちる「努力家の落とし穴」についてのお話

最近、勉強してようやく言語化できた。ずっと書きたかったテーマなんですが「情報発信は努力家になりすぎてしまう」についてなのです。

昨今、SNS発信が「異端→常識」に変化しつつあるという実感があります。「毎日何かしらの勉強をして、それをSNSで発信する」とか「買ったモノをSNSで紹介する」とか、SNS発信の自由度も豊かになっている感じがあるんです。つまり、僕らが昔抱いていた「世の中が知らない㊙情報を発信すべし!」みたいなハードルが、今は良い意味でも悪い意味でも低くなってきているとも感じるんです。

もちろん、毎日勉強して自分を高めることや、影響力を得ることで享受できるメリットとデメリットは様々あります。そして、今回ボクが取り上げたいのはそういう「努力すれば伸びる、フォロワー数で人生が決まる」とかそういう話ではなくてですね。「情報発信というステージに入った際の、努力について」書いていきたいのです。

情報発信は「努力家」になってはいけない?

そもそもの話として、情報発信で何か結果を残そうと考える人というのは「向上心がビル・ゲイツ並に高い人」なんだと思います。

ここでいう向上心とは、豊かな生活を送る為に稼ぐなどはもちろんのこと、「もっと自分が社会に貢献できる工夫」とか、自分を客観視してより良い結果を残す為の分析・勉強も含まれます。

ただ、少し極端な話になってしまうのですが、その努力もやり過ぎると危険なものになってしまう。

「情報発信で成功している人は、毎日寝る間も惜しんでマネタイズを考えている人ではなく、自分が辛くない範囲でやっている人」

という、受け入れがたい現実があるんです。

なぜ、努力をしすぎることは危険なのか。

努力は視界を曇らせる?

極端な意見ではありますが、僕は今回、これを伝えたいんです。

・情報発信でフリーランスになった人
・フォロワーが増えて毎日多くの人たちに応援される人

こういった人たちが、願うことは何か。

それは、安定した数字の伸びであったり、その領域でのプロとして活躍し、多くの人から無数の称賛を貰うことです。その結果、お金も稼げて、寝る時間も起きる時間も自由で、家族との時間も増える。

その望みを叶えていくため、さらに上を目指すため、失わない為に、日々勉強する。

当然、影響力が増えると「その分野に対してのアイデアに長けていること。独自の課題解決能力や発信の色があること」なんかが求められるようになってきます。

要は、常に求められるレベルが高くなっていく。そんな気がしてくるんです。

情報"受信者"から、情報"発信者"という立場になってこの壁に直面した人、思うように結果がでなくなった人は多いと思うのです。だからこそ、毎日「誰よりもこの分野に強くなる」ために努力をしようとする。こういった努力をつづけることで、頭の痛い問題は解決できる。

ただ、間違いなく努力をしすぎてしまうとデメリットが浮き彫りになってくるんです。

努力のデメリットとは何か。

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