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祖母の口紅

 化粧品売り場の花形は口紅だと思う。行ったことなどないけれど。
 家族は揃いも揃って化粧っ気がない。母は最低限の化粧しかしないし、先日亡くなった母方の祖母が化粧しているのを見たのは従兄弟の結婚式くらいだった気がする。
 短かな親戚バッチリ化粧をするのは父方の祖母だけだった。
 70を過ぎてもフリル過多の花柄ワンピースに首を色が違う程に厚く塗られたファンデーション。マスカラを塗られたと思われるまつ毛は長く唇には真紅の薔薇を思わせる赤い口紅。
 人工的な香りが苦手な私は幼い頃から祖母が苦手だった。それ以外にも彼女を苦手とする理由は山ほどあるが、初対面で警戒したのはその香りと白い肌と対照的な赤い唇だったと記憶している。

 そんな祖母が亡くなったのは丁度3年前だった。彼女が亡くなる1か月前には祖父が急死していたので2人の3回忌は一緒に行われた。
 親戚の口から出るのは祖父の話ばかりで祖母の話は一向に出ない。生前の彼女は自分に正直な人だった。ワガママで、気分屋。忍耐力もなく、家事はしない。そんな訳で、親戚からも疎まれるとまでは行かなくても、よく思われていなかった。
「おばあちゃんの服がたくさんで整理が大変でした」
 お酌をして回っている父のそんな言葉に小さい頃の記憶が蘇った。

 祖父の家には古いロッキングチェアーがあり、そこに座った祖父の膝でゆらゆらするのが私はとても好きだった。
「ばあちゃんは、いつも綺麗だろ?」
「うーん。多分?」
 祖父の言葉に幼い私は首を傾げた。その当時からずっと祖母は所謂『マシュマロ女子』でありお世辞にもフリル満載の花柄ワンピースが似合うとは思えなかったし、色の違う二重の顎は少し不気味ささえあった。
「うーん。あの服が似合うかと言われるとあれだが、ばあちゃんは朝起きると一番にちゃんと服を着て化粧をしているんだ。どこに行くわけでもないのにな」

 あの時苦笑しながらも嬉しそうに語った祖父の顔。
 毎日どこに行くわけでもないのにバッチリと化粧をして、毎日違う服に着替えた祖母。

 あぁ。祖母はどこまでも女性だったのだ。祖父に恋する1人の女性。祖母にとっては毎日がデートのようなものだったのかもしれない。
 自分に正直で、ワガママで気分屋。忍耐力もなく、家事はしない。
 これだって、純粋で、甘えん坊で小悪魔的に言い換えられないだろうか。昔はか弱い女性が受けたと聞くし、手が荒れるからと家事をしなかったんだとすれば少しは理解出来る気もする。
 つまるところ祖母はやり過ぎではあったが、終始祖父に恋する1人の女性だったのだ。

 2人が亡くなってしまった今となっては真実はもうわからない。
 しかし、そう思うと祖母への苦手意識も薄れるし、スキな人が出来たら口紅の一本も買おうかという気になる。
 その時は折角だから赤い口紅にしようか。祖母が一生祖父の心を掴み続けたのは赤い口紅のおかげもあるだろうから。

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