逸る気持ち

 生ぬるいコーヒーを胃に流し込み私は溜息をついた。

 もう何杯目だろう。

 数えるのも嫌になるが片手では収まりきらないほどの数であることだけは事実だ。

 おかわりのコーヒーを持ってくる店員の笑顔に怒気が感じられる。

 そりゃそうだ。

 もう何時間もコーヒー(おかわり自由)だけで粘られては良い顔をしろという方が無理な話だろう。

 でもそれは私のせいではない。私はただ人を待っているだけなのだ。

 テーブルの上に広げられたノートや教科書を見て自分も慣れたものだと苦笑してしまう。

 バックの中には読みかけの本まで入っている。

 そう、今日の待ち人の遅刻は今日に限ったことではない。遅れないほうが珍しいくらいである。

 毎回、毎回待ち続ける自分が健気に見えてくる。

 喫茶店という場所はカップルや友達同士といった二人、ないし複数の数での来店が多い。

 そんな中、一人で二人掛けのテーブルを長時間占領すると言う行為はある種の優越感を私にもたらす。

 が、客が入って来る度入り口を見つめては溜息をつく。

 この行為が切ない事この上ない。

 しかも、そんな私を退屈が容赦なく襲う。

 もう1,2時間ではどうということもなくなってしまった私だが、3時間を越えた辺りから流石に飽き始めてしまう。

 何にって?座り続けることにさ。

 暇を潰すものは大量に持ってきているものの、こればかりはどうしようもない。

 早く来ないかと入り口を見つめながら、意味もなくペンを弄んでみたりする。

 しかし、退屈は去ってくれない。

 そんなに待たなければいいだけの話なのだが、自分が遅れた時自分が着いた時にはもう相手はいませんでした、なんてオチは悲しすぎる。

 自分がされて嫌なことはきっと他人も嫌だろう。まあ、そこまでいかなくても喜ぶことはありえない。

 一生懸命きたであろう相手に嫌な想いをさせるのは良心が咎める。

 そんな訳で私は延々と待ち続ける。

 携帯の着信音に私はすばやく反応した。相手は本日の待ち人。

 文句のひとつも言ってやろうと電話に出ると、聞こえてきたのは申し訳なさそうに何度も謝る声。

 相手がわざと遅れているわけではないことも、相手なりに頑張っているだろうことも私は知っている。

 それなのに、そんなすまなそうにされたら文句など言えるわけがないじゃないか。

「いいよ。気にするなって」

 話によればあと最低一時間は待たされるらしい。

 これはベスト5に入る長さだなと思いながら私は慰めの言葉を紡ぐ。

「わかった。待ってるから気をつけて」

 電話を切っていままでで一番深い溜息を私はついた。

 今日は厄日だ。そういうことにしておこう・・・

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